第56話 エカチェリンブルクの脱出

明石元二郎中将は部下と共にロシア国内で長期にわたって潜伏しながら機会を伺っていた。

元老の近衛公爵親子からの直々の依頼に基づく任務だ。

依頼内容はロシア皇帝一家がボリシェビキ共産党によって暗殺される前に救出し、日本へ避難させる事だった。

その後に皇帝一家をどのように遇するのか、また利用するのかは聞かされていないが、日本の未来を大きく左右する事になるだろうと容易に想像できた。


明石中将は日露戦争勝利に多大な貢献を果たした。

ロシア支配下にある国や地域の反ロシア運動を支援し、またロシア国内の反政府勢力と連絡を取ってロシアを内側から揺さぶる為、様々な人物と接触した。

特に当時革命運動の主導権を握っていたコンニ・シリヤクス率いる フィンランド革命党などを通じて様々な抵抗運動組織と連絡を取り、資金や銃火器を渡し、デモやストライキ、鉄道破壊工作などのサボタージュが展開されていった。結果としてデモ・ストライキは先鋭化し、ロシア軍はその鎮圧のために一定の兵力を割かねばならず、極東へ増派しにくい状況が作られた事によって日本の勝利に貢献した。


しかし日露戦争後は決して順風満帆な軍歴を重ねてきたわけでは無い。

1914年(大正3年)には陸軍参謀次長となるが、その一年後には左遷されている。

明石自身は問題なく職責を全うしていたにもかかわらず、左遷された原因としては職業蔑視という言葉が当てはまるかも知れない。

海外では、例えばイギリスにおいては国家の為にスパイ行為を行うのは、イギリス紳士にとって名誉な事であるとされており、だからこそ「007」が映画化され大人気となるのだが、日本はそこまでの風土を持っていない。

正面から正々堂々と戦うのが正義であり、裏でこそこそするなど武士の風上にも置けないなどという心理が強いのではないか。

しかし、日露戦争という国家存亡の折にはそんな事を言っている場合ではないから、明石たちの活動は非常に重視され、結果として日露戦争勝利に大きく貢献したわけだ。


だが依然として明石を警戒、若しくは敬遠する空気は根強く、平和が訪れると結果的に更迭された。

もっとも、その原因はこの人の性格によるところも大きいだろう。

この人は個性的だと以前に表現したが、それはかなり控えめな表現だ。

才能に優れていることに疑いは無いのだが、周囲との協調性に欠けていたと言って良いだろう。

その行動や言動も日本では一般的な常識とされる範疇を超えており、「奇行」「変人」「常識無視」といった感じで、周囲の理解が得られることは無かった。

言ってしまえば日本のような均一性と協調性が求められる社会になじめなかったという事か。

21世紀でもこういった才能のある人が"出る杭は打たれる”式に埋もれているケースは多いと思われる。

世の中にはいわゆる常識人・秀才では解決できない問題は多いのだ。

困難な時期であればこそ、そういった人物の突破力と奇抜な発想が重要なのだが。。。

しかし、その反面というかその分というか、諜報活動においての能力は他の追随を許さない。

普通の日本人なら尻込みするような過酷な環境にも耐え、皇帝一家と接触する機会を探っていた。


皇帝一家は革命臨時政府により軟禁状態にあったが、それはボリシェビキ共産党に引き継がれ、扱いはさらに酷いものとなって、遂には人道的に問題となるレベルになっていった。

そして一家はエカチェリンブルクというウラル山脈東方山麓の街に送られ、秘密警察によって裁判無しで処刑されるらしいとの情報を入手した明石中将は、旧ロシア宮廷や政府内に残っていた皇帝派の人物たちと協力して、皇帝一家救出作戦を決行した。

第一次大戦終結直後の1917年7月11日深夜、エカチェリンブルク郊外のイパチェフ館に監禁されていた一家を救出するために、まず周辺で陽動となる火事騒ぎを複数個所で起こし、警備の兵士の目をそちらに逸らした隙に、皇帝一家とその側近の人々たちを救出する事に成功した。


明石中将は、このままロシア国内に留まることは非常に危険であると皇帝一家を説得し、同意を得たうえで日本陸軍の帰国に紛れ込ませて、皇帝一家とそれに従う人々を日本へ避難させる計画を立てる。

結果として50万人の日本軍に護らせる形でシベリア鉄道を利用して皇帝一家を含むロシアの人々を日本へと送り届けた。

ボリシェビキや赤軍の兵士たちは秘密警察チェーカーを通じて皇帝一家の脱出後の動向を察知していたものの、ロシアの難敵だったオーストリア帝国を一撃で屠った実績を持つ、50万人にも及ぶ日本軍に対しては何も出来ず、ただ指をくわえて見ているしかなかった。

彼らが出来た事は日本に対する非難声明を出す事だけだった。

彼らとしては、皇帝一家の身柄を奪われた事は痛恨の出来事だっただろう。抹殺してしまえば口封じが出来たが、脱出されてしまったからには皇帝側のボリシェビキに対するネガティブキャンペーンに繋がるし、反共産党のシンボルに祭り上げられてしまうからだ。


ここから日本とソ連の間で本格的な因縁と呼ぶべき抗争が開始される事となった。

日本軍は帰還する遣欧陸軍と交代で、日露戦争において大活躍した北海道駐留の第七しち師団をシベリア中部クラスノヤルスクに進出させ、ソビエト共産党と赤軍の東進を食い止める事とした。


皇帝一家救出の極秘情報を駐英日本大使館を通じて得た俺は、小躍りしたい衝動にかられたが寸前で我慢できた。

これで俺の計画は一歩どころか二歩以上前進できそうだ。

ついでに俺は駐英日本大使館を通じて父と連絡を取り合い、ロシアやウクライナの穀倉地帯において都市部に運搬されていない穀物類の日本への輸送を提言しておいた。

もともと、ロシアへの援軍を出すための兵糧は日本持ちだったので、日本国内の米価が上昇傾向にあって、このままでは史実の「米騒動」に繋がりかねないと危惧したからだ。


遣欧陸軍では秋山大将や文麿たち幕僚はまだ現地にいるが、ほどなくして帰国の途につくだろう。

日本政府はソ連に対する干渉戦争も計画はしていたみたいだが、皇帝一家の安全を優先した格好だ。

それにしても日露戦争に続く秋山大将の武勲は今後100年は日本国民に語り継がれる事となるのではないかな。

何といっても中央軍事同盟のメインプレーヤーであったオーストリア=ハンガリー帝国を降伏に追い込んだのだ。

イタリアやギリシャ、ルーマニアといった周辺諸国への「貸し」も莫大だ。

そういえば、史実の大日本帝国の満州進攻に最も過敏に反応したのは、ルーマニアやチェコといった東欧諸国だった。

彼らは当時ソ連の脅威に晒されていた事もあって、遠く離れたアジアの軍事大国である日本の置かれた状況や立場などよく知らないまま、「大国による軍事侵略は許されない」などと国際連盟において騒いだことにより、日本の立場が極めて悪くなり、国際連盟を脱退せねばならなくなった原因となった。

国際連盟を支えていたのは日本だったにもかかわらず。

これが21世紀に続く「日本悪玉論」の元凶となったとも言える出来事だ。

まあこの世界では海洋国家となった日本は、そんな事態には決してならないだろうから気にする必要はないが。


ベルリン攻略を担当した日本陸軍はまだイギリスに帰還してきていないが、俺の所属する遣欧艦隊は任務を終了し、陸軍より一足先に帰国の途につく事となった。

もう戦争は終わったから、陸軍の輸送船が帰路に襲われる心配はない。

俺たち遣欧艦隊が護衛しなくても大丈夫という判断だ。

7月末、国王ジョージ5世への帰国の挨拶を済ませた遣欧艦隊が出港したポーツマス軍港には30万人以上にも及ぶイギリス市民が軍港を埋め尽くし、名残を惜しんでくれた。

同盟国としての期待以上の働きが出来たことで、今後の日英同盟も問題なく継続できるだろう。

そもそも日英同盟はロシアを共通の敵とする事を目的として結ばれた同盟だったが、今やロシアは同盟国を経て消滅してしまった。

今後は新たに成立したソ連と、第一次世界大戦に参戦しなかったことで、モンロー原理主義を頑なに貫くであろうアメリカが共通の敵となる。

既に4年前に更新された第三次日英同盟において、アメリカを仮想敵としないという項目は削除されたから、日英同盟はこれから新たな段階へと進む事になるだろう。

この大戦に対する決定的な働きが出来たことから、これから行われる講和会議においても日本は主導的な立場を取ることが可能となるだろうから楽しみでもある。


帰国したらロシア皇帝一家の皆さんと重要な協議が控えているし、また忙しくなりそうだ。

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