第21話 渡航の目的
翌1903年(明治36年)2月
日露開戦1年前となる頃に高橋是清は外債購入交渉の為に出発した。
俺は17歳となり、英米視察を建前として同行を許された。
国運をかけた交渉を前にした彼の胸中はどんなものだろう?
暇な船中では高橋是清と積極的に話すようにしている。
彼は今年40歳になるおじさんで話を少しするだけでその優秀さが伝わってくる。
のちにダルマさんと呼ばれる事になるが、この頃はまだ比較的スリムな体型だ。
26年後に起きる世界恐慌は当然世界をパニックに陥れたが、主要国で最初に立ち直ったのは日本だ。
高橋是清が蔵相として陣頭指揮に当たったお陰だ。
またこの人の名言として有名なのが「1足す1が2で、2足す2が4だと思いこんでいる学校秀才に生きた財政はわからない」がある。
そんな偉人と気さくに話ができる事が嬉しい。長い付き合いになると思うので大切にしよう。
なとど考えていると彼から聞かれた。
「そういえば近衛様は何か目的があって今回来られたのではないですか?何となくですが、ただの外遊ではないのではと感じます」
と鋭い突っ込みが。
しかし外遊って何だ?俺は公爵家当主じゃ無いぞ。
それに歳の差は23もあるんだぞ?様って何だ?
まあいいか。打ち明けてみよう。
「実はロンドンで会いたい人物がいるのです」
「ほう…それはどなたですか?」
この人なら…言ってみよう
「ジェイコブ・シフという方です」
彼は当然シフのことを知っていて
「アメリカの著名な銀行家ですね。モルガンに次ぐ大きな銀行ですね。彼が戦時公債を引き受けてくれたら大変ありがたいとは思いますが、可能性は未知数です。
しかし我々はアメリカに向かっていますが、何故ロンドンでお会いになるのですか?」
しまった。
そうだった。
何で彼がイギリスにいる事を知っているのだと突っ込まれたら返答に困る。
「・・・確かそんな記事を新聞で見ました」
正しくは高橋是清はニューヨークで公債の引受先を探したが不調に終わり、交渉相手を求めてロンドンに向かった事を知ったシフがイギリスまで追いかけて来たというのが真相なのだが。まだ未来の話だ。
「・・・そうですか。それで会って如何なされるのですか?」
彼は疑念の表情丸出しだ。
困った。ここは何と言うべきか
「ともかく今回の外債募集に当たって鍵となる人物なのです」
これも悪手か!つい余計な事を言ってしまった
「・・・ではシフが外債を引き受けてくれると?」
変な汗が…
「その可能性はあると思いますので、私も同席させて下さい」
「・・・わかりました。その時はお願いします」
あぶないあぶない。
彼は全く納得していない表情だが、まさか俺が未来の事を知っているとまでは思わないだろう。
これからは余計なことは言わないよう気を付けよう。
そんなこともありつつ結局俺はシフとの面会を果たす事が出来たのだが、ここでなぜこの人物にこだわるか説明しておく。
史実において最大の外債購入者だったからだが、それだけでは無い。
ジェイコブ・シフのジェイコブは英語読みだが、本来の名前はヤコブでこれはヘブライ語だ。
つまりユダヤ人なのだ。
そしてこの時代、ロシアで荒れ狂っているのがポグロムだ。
ポグロムとはロシア語で「破壊」とか「破壊する」を意味する。
何を?
ユダヤ人、あるいはユダヤ人の共同体をだ。
歴史上ユダヤ人を迫害するのは別にドイツ人の得意技という訳では無い。
キリスト教徒、特にカトリック系では珍しく無い。
何故ならキリスト教徒から見て「主イエスを死に追いやったのはユダヤ人」なのだから。
その点で同じキリスト教徒でもプロテスタント系であるイギリスやアメリカでは比較的迫害が少ない。
非主流派でカトリックと対立したからだ。
だから金融業を営むユダヤ人は
念のため触れておくがユダヤ人とは人種の事ではない。
ユダヤ人の定義は「ユダヤ教の信者、またはユダヤ教徒の母から生まれた子、またはユダヤ教に改宗した者」だ。
つまりユダヤ人とはユダヤ教徒の事だ。
だから令和の時代には黒人のユダヤ人ももちろんいた。
よって「ユダヤ民族」という表現は混乱を招くので、21世紀おいてはあまり使われない。
またイスラエルに住んでいてもユダヤ人でない人は「イスラエル人」と表現される。
令和の時代、ユダヤ人は1300万人程度と言われていたからイメージよりは信者数は少ないか?
ナチスが
ついでに言えばユダヤ人=金融業というイメージがあるが、何故そうなるかは簡単だ。
それしか生きる道が無かったからだ。
キリスト教徒が嫌がる金融業をやるしかなかったのだ。
なぜ嫌がるかといえば同じキリスト教徒から金利をとることは神の教えに反するからだ。
ユダヤ教でも信者同士では金利を取ることは禁じられていたが、幸い周囲はキリスト教徒ばかりだから金利をとっても全く問題ない。
だから金融業を営むユダヤ人が多かったのだが、時代は農業から近代工業へと移り変わり、金融業の果たす役割が大きくなると必然的にユダヤ人は裕福になり、貧しいキリスト教徒の憎悪と迫害の対象になったのだ。
洋の東西を問わず人間の持つ「
そしてこの頃ポグロムのピークを迎え、ロシアではユダヤ人迫害が横行していた。
シフはこれを大いに憂慮していた。
そこで同じユダヤ系金融家と連携してロシアとの取引をやめ、資本を引き上げてロシアを締め上げる挙に出た。
同胞を助ける為だ。
それだけでなくシフはロシアと敵対する日本に目を付け、勝利を期待して日本の戦時公債を引き受けたのだ。
その額は日本が求めた公債の半額に当たる5000万円、令和の貨幣価値に換算するとだいたい3000億円ほどか。
これがきっかけとなり残りの5000万円もすぐに買い手がついて日本は一安心したわけだ。
余談だが日露戦争の借金を完済したのが1986年(昭和61年)だった。
長いお付き合いだったな。
もしポグロムが発生していなければ日露戦争においてロシアは史実よりもっと強かっただろうし、逆に日本は武器弾薬に事欠く有様で戦況がどう転んだか危ぶまれる。
少なくとももっと苦戦しただろうし、弾薬の切れた日本陸軍は“お家芸”の肉弾突撃を多用する事になって死傷者数が跳ね上がった事は疑いない。
以上が史実なのだが俺はこれで終わらせるつもりはない。
ここからが正念場だ。
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