第30話 ポーツマス講和条約②

日露は噛み合わない主張を繰り返し、協議が平行線をたどること2週間、ウィッテに焦りが生じ始める。


ロシア本国の民衆がまた動揺し始めたとの情報が入ってきた事と、奉天周辺の日本軍の士気は極めて高く、既に部隊配置を完了しており、いつでも奉天へ突入できる体制となっているらしいとの情報がもたらされたからだ。

更に日本軍は連日にわたって大規模な「演習」を行い示威行動を見せているとのことだった。

奉天を突破されたらもうそこから北にロシア軍は存在していない。

そして今、奉天に残る守備隊は兵力も少なく、また兵士は疲れ果てて士気は落ち、日本軍の「演習」を見せつけられた兵士たちの秩序は崩壊寸前だと聞く。

とてもではないが日本軍の組織的な猛攻から守り切れるものではない。

日本軍の補給体制がどこまで整っているか分からないが、もし奉天から更なる北上を許せばロシアの威信は地に堕ちる。


更に腹立たしい事にアメリカのルーズベルト大統領の態度は終始一貫して日本寄りだった。

仮にこのまま平行線が続き、講和会議が決裂すればアメリカはメンツを潰されたと怒り、日英同盟に加わるかもしれないと恐れ始めた。


そして一番ウィッテの頭を悩ませたのはロシア軍捕虜の問題だ。

交渉が長引く事で怒ったアメリカが、講和会議の内容と途中経過を自国のマスコミに流せば大変なことになる。

ただでさえロシア国民の動揺が収まらないのに、講和が成立しなければ二十数万人にも膨れ上がった捕虜も返還されないのだ。

交渉が長引けば捕虜返還もまた遅くなるし、交渉決裂は何としても避けなければならない。

万が一にも交渉が決裂してしまえば家族を捕虜として取られているロシア国民は帝国を許さないだろうからだ。

情報が漏れることにより「血の日曜日事件」以上の騒ぎが起きれば帝国の命運をも左右する事態につながるかもしれない。


ルーズベルトの態度から以上のリスクを感じたウィッテは日本側の要求をある程度飲むしかないと考えるようになった。

その結果、更に紆余曲折の交渉を経て最終的に講和内容として合意に至った事は次の通りだった。


1、樺太全島の日本への割譲

2、朝鮮半島へのロシアによる干渉の完全停止

3、ウラジオストクとナホトカに日本の通商代表部を設置する

4、ロシアは賠償金30億円を日本に対して支払う


以上を持って正式にポーツマス講和条約は発効した。

1905年(明治38年)6月15日だった。


1、は希望通りに認められた。既に日本軍が占領していたが。

2、は日本にとってはどうでもいいのだが、イギリスにスムーズに引き継ぐために必要だった。

3、については日本海を通じた経済・物流ネットワークに取り込むのが狙いだ。

4、は20億円しか出せんというロシアとの交渉の結果だ。


裏話としては南北満州全域の割譲という日本側の条件を呑もうとしたウィッテに対して「土地よりカネを寄越せ」と父が凄んだ結果、最終的に30億円まで上がったらしい。

直接父から聞いたのだがそれは聞かなかった事にしよう。

まあ満州なんかもらったら折角の海洋国家路線がパーになるし、本音はカネが欲しいのだ。


こうして日露戦争は日本の完全勝利で終わった。

戦争期間は史実より短い1年4か月。

日本側の戦死者1万2000人、傷病死者5000人、傷病者5万人の損害を受けたが、これは史実より随分少ない。

戦況が良かったし、無謀な突撃も少なかった事と、そもそも戦争期間が短く済んだことが大きい。


全期間で要した戦費は20億円とこちらは史実とほぼ同額だ。

戦闘期間は短くなったが武器弾薬その他が史実以上に潤沢に補充できたために戦費が増大した格好だ。

また賠償額との差し引きで10億円の黒字とすることが出来たが、これは日本の国家予算2年分に相当する。


翌年セオドア・ルーズベルト大統領は今回の講和の斡旋によりノーベル平和賞を授与される事となる。しかし満州に日本が来ると予想し、恩を売って中国大陸へ進出しようとした彼の思惑は外れ、英米の火種の遠因となっていくのはまだ少し先の話だ。


父と小村外相からの連絡を受けた日本政府は新聞を通じ、国民に向けて今回の講和内容を発表した。


・樺太全島を取得したこと

・環日本海の通商ネットワーク構築に着手すること

・国家予算6年分となる賠償金30億円を得たこと

・日本の安全は確保されたため朝鮮半島から撤退すること

・引き続き日英同盟は継続予定であること。


講和内容と今後の方針を知った日本国民は喜びを爆発させ、日比谷公園に集まった群衆は狂喜乱舞して父と小村外相の功績を讃えた。

たとえ勝っても得るものは何も無いと最初から覚悟していたのだ。にもかかわらず望外の結果であり、驚いた国民は誰もが喜んだ。

「臥薪嘗胆」を強いられ、悔し涙を流してからちょうど10年だ。税金が上がっても文句を言わず、ロシアに報復する為に頑張った血の滲む努力が報われたのだ。


もしかしたら小村神社とか近衛神社が建立されたりして。実際に乃木神社、東郷神社、広瀬神社は令和に存在していたのだから。

それにしても賠償金を得たことは本当に大きい。

これからの産業育成に活用できそうだし、いろいろプランを練って父に進言してみよう。


日露戦争の結果が伝わった海外ではロシアによって圧迫されていた北欧諸国。特にフィンランド。そしてポーランドとバルト海沿岸の民衆達。露土戦争で苦しめられ続けていたオスマントルコの民衆といった人達が日本の勝利に対して沸き立ち、自分の事のように喜んでくれた。


同時に白人国家である列強によって抑圧されていたアジアの人々も白人に対してコンプレックスを吹き払うきっかけになるはずだ。

何しろ有色人種が近代兵器を用いて初めて白人国家を、それも超大国のロシアを正面から戦って降したのだ。

この影響は史実同様にアジア全体へ大きな歴史的転換をもたらすきっかけになるだろう。


父と小村外相は講和条約が締結されるとすぐさまイギリスへ渡った。

同盟関係の継続と朝鮮半島の併合について話し合う為だ。

当初イギリスはなぜ戦勝国である日本が朝鮮半島から手を引くのか怪しんだが、最終的に父と小村外相に騙される格好になった。

父と小村外相は揃って「実はもう陸軍に継戦能力がない」「海軍の損害も大きく朝鮮半島を維持するだけの制海権を取れそうにない」などと嘘八百を並べたのだ。


イギリス側は「全く知らなかったがそんなに損害が大きかったのか!」と日本の防諜体制が徹底していたのだと誤解した。

そして驚きつつも日本側の提案を受け入れた。

軍事力の空白地帯が出来るのを避けたかったという側面もあるが、実はイギリスとしても日本が強くなりすぎる事への警戒感があったのだ。

よって中国大陸の利権を維持したまま、併せて朝鮮を併合することに決めた。

なお日本は沿海州方面と同様、漢城と釜山に通商代表部を新たに設置し、交易に関しては日本が優先すると定められた。


それを聞いた俺は安堵のため息を漏らすのであった。

遂に俺の目標としていた第一段階をクリアした。これで日本が大陸に進出する恐れは無くなった。

これからは国内の産業を育てて貿易で国を豊かにしていこう。


これからの歴史はますます不透明になるな。

帝政ドイツを見逃さないようしっかり捕捉しておこう。

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