第76話 スターリン登場

1929年(昭和4年)7月


ニューヨークでの株式暴落から半年以上が経過したが、全世界、といっても資本主義国家だけに悪影響が及んできつつある状況で、今後景気の悪化に伴い貿易の縮小とブロック化が徐々に表面化していき、失業者も増加していくだろう。


しかし以前にも述べたように、ソ連のような共産主義国家にはほぼ影響がないと思われるので、世界の人々が共産主義に一種の憧れを抱き、共産主義こそ人類にとって発展した理想形だと誤認する人々が続出する事になってしまう事が問題だ。

特にインテリ層、中でも学者が危険で、俺も他人の事をとやかく言えないが、世間の常識といったものを知らない人物が多く、視野が狭いから染まりやすい。

いわゆる「学者バカ」と呼ばれる人種だが、知識だけは豊富にあるから、なおさら始末が悪いのだ。

しかも日本おいては「学者」だの「教授」だのといった肩書きに騙される人が多いから、共産主義に対する礼賛などされたら、折角封じ込めた共産主義が性懲りも無く復活するきっかけになるかも知れないので要注意だ。


だから俺は内閣特命担当(NTT)の報告を元に、モグラ叩きのように共産主義者のアジトを見つけては摘発するという事を継続している。


そんなソ連において、スターリンがトロツキーを追放して権力を完全に掌握したとの情報が、内閣北方協会(NHK)を通じてもたらされた。

いよいよあの悪魔のような男が歴史の表舞台に立とうとしている。

史実より1年ほど遅いが、それだけソ連という国家体制が俺が知っているものより脆弱であり、体制固めに時間がかかったからだろうと俺は判断した。

やはりジェイコブ・シフによる資金融資が無かった事が影響していると見て間違いない。

お陰でその間にロシアは着々と国家体制を構築し、NHKが積極的にソ連領内でロシアへの脱出を助けたこともあって、建国から10周年を迎えた昨年末には人口も1000万人を超える規模になっている。

ただし、スターリンが権力を掌握した事によって確実に東側の国境線は封鎖されるだろうから、陸路でロシアに向かう事は今後不可能になると覚悟せねばならない。


ここでスターリンとはどんな人物なのか見てみたい。

1879年にグルジア(21世紀はジョージアと発音)の靴職人の子として生まれた。

貧しい家庭だったらしいが学校の成績がよく、神学校に入学した。

オマエが神学校に行くのかよ!と突っ込みを入れそうになるが、ここでも良い成績で優秀と評価されたものの、学生時代から共産主義運動を始めた為に退学処分となる。

その後、スターリンは革命と称してテロ、暗殺、銀行強盗、売春宿経営などを行った。

令和の日本だと立派な反社、というか極悪人だな。

幼少期に両親から虐待を受けたらしいが、それだけでこんな外道になるのだろうか?

生まれた時から外道だったのでは?

だとしたら本物の悪魔だが。


特にこの男は何軒もの売春宿を経営し、共産主義活動を行う資金源としていた。

共産主義の理想論で言えば、人間による人間の搾取に反対する立場でなければならないはずだが、スターリンがこのような方法で資金集めしていた事が表面化すると当然だが非難が集中した。

特にレーニンはこれを非難している。

「どんな立場の人間、それが例え売春婦であったとしても搾取はしてはならない」と諭したわけだが、スターリンには響かなかったらしい。

これは最初の段階で道を踏み外しているな・・・


これからこの男が史実においてやらかす悪行を述べてみよう。

女性関係で言えばスターリンは、最初の妻エカテリーナ・スワニーゼと死別した後、次々に結婚したり、愛人を作ったりしたが、女性たちがスターリンの残虐さや女性関係の派手さを忌避してスターリンを批判すると、その女性たちは不審な死を遂げたり、いつのまにか姿を消したと言われている。

まあこんなのはまだまだ序の口で、酷い逸話としては自分の眠りを妨げたという理由で、盲導犬とその主人である盲人すらも殺害したというのがある。


農業については集団化を推し進めるようになる。

これはスターリンが行った農業政策で、個々の農家がそれぞれ農業をするのをやめさせ、全員を集団農場に集めて働かせ、収穫した農産物を国家に納めさせた。スターリンは農業の停滞の原因は富農による搾取であると考え、農業でも社会主義を適用して完全国営化し、富農の淘汰を実行した。

集団農場が各地に作られ、個人の農家が持つ土地は取り上げられ、集団農場のものとなると、農家が持っている家畜も取り上げられたため、それに絶望した農家は自らその家畜を殺したケースが広範囲に行われた。

そして農村地帯では、富農と判断された農家は殺害あるいは強制収容所での強制労働に従事させた。

この富農絶滅政策によって900万人近い農民が農地を追われ、そのうちの半分が処刑されたといわれている。

農業に熱心な富農が淘汰されたことにより、優秀な農家が激減して農家全体の労働意欲が低下したし、貧農と判断された農家は、集団農場の労働者として従事させられた。

しかしこの結果としての労働者への見返りは低く、農民は「これでは帝政ロシア時代の農奴より酷いでは無いか」と不満を抱えるようになり、実際に賃金も生活水準も低く民衆は貧しかったと言われている。


にも拘らず、スターリンは新しい考え方である社会主義(土地や財産、産業を社会全体で共有し、国家が管理する統治形態)国家が成功する為にはやむを得ない処置であると言って、農民に犠牲を強いるばかりだった。

やがて国内に絶対的な権力を確立したスターリンは、猜疑心と権力欲に取り憑かれ、自身に反抗する者を片っ端から粛清したり、反抗する「疑いのある者」をシベリアの過酷な強制労働収容所へと追放したりした。

最低800万人、最大では1000万人以上もの軍人、知識人、市民、外交官、富農たちが犠牲となって殺されたと言われている。

これに加えてウクライナ地域で行ったホロドモール(人為的飢饉)による死者は最低400万人から最大1500万人、確定的には1000万人とする説もあったから、合計すると概ね2000万人以上殺したことになる。

人類史上ワースト2位となる不名誉な記録だ。


良く知られているどうでもいい話としては「スターリン」は本名ではない。

「スターリン」は「スターリ(鋼鉄) のように強固な意思の男」を意味し、本名はヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリという。


そしてこれからスターリンは生き残りをかけた工作を仕掛けてくるだろう。

失敗したら自分の命が無くなるとの考えに取りつかれた妄執かも知れないが、本人は真剣だ。

東に日露、西に英仏という強大な敵とどう向き合うのか?という大きな課題だ。

彼は今頃必死になって考えているはずで、答えは米独と組んで日英露仏と戦うとの結論に至るはずだ。

その為には何としても日米を戦わせる必要があり、そこに英仏露が巻き込まれていけばスターリンの笑いは止まらなくなるだろう。


ここからはスターリンが史実において主に日米に対して謀略を仕掛けるに至った動機を紹介しよう。

初期においてスターリンにダメージを与えることになるのはローマ教皇庁、バチカンだ。

日本ではローマ「教皇」よりローマ「法王」の方が一般的かもしれないが、より正しい表現は「教皇」だと思われる。

とにかくローマ教皇庁の共産党に対する態度は一貫して最初から否定的であり、共産主義に対抗する為にナチスドイツを盛り立てるという方向に動く結果となった。

何度も述べているように共産主義がキリスト教をはじめとする宗教を是認しないイデオロギーであるからだ。


欧米人にとって「神を信じない」という態度は致命的なものに映る。

異教徒はまだ良い

しかし無神論者は理解の対象外なのだ。

有名な逸話としてはソ連最後の共産党書記長だったゴルバチョフが欧米の指導者たちに対して「私はロシア正教の洗礼を受けていた」と告白した事が、西側諸国に好意的に受け入れられたという事実が挙げられる。

それ以後の彼の行動について否定的な意見が西側で出ない背景にはその点も加味しなくてはならないだろう。

この点では日本人も欧米人から聞かれたら、嘘でも適当に「ゼンです」とか「シントーです」答えねばならないし、間違っても「信仰している宗教は有りません」などと馬鹿正直に言ってはいけない。


ともかくソ連の場合はそれに加えて、敬虔なロシア正教の信者であったロシア皇帝一家を無残にも殺してしまった事もマイナスに響いただろう。

いかにバチカンが共産党を忌避していたかは時のローマ教皇ピウス11世が次の発言をした事でも確認できる。


「ドイツ元首ヒトラーが共産主義ならびに虚無主義と戦う決意の人であることを認め、喜びにたえない」


「ヒトラーの成功はボルシェビズムに対する防衛の強化である」


「結局、ヒトラーの善意は保証できる」


バチカンはナチス政権を承認し支持した。

また先ほど触れたようにナチス政権はその反共主義によりソ連に敵対することが期待された。

こうした経緯もあってヒトラーが政権を取ってから数年間、ヒトラーには国際的に高い評価が下されていた。

ピウス11世と次の教皇ピウス12世は、それぞれソ連、ポーランド、ドイツなどで共産主義に相対した経験から、強い反共主義の持ち主だった。

この反共主義が、彼らをムッソリーニやヒトラーに接近させる。


事実として今年の5月に、まずはイタリアのムッソリーニ政権と「ラテラノ条約」を結び、バチカン市国の独立を果たした。

ファシスト政権とバチカンの関係はこれまで必ずしも良好とは言えなかったが、史実通りこれ以降バチカンは主権国家として外交を展開することになるだろう。

さらに今年か来年あたりにはナチス・ドイツと「ライヒスコンコルダート(政教条約)」を結び、カトリックはナチスの公認となるはずだ。


ここから先は不透明だから、史実のみを並べるが、最終的にピウス11世は1937年の回勅でナチスを批判するに至るものの、以後もバチカンはどちらかと言えばナチスに寛容的であった。

第二次世界大戦前後におけるピウス12世の一連の行動(ドイツによるポーランド併合の事実上の承認、日本との外交関係の開始、英米への接近)は、すべて反ソ・反共主義に突き動かされていたと言えるだろう。


それだけではなく大国に手をまわしてソ連を圧殺しようと考えていた時期すらあった。

こうした策謀によってスターリン政権は成立直後から滅びのシナリオに直面していた。

ソ連が滅びるシナリオは四つあって、それは以下の項目だ。


①日独からの挟撃

②日英からの挟撃

③日英米からの挟撃

④日独英米からの挟撃

以上四つで、そのいずれにも日本が含まれているのがポイントだ。

これらは現実のものにはならず、ソ連は何とか生き延びることが出来たが、この体験は深くスターリンの心に刻まれた事だろう。


ドイツが1941年6月に独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻する2カ月前に日本は日ソ中立条約を結んでいたが、ドイツ軍の侵攻に合わせ満州国境で大規模な関東軍特種演習(関特演)を行っただけで、スターリンは震えあがる始末だった。

スターリンがどれほど日本を恐れていたかがお分かりいただけるだろう。

つまりソ連の崩壊を防ぐためには、何としてもソ連から見て東の隣国である日本からの干渉を防ぐ必要があり、だから工作活動を活発化させたわけだ。

それと同時にアメリカに対しても謀略を本格化させ、何としてもアメリカと手を結び、これを自分が有利となるように動かそうとしていた。


スターリンは全てのシナリオを熟知しており、自身の破滅を防ぐためにあらゆる策謀を実行するわけだが、日本に対する工作は資料として表面化しているケースは稀で、結末から推測して判断していくほかなさそうだ。

しかし以前も指摘したようにソビエト共産党の出先機関であるコミンテルンの暗躍は、日本政府中枢に及んでいた事は明らかで、それは首相を務めた近衛文麿の周囲において顕著だった事は相当以前にも紹介した。

それが一部表面化したのが「ゾルゲ事件」というわけだ。


俺の結論を言えば、身内の事は悪く言いたくないのは本音でも文麿は少し怪しい。

最大限好意的な表現をするならば、まんまと利用されたという辺りか。

ただし今更確認のしようがないのは勿論、当たり前だが現在の文麿に直接聞いても「何を言ってるのですか?」と返されて終わりだ。


文麿の他にも表面化していないスパイや情報漏洩の類はもっと多く存在したはずで、アメリカ同様に日本の指導者の周辺にはソ連のスパイが存在しており、それらの暗躍によって日米は戦争へ誘導されてしまったというのが俺の結論だ。


この影響は戦後も尾を引いて、アメリカがソ連を「敵」と認定したのは昭和25年に起こった朝鮮戦争前後のことになる。

だから日本の敗戦直後に進駐してきたマッカーサーをはじめとするGHQの連中は、神風特別攻撃隊という彼らにとって理解不能な攻撃を受けたこともあり、「日本なんて少し共産化した位が丁度いい」と考えていた節があり、その考えが修正されるのはさっき述べた朝鮮戦争前後のことで、それ以前は日教組や日本共産党の再建を許してもいる。


アメリカにとって、とにかく怖いのは「軍国主義日本の復活」なのだから、日本を縛り付けて二度と軍備を持たせないように、戦争に向かないようにするために、日本国憲法というものを急ごしらえして押し付けたのもこの頃で、それを当時の日本人は有難がって押し戴き、それ以後長きにわたって金科玉条の如く墨守するという、奴◯のような態度を取り続けることとなる。


憲法を策定した理由として、マッカーサーは日本を永遠の後進国とするために、精神的なものも含めて徹底的に日本を破壊しようとした結果の産物だという点には特に注意が必要だ。


俺個人の思い出として、あの日本国憲法の前文と例の憲法九条をセットで中学3年の初夏、無理やり社会科の教師によって一字一句全て覚えさせられたが、正直な感想として「変な日本語だな」と思った事が挙げられる。

特に「戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」って何だ??

我々が決意すれば戦争は起こらないのか?言い回しもくどい。とてもくどいと感じた。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とは?公正と信義「を」信頼してではないのか?

そもそも「諸国民」の中にソ連は含まれるのか?とか考えだすと、なんか脳に虫が湧きそうな文章だなと思いつつ無理やり憶えた。


変な文章になった理由は、GHQの連中が10日ほどで作成した英語で書かれたやっつけメモを日本語に直訳したからだそうだ。

この時にマッカーサーからの初期の指示の中には「日本は自国の防衛の為であっても戦争を放棄する」との極端なものがあったらしく、これでは日本人は皆殺しになってもOKだと言ったに等しいだろう。


つまり昭和20年8月の段階ではアメリカは共産主義を危険視していなかったし、ナチスドイツと大日本帝国という難敵を倒したことで、これで人類は戦争から解放されると本気で考えて有頂天になっていたということだ。

実におめでたいというか能天気というか、アメリカ人らしいと言ってしまえばその通りなのだが、なんたるアホさ加減かと呆れるばかりだ。


そもそも第二次世界大戦におけるアメリカの戦争目的とは東欧諸国をヒトラーの支配から解放する事と、中国大陸での利権確保だったのにも関わらず、二つとも見事にスターリンと毛沢東にくれてやるというお粗末な結果で、第二次世界大戦によってアメリカが繁栄を謳歌し世界一の超大国になったなどという説は相当割引いて考える必要がある。

朝鮮戦争前後はようやく共産主義の危険性に気づき、アメリカ本土ではアカ狩り(レッドパージ)が行われた事によって共産主義者は公職を追放され、冷戦終結まで長らく共産主義はアメリカにおいてはご法度となった。

そして朝鮮戦争後は共産主義国に対して、アジア方面では実質的にアメリカ単独で立ち向かわなくてはいけなくなったが、本来であれば大日本帝国と中華民国という友好国と連携して対処できれば、もっと早期に抑え込めたはずなのだ。


なお、1952年(昭和27年)5月3日、アメリカ議会聴聞会においてマッカーサーは「明治以降、1945年に至る日本が起こした一連の軍事行動は侵略戦争ではなく、自衛のため、生き残るための戦争であった」旨の証言をしている。


これは彼が突然発狂して日本を擁護したわけではない。

マッカーサーは、自分自身が日本に居る状況下において初めて、朝鮮半島が敵対勢力によって占領されたら日本がどうなってしまうか?という地政学的リスクを身をもって体験できたからだ。

そしてなぜ、日本が日清戦争以降あのような行動を取ったのかようやく理解できたわけで、間抜けなことに気付くのが遅すぎた。

また、北緯39度線の重要性には最後まで気付けなかったから安易に38度線で妥協した。

気付いていたなら、より防衛のしやすい39度線(鴨緑江)を何としても確保したはずだからだ。

結局それをさせたくなかった中ソの思惑通りだったわけで、朝鮮戦争は痛み分けという評価が一般的だが39度線を確保した中ソの勝利だと判定できるだろう。


更に言えば、本当の事をよく知らないまま中ソの陰謀にはまってしまい、日本が一方的な侵略行為をしているのだ、との思い込みを基に対応したのはマッカ―サーだけではないから、最後にはバレたとはいえ共産主義者たちの工作は大成功だったと言えるだろう。


しかも21世紀の日本人はまだ騙されたままで「日本は悪い事をした」と思わされている。

日本は戦後一貫して「自国のことを否定する国民」の比率が高いという珍しい国だが、この辺りの教育が変だから自然にそうなってしまうのだ。


結局マッカーサーは共和党の大統領候補となることは叶わず、自身の副官を長らく勤めたドワイト・D・アイゼンハワーが後に大統領に就任したが、「改心」したマッカサーがもし大統領になっていたら、その後の日米関係は大きく変わった可能性がある。


ついでだから書くのと、俺の偏見だから笑ってくれていいが、アメリカ人とは陽気で明るく、お人好しが多い印象で、思い込みもまた強いから敵にまわると厄介だが、根が善人なので「改心」したら強力な味方となる確率が高い。

アーレイ・バークなんてその典型的な人物だろう。

彼は海上自衛隊の創設に尽力した功績によって日本の最高位勲章である「勲一等旭日大綬章」を昭和天皇から贈られており、アメリカ海軍作戦部長を長らく勤めた事もあって自国は元より世界各国から勲章を山ほど貰っていて、彼の記念施設にはそれらが飾られている。

しかし唯一「勲一等旭日大綬章」だけはレプリカが展示されている。


他は全て本物なのに。


この理由は、本物は彼の遺言により彼自身の胸にそれだけが飾られて永遠の眠りについているからだ。

そこまで喜んで名誉としてくれたのだ。


それは良いけれど、何故同じ勲章をカーチス・ルメイなんて外道に贈ったのだろう?

今からでも取り消して欲しいと思うのは俺だけじゃ無いはずだ。


ともかくソ連によって操られた具体的なスパイたちの名前はソ連崩壊後の1995年に「ベノナ文書」という証拠が出てきていることで確定的になっている。


この辺りのことはF・ルーズベルトの登場時に詳しく検証したいと思う。

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明治に転生した令和の歴史学者は専門知識を活かして歴史を作り直します 織田雪村 @teruko009

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