第26話 戦争の行方

1904年(明治37年)4月


新年度となり、18歳となっていた俺は進路を決めた。

文麿がそうであったように大学に進むという道もあったが、俺は海軍を選んだ。

港区芝の増上寺にある「海軍主計官練習所」へ進学することにしたのだ。

あの廃仏毀釈により一部の建物が壊された跡地に建てられた海軍の施設だ。

そう言えば以前ここを訪れた時に見たな。

ここで3年間の勉学の後に実戦部隊へ配属されることになる。


ちなみに主計官とは軍艦内での経理を担当する部署で、被服や糧食、物資の管理も行う。

まあ会社で言えば総務と経理を併せたくらいな役目か。ただし主計課に所属する一般兵は厨房に立つ者もいるから社食も兼ねる感じだ。

なぜ軍人を選んだかといえば、俺はもともと前世でも学者で荒事の経験はないし、この世界でも同様だ。

頭でっかちなのだ。

だから最前線での軍務経験を積んで胆力を高めておきたいという気持ちがあった。

皇族ではないから軍人になる特別な義務はないのだが、国民から歓迎されることは間違いないので苦にはならないし父も賛成してくれた。

何しろ華族筆頭で国民的人気の高い父の長男である俺が軍人の道を選択すれば、父と近衛家の人気はさらに高まるだろう。

近衛家は単なる貴族では無い。我々の先頭に立って戦ってくれるのだと評価してくれる事になるだろう。

そうなってくれれば良いが。

軍人を選んだ理由をもっと言えば近衛篤麿の長男だからだ。

父は貴族出身とは思えないくらいの「武闘派」で肝も据わっている。

その人物の長男がモヤシのような軟弱では話にならないと思ったのだ。

一般家庭でも父が「武闘派」と世間に認知されている場合、その人物の子供が「普通」であっても実際より軟弱に見えてしまうだろう。そういうことだ。


海軍に進むにあたっては海軍兵学校を選んでも良かったのだが、あちらは広島県の江田島にあって東京からは離れている。

だがこちらは都内なので父との連絡にも困らないからこちらを選んだ。

なお一般入学とは違うから試験は受けておらず特別枠だ。コネ入学・裏口入学みたいなものか。

また普通の軍人とは違い、常に軍務に縛られるというほどでもなく、ある程度の自由も確保できている。


辞めようと思えば辞められるし、休職も可能だ。


特に俺の場合は父の後を継いで貴族院議員にならなければならない責任もあるから、最前線に常に立ち続けるわけにはいかないということもある。


戦況は予定通り優勢に進軍しているが、史実と違うのは陸軍の進撃速度がかなり速い。

もっともいくら学者だったからといっても、代表的な戦闘以外の細かい部分の日付まですべて記憶してはいないが、イメージと違うことは確かだ。

要因としてはおそらく補給が史実よりスムーズだからだろうと考えている。


まず最初に軍部が当面の目標としたのは、日本にとって因縁の土地である遼東半島をめぐる戦いに勝利して地歩を固める事だ。

遼東半島先端部に位置する旅順要塞と、旅順を母港とするロシア太平洋艦隊を攻略するため、敵艦隊を旅順に閉じ込めた状態で後背にある山を奪取し、そこから艦隊を砲撃する計画が立てられ、敵艦隊を港外に出さないための閉塞作戦を実行する。


なぜ旅順にこだわったかといえば早期に旅順要塞を攻略し、敵艦隊を撃滅しないとロシア本国からの増援である通称バルチック艦隊が到着して圧倒的不利になるからだ。

日本の連合艦隊とロシア太平洋艦隊の兵力はほぼ拮抗するので、ここにバルチック艦隊が加われば勝利は絶望的になる。

だからまずは早期に太平洋艦隊を無力化する必要があった。

つまり時間差をつけた各個撃破を狙ったわけだ。

もしこれに失敗し、敵の合流を許せば戦争の行方は一気に不透明となり、日本の勝利は遠くなる。

更に制海権を失う事態になれば補給が途絶して陸軍は戦えなくなってしまうので、何としても早期に旅順を攻略する必要があったのだ。


まず史実から述べると旅順港の閉塞作戦は不完全に終わり、後背地への攻撃も思うようには進まなかった。やがて有名な203高地奪取へと目標が変更され、1万7000名の戦死者を出しながらようやく成功した。


203高地を制圧したのは翌1905年元日のことだった。


しかし今回はかなり違った。

旅順口閉塞作戦が不完全だったのはそのままだが、旅順要塞に対する攻撃が早まり、主力の28センチ砲も史実より多く配置され徹底した砲撃が加えられたことと、要塞を飛び越えて旅順港に着弾した砲弾によって多くの艦が傷ついて無力化されたのだ。

よって翌年正月までかかったはずの要塞攻略作戦は9月末には終了していた。

また203高地への突撃は行われなかった。

この旅順をめぐる双方の損害は日本側が戦死者2000名、ロシア側の戦死者6000名だ。

そして旅順要塞は降伏し、ロシア側は陸海軍合わせて5万5000名の捕虜を出すこととなった。

史実と比べて双方の戦死者数が圧倒的に少なくロシア側の捕虜が圧倒的に多い。


なお史実の戦死者に対してかなり申し訳ない話だが、203高地への攻撃はする必要がなかったというのが令和における定説となっていたことは明記しておく。

というのも史実においても要塞を飛び越えて着弾した砲弾により、旅順港の敵艦隊は多くが傷ついていたのだ。

これまでは旅順港内の艦船まで弾が届かなかったので、弾着観測が出来る203高地の奪取が絶対条件であるとの説が流布されていたが、実はそんな事をしなくても実際に弾は届いていたし、効果も十分であったというのだ。

戦場において錯誤は付きものであるがこれでは死者は浮かばれない。


そして史実より2ヶ月早い8月1日、いよいよバルチック艦隊が第二太平洋艦隊と改称し、皇帝ニコライ2世に見送られてロシア本国クロンシュタット港を出港したとの情報がもたらされた。

これから地球を半周しての大航海が始まる。

戦時のしかも大艦隊によるこれだけの長距離移動は人類初の壮挙と言っていいだろう。その後さらなる増援として第三太平洋艦隊が組織され、第二太平洋艦隊を追いかける形で出港する。


この二つの艦隊が合流し、日本近海に到達するまで約7ヶ月。


日本国内のマスコミも「いよいよ敵の無敵艦隊が出港した」と緊張感をあおり、民衆も勝利に浮かれることもなく固唾をのんで状況を見守ることになる。

父のマスコミ対策はここまでは成功しているな。


仮に陸上戦闘は日本軍の勝利で終わってもバルチック艦隊の成否がはっきりしないうちはロシアは諦めないだろう。

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