第11話 デートの約束

◇◇◇◇


 王太子妃主催の茶会が終了した次の日。

 物品の確認を終えたリドリアは、クリップボードを胸の前に抱えて王城の廊下を歩いていた。


 王太子妃の執務室に向かい、報告をするためだ。


 お茶会は大好評で、今朝、リドリアが出勤してきたときから、『王太子妃さまは次、どのようなお茶会を開催されるのか』と顔見知りの貴族子女から質問攻めにあったほどだ。


 王太子妃ソフィアが嫁いできてから3年。このように彼女が王宮内で「よいこと」で話題にのぼることはない。ソフィアの侍女として働くリドリアはとても鼻が高かった。


 リドリアは建屋を出て、回廊を歩く。

 向かう建屋は王太子妃や王妃、王女が使用する場所だ。


 私室ではなくあくまで執務室や客人接待用に使用される。主に公務の場所だ。

 回廊は煉瓦敷されていて歩行にはなんの問題もない。


 カツカツとヒールの音を立てて歩いていると、不意に庭の茂みがガサリと鳴った。


 顔を向けると、その人物はまっすぐに自分に向かってくる。


 セナだ。

 肩を怒らせ、顔を紅潮させているため、彼女のトレードマークでもあるそばかすがまったくわからない。


「ちょっと!」

 言うなりリドリアの腕をつかみ、回廊から引きずっていく。


「ちょ……! なに!」

「いいから来なさいよ!」


 建屋からも回廊からも人目につかない庭木のところで、ようやくセナはリドリアの腕を離した。


 リドリアは警戒しながら周囲をうかがう。

 珍しいと単純に思ったのだ。


 セナがひとり。


 いつもはメリッサ王女の侍女たちを引き連れ、群れで動くのに。

 現に偽手紙でカフェにおびき出されたときも、彼女は数人で自分を笑いにきたではないか。


(ひょっとしてどこかにまだ誰か潜んでいて攻撃してくるのかも)


 セナに肩を突かれたが、身構えると同時だったため、転倒することはない。


「なによ。やるの?」


 今度は半身になって手刀を作るが、セナが怒鳴りつけてきた。


「あんた、エイヴァンさまに何を言ったのよ!」

「は?」


 想定外のことを言われたため、一瞬「エイヴァンって誰だっけ」と尋ねるところだった。


「あ。セナ嬢の婚約者の?」 


 顔がゆがんだのは昨日、随分と失礼なことを言われたことを思い出したからだ。


「何を言ったって……。私が言われたのよ、エイヴァンさまに。失礼なことを」


 嘘を言って周囲を振り回しているだの、早く真実を告白したほうがいい、だの。

 挙句の果てには自分が吹き込まれた謎真実をアレックスに言い、彼にも苦言を呈されていたのではないか。


「嘘をおっしゃい!」


 セナは低い声で怒鳴った。

 その声音にリドリアは目をまたたかせた。

 いつもなら金切り声を上げるところだ。


 きぃきぃと耳障りな声で文句を言い、周囲の侍女たちはその声に扇動されるように同じ音域の声でリドリアたちをあしざまに罵るのだが。


 いまは低く、どすが利いている。

 そのことに気づき、リドリアはセナが本気で自分に怒りを抱いていることに気づいた。


 現にセナの目には純粋な敵意しかない。いままでのような嘲りも、優位性からくる驕りもなかった。


「昨晩遅く、エイヴァン様が私のお屋敷にいらっしゃって、あんたのことについてなにか言いたいことや訂正したいことがないかっておっしゃったのよ」


 うなるような声音でセナは言う。


「私がなにもないと言うと、『しばらく考えさせてほしい』って。あんたがなにか吹き込んだんでしょう!」


 胸倉をつかみかかってきたので、紙一重でかわし、適切な距離を保ってリドリアは首を横に振った。


「吹き込んだのは私じゃない。セナ嬢でしょう。アレックス・レイディング卿と私の婚約のことで、私が嘘をついているとエイヴァンさまに伝えたのはあなたでしょう?」


「あんたがなんでアレックス卿と婚約なんかできるのよ! 策を弄したからでしょう⁉」


「違うわ。私は手紙をもらってアレックス卿からあのカフェに呼び出されたのよ」

「そんなことあるわけないじゃない! だってあの手紙、私が書いたんだもの!」


 セナは吐き捨てる。


「あんた、それに気づいたんでしょう? だから被害者ぶって王太子妃殿下に相談したんだわ! それで王太子妃殿下が王太子殿下に泣きついて……! ほんとうまくやったわね!」


 リドリアはあきれた。


「やっぱりあの手紙、セナ嬢からなのね」

「わかってるくせに、しらじらしい! じゃなきゃ、数時間も待たないでしょう! 哀れな自分を演出してたくせに!」


 いや、単純に『いつになったら来るんだろう』と思っていただけなのだが、とリドリアはぐっさり心に傷を負いながら思った。


「エイヴァンさまに何を言ったのよ! それを言いなさいよ!」


 またセナが詰め寄る。いい加減リドリアはうんざりしてきた。


 すべてセナが悪いんじゃないか。

 そのしりぬぐいをこちらに持ち込まれても、と小さく吐息を漏らす。もうこのままセナを振り払って王城内に入ろう。


 そんなことを考えていたとき、庭の茂みがガサリと鳴った。

 とっさにセナとリドリアは音のほうに顔を向ける。


 そこにいたのは、無表情のアレックスと、なにかを喉につまらせたような表情のエイヴァンだった。


「ど……どうして」


 セナが一転、蒼白になってつぶやく。口紅を塗っているだろうに、明らかに色を失っている。


「あのあともな」


 口を開いたのはアレックスだ。

 視線はリドリアに向けられている。


「あのあと?」

「昨日のお茶会だ。貴嬢が嘘を言っているだなんだと、エイヴァンが言いがかりをつけてきただろう」


 はっきりと「いいがかり」とアレックスは言ってのけ、エイヴァンを一瞥した。


「あのあとも、しつこくリドリアが嘘を言っているって主張するから、俺がこいつに言ったんだ」 


「なにを、ですか」


「だったら一度、セナ嬢に言ってみろ、と。『リドリア嬢に対してなにか訂正することはないか』って。『ない』って言われたら『少し考えさせてほしい』とだけ言って帰ってこい、とな。で、次の日、セナ嬢がリドリア嬢のところに喧嘩を売りにいかなければ、リドリア嬢が嘘をついたと俺も認める、と伝えたんだ」


「それを実行した結果……」


 ちらりとリドリアはセナを見た。

 もう彫像のようにピクリとも動かない。


 エイヴァンはというと、こちらもなんとセナに声をかけるべきかと迷っているようにも見えた。


 信じていたのに、と言いたいのか。どうして、と詰め寄りたいのか。


 それとも「君を信じた自分の立場はどうなるんだ」と言いたいのだろうか。

 なんにせよ。

 セナははっきりと自分が嘘の手紙を書いたことを認めてしまった。


「適当なところで業務に戻れよ」


 アレックスが抑揚のない声でエイヴァンに命じる。


「朝からセナ嬢の尾行しかしてないんだし。諸々滞っているぞ」


 相変わらず押し黙ったままのエイヴァンにそんなことを言うなど、この人は人としてどうかしているとリドリアは愕然とした。


 やっぱりこの婚約は偽装でよかった。こんな人でなしと一生涯連れ添うなど自分には無理だし、なんなら弟の教育にも悪い。


「リドリア嬢。王太子妃殿下の執務室に行くのか?」


 話の先を向けられ、リドリアはなんだか仏頂面で頷く。だが、たいして気にもとめずにアレックスは回廊のほうを顎で示した。


「なら途中まで一緒に行こう。打ち合わせたいこともある」


 いえ、ひとりで行けますと言おうと思ったが、打ち合わせたいことがあるのならこれは業務だ。


 仕方なくリドリアは「はい」と返事をし、足を踏み出す。


 なんとなく。

 セナの視線を感じたが、ここにいたとしても自分になにかできるわけではない。

 そもそもセナが自分で蒔いた種だ。


「打ち合わせってなんですか」


 振り切るように小走りにアレックスに近づき、ふたりで回廊を歩く。


「あれだ。昨日、王太子殿下が『今度ピクニックに行くまでに何度かデートしてるだろうし』とかおっしゃってただろう」


 あー。とリドリアはクリップボードを抱えてないほうの手で額を覆った。


 そうだ。

 王太子ご夫妻がピクニックに行くまでに、何度かデートらしいデートをして既成事実を作り、嘘だと見破られないようにしなくてはならなかったのだ。


「貴嬢も業務があるだろうし、俺もいろいろと忙しい。日程をすり合わせたくてな」


 アレックスの歩みに会わせるために、小走りになりながらも、リドリアは驚いた。

 それが伝わったのだろう。


「なんだ」

 いぶかし気に目を細められた。


「いえ、なんとなく『この日に来い』と言われるのかと」

「どんだけ横暴な男なんだ、俺は」


「はあ、すみません」

「貴嬢が仕事をしてなかったら俺の都合に合わせてもらうつもりだが、互いに責任ある仕事を持つ者同士だ。俺の都合にだけ合わせるのはフェアじゃない」


「それは……助かります」


 この口ぶりではアレックスはリドリアの仕事を評価してくれているということだろう。


 侍女など貴族令嬢が結婚するまでの腰掛けの仕事と軽んじられている中、しっかりと見極めてくれて少しだけうれしい。


「では互いに候補日をあげましょう」

「ああ。申し訳ないが、紙に書いて王太子殿下の近衛兵控室にいる誰かに渡してくれ。俺に渡してほしいといえば通じるようにしておく」


「わかりました」

「適当に茶を飲んで、適当に買い物にでも行くのでいいか?」


「全然かまいません。ついでに私の買い出しに付き合ってくだされば」

「全く問題ない。だが……いま〝猟犬〟は結構忙しくてな」


「任務ですか?」


 なんだろう。密偵とかかな、とちょっとドキドキして尋ねたのだが、アレックスはつまらなそうに鼻を鳴らした。


「10日後に御前試合があるだろう? 各騎士団の」

「陛下の前で行われる毎年恒例のものですね」


 回廊と建屋をつなぐ扉の前には衛兵がいて、ふたりが近づくと同時に敬礼して扉を開けてくれた。アレックスは形ばかりにリドリアをエスコートして建屋に入る。


「あれに俺も出るんだ。王太子殿下の近衛騎士団のひとりとして」

「それはおめでとうございます」


 選出されるのは名誉なことだ。


「もしデートの日程が合わなければ、その御前試合を見に来てくれ。で、適当に応援してくれればそれでいい。デート回数1回クリアだ」


「わかりました」


 こうして。

 なんとも色気のないデート日程が決まりつつあった。

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