第90話

体育館を飛び出した私は

そのままがむしゃらに走り続ける。


夏向さんの私を蔑むような瞳が頭から離れない。


逃げても逃げても

執拗に追いかけてくる。



夢中で走っていた私は

気付けば、坂の上、見慣れた桜の木の下へたどり着いていた。


人気のない広場へ駆け込むと

私は崩るように木の傍へしゃがみこむ。



息が切れて

呼吸が上手くできない。


胸が苦しくて

私は思わずシャツの胸元を強く握りしめた。



「っ、」



私は隣にそびえる桜の木を見上げると

静かに歩み寄って、その幹にそっと手を触れ目を閉じた。


自分の気持ちを伝えるのが怖い。

夏向さんは遠い目をしてそう静かに弱音を吐いた。


大丈夫だよ。

きっと気持ちは届くから。


それでも怖いと言うのなら

―――最後に“とっておきの魔法”をあげる。



私は呼吸を整えるように深く息を吐くと

桜の幹に触れたまま、微かに震える瞼を閉じた。



「……夏向さんが好きな人と幸せになれますように」

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