第25話 日露戦争開戦

1904年(明治37年)1月2日


今日は史実において父が亡くなった日だ。

しかし当然のことながらピンピンしている。

最近はもう大アジア主義には完全にお別れし「大陸」という単語を言わなくなったし、当然の事ながら史実の大陸視察も無かったからだ。

それどころか史実に居なかった弟か妹が今年産まれるらしい。

まあ元気なことは良いことだ。


2月8日

いよいよ日露戦争が始まった。


国運を賭けた大勝負だ。御前会議において陛下は本当は戦争をしたく無いとの意味の和歌を詠まれている。

何故みんな仲良くしないのか?と。

父を含む臣下の気持ちも同様だろうが、ここまで来ればもう戻れない。


日本の大前提は短期決戦で勝利を重ねて有利な状況を作り、早期に講和へと持ち込むという戦略である。

小が大に打ち勝つにはこれしか無い。

時間が経てば経つほど大国に有利になるのは明らかだからだ。

そのため戦争は日本軍による宣戦布告なしの奇襲攻撃から始まった。


念の為に書いておくが、これはもちろん日露戦争の話だ。しかしここまで読んで太平洋戦争開戦時と同じだなと思った方は鋭い。

「国運を賭けた大勝負だ」以下は太平洋戦争時と同じだ。


2月8日夜に旅順港外に停泊中のロシア艦隊を攻撃し、翌9日に朝鮮仁川沖でロシア軍艦2隻を攻撃した。日本がロシアに宣戦布告したのは、その翌日の2月10日だった。

だからロシアは宣戦布告前に攻撃したのは国際法違反だと強く訴えた。

しかし、あまり問題にならなかった。当時は大半の戦争が宣戦布告なしに始まっていたし、宣戦布告前の攻撃を違法とする条約はまだなかったからだ。

それに最後通牒は既に手交していたし。

ロシア軍は日本軍の実力を過小評価して舐めていたのだろう。


そこから先は破竹の勢いで進撃を継続中で、順調に北上して勝利を重ねて行くだろうが、これから俺が注意すべき事は敵ではなく味方だ。


それは新聞と雑誌を中心とする日本国内のメディアの動きだ。

開戦前の日本には恐露病(きょうろびょう)という言葉があったほど、超大国ロシアに対して恐れを抱く風潮があった。

恐(おそ)ロシアという感じか?これは俺が勝手に作った駄洒落だが。


三国干渉後は臥薪嘗胆がしんしょうたんの言葉が流行り、いつかロシアをやっつけてやるとの民意が形成されていって恐露病は影を潜めていくが、潜在意識には残ったままだ。


それが戦争に突入した途端に連戦連勝して行けばマスコミの論調と国民意識はどうなるか?


・第一段階として、まずは狂喜乱舞して全国各地で提灯ちょうちん行列のオンパレードだ。


・第二段階に進めば人間は「慣れ」が出てくる。

するとどうなるか?

勝ちに慣れると今度はロシアの事を「露助(ろすけ)」と呼び、見下すようになるのだ。なんだ思ったほど大した事がないじゃないかと。恐れていて損をしたと。


・第三段階へと進むと「欲」が出てくる。

「どんどんやれ!もっと北に進撃しろ!」「こんなものじゃまだ足りない」と言い出す。


・最終段階としてポーツマス講和条約を結んだら「なぜ領土をもっと取らなかった」「なぜ賠償金を得られなかった」と騒ぎ出す。

政府は最前線で弾薬が切れている事実を国民に知らせていなかった。

これは講和会議における交渉で不利になるから当然だ。何でもかんでも馬鹿正直に公開するものでは無い。手の内はさらせないのだ。


しかし国民は連日勝った勝ったと景気の良い記事に慣らされ、踊らされ、しかも弾薬切れの事実を知らされていないから弱気の講和内容を知り憤慨して暴れ出す。


結果起こったのが「日比谷焼き討ち事件」だ。

小村寿太郎の家も投石被害に遭い国賊呼ばわりされた。


あの事件の意味は大きい。

日本人による初の反政府デモだからだ。一揆とはワケが違う。

民意とは昔も今も移ろいゆくもので無責任だ。

しかも日本人には強度の同調圧力という伝統まであって冷静になれる人は少ない。

さらにマスコミは自分たちの新聞や雑誌が売れれば何でもよいとばかりに大衆をあおり、政府を責め立てる。


今回ロシアに勝った結果、得られた領土が樺太だけで、南満州も取れないし、更に朝鮮半島はイギリスに渡すと知った大衆は当然騒ぐに決まっている。

そしてその規模は日比谷焼き討ち事件の比ではないだろう。

桂太郎内閣は総辞職の憂き目にあい、父も責任は逃れられないだろう。いくら政府・議会・宮廷の同意を得られていようが民意はまた別の話だ。


俺はそんな事態にならないよう父に進言して、いわゆるマスコミ対策をずいぶん前からしてもらっていた。


その内容は人間心理を利用したものだ。

最初に敢えて、そして故意に悪い情報を流しておくのだ。具体的には「相手は強大で傲慢で、いくら日本が勝利を重ねても自分の戦況不利を決して認めない。どれほど勝ち進んでも賠償金など一切引き出せないし、一片の領土も得られないだろう」と盛んに喧伝しておくのだ。

しかし結果としてほんの僅かでも得るモノが有れば「120%の勝利だ」と大衆は満足する事になる。


日常生活に例えるなら買い物をした際に、はじめから「値引きは一切できません」と言われ、それに納得し購入したとして最後に「1000円だけ値引きします」と言われたら嬉しいだろう。


予想外だからだ。


しかし、もしかしたら相手の値引き枠は2000円だったかもしれないのだが。

つまり、最悪の事態を予想させ覚悟させたうえで、それよりもややマシな結果を提示すれば人間は納得するのだ。

こういう心理を専門用語で何というかは俺は心理学者でもフロイトでもないから知らないが、大衆に対しても応用して使えると考えた。


そもそも忘れてはいけないのはこの戦争は日本の防衛戦争だという点だ。

勝てば得られるモノが有って、負けて失うモノの事など想定していないロシアとは違う。

日本は負けたら全てを失うのだ。


だからロシアの南下政策を挫くじけば戦争目的は達成されるから、領土や賠償金といった得るものが何もなくても納得させやすいという素地がもともとある。

これを利用するのだ。


以上の事を父に説明し、賛同した父は以前からこれに沿ったマスコミ対策をして各社を回っていたのだ。

国民的人気の高い父の言葉は効果があったようで、今のところマスコミの報道も抑制的だ。


ここから本格的な戦争だな。

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