機心

ヌソン

第1話 牢部屋

「……ん…」

 硬く冷たい感触に背中を押され、鈍い痛みと共に目を覚ました。

「!?」


 ガバッ!


 咄嗟に体を起こし、辺りを見渡す。

「……ここは…何処だ…?」


 そこは仄暗い牢屋の中だった。


 窓はおろか、隙間すらない灰色の壁に囲われ、唯一外との接触が出来そうなのは一面だけにある鉄格子のみ。

 部屋には何も無く、自分が眠っていた場所に気休め程度のボロ布が敷かれているだけだった。


「ぁ、くっ…痛てて…」

 ガチガチに凝り固まった体をほぐしながら立ち上がる。


 どのくらいから眠っていたのだろうか。

 というかここは何処なのだろうか。

 何故こんなにも所に居るのだろうか。


(…昨日の夜は…確か…依頼が長引いたせいで深夜に帰ることになって……そのままソファで寝て……寝て…)

 思考を巡らせるが、そこからが思い出せない。


(…昨日はちゃんと鍵を閉めたし、誰かが入って来ていたなら流石に気づく…何者かに攫われた……という訳では無いのか?)

 何一つ分からない状況に頭を捻りながら、寂れた鉄格子を掴み、無理やり開こうと強く揺らす。

 しかし、その見た目とは裏腹にしっかりと固定されていて、ピクリとも動かない。


(…まぁ無理か……そうだ、携帯で誰かに…!)

 そう考えてポケットへ手を入れる。

 同時に気づいた。

「ん?」


 服が昨日着ていたものではなく、装飾も柄も無い、シンプルな白シャツと長ズボンに変わっている事に。


「………何だこの服…」


 昨日は疲れから着替えずに眠ってしまったから、寝巻きなどに着替えては居ない。

 そもそもこんな服は持っていない、普段も三着くらいを着回している。


(……結局、携帯も無いし…)

「はぁ…」


 鉄格子から手を出しながら、溜息と共にガックリと項垂れた。



 その時


 ガチャ…キィィ…!!


「!!」

 少し離れた場所から扉の開く音が聞こえた。


 バタン!!


 勢いよく扉が閉まる音が響く。


 その直後、何者かがこちらへ歩いてくる音が聞こえた。


「!!」

 咄嗟に鉄格子から距離を取り、反対側の壁へ背中を付ける。

 冷たい感触と緊張感が背中を伝う。


(…看守か? 見回りでもしに来たのか…それとも別の…)

 様々な事態が頭を駆け巡るが、どうなろうと最悪の結末が常にチラつく。


 足音は迷わず、真っ直ぐこちらへ向かっているのが分かった。

 だが、音は聞こえるが靴の音では無い。

 静かな今だからこそ聞こえる程に小さな音。


 少し粘着的な残響、ピタピタと優しく叩く様な音、その全てが文明性を感じさせない。


(……裸足…)


 そう考えたが過ぎった瞬間、その音の主が鉄格子の向こうへと現れた。


 それは、17歳程の少女だった。

 柔らかで美しい真っ白な長髪、大きく丸い幼げな目の中には同じく虚ろともいえる純白の瞳孔が輝いていた。

 日本人からしたらどう見ても目立つ異様な姿だが、それでも思わず息を飲みそうな美しさを感じさせる。


 その目がこちらをチラリと横目で流し見る。


 思わず警戒心が緩みそうになる程に、その目が、いやその全身が魅力的に見えた。


(……っ…)


 吸い込まれそうになる意識を踏み止め、一挙手一投足を見過ごさぬ様、睨む程に警戒する。


 次の瞬間


 ガシ!!


 少女の小さな手が鉄格子を勢いよく掴んだかと思えば


「人だぁぁぁぁああああっ!!」


 爆発したかの様な歓喜の叫びをぶち上げた。


「!?!?」

「待ってて!! すぐに出すから!!」

 困惑するこちらには目もくれず、興奮した様子の少女は懐から数個の鍵がついた鍵束を取り出す。


「あのー…」

「んー、と…これだ!」

 そういうと持っていた鍵の一つを鉄格子の扉辺りへ差し込み、ガチャリと捻った。


 キィ…


 あっさりと鉄格子は開き、その向こうから少女がこちらへ手を伸ばしている。


「よし!行こう!! ここから出よう!!」


 有無を言わさない勢いで、少女はこちらへ手を伸ばしていた。

「????」

 俺は一連の流れにひたすら困惑し、壁に背を付けたままズルズルとへたり込んでいた。


「……ん? あれ?」

 その様子を見た少女はこちらへと歩いて来て、目線を合わせて子供を相手にする様にしゃがみこむ。


「出ないのー? おーい…オーイオーイオーイ」

 顔に向かって手を振って居るが、今はちょっとそれどころでは無い。


「…………ふぅ…」

「あ、動いた」

 とにかく一度落ち着くために、目を瞑って深呼吸をした。


 初対面の相手は初めてでは無い。

 最初の一言目が大事だ。

 相手がどんな人間か、そして自分がどういう人間か。

 それを理解させる為に、慎重に言葉を選ぶ。


 突然自己紹介をするのも変だ、まずはやはり感謝からだろう。

 どうする事も出来なかった状況を変えてくれたこの恩人への。


「……すー…」

 言葉を発する為に軽く息を吸う。


(…まずは「助けてくれてありがとう」、次に「君の名前は?」…よし、これで行こう)


 方向はは定まった、覚悟を決め、満を持して口を開く。

「……誰?」

 普通にミスった。


「あ! ごめんなさい、自己紹介しないとね! 私はエリシアって言うんだ! よろしくね!」

 明るく元気な声と共に立ち上がり、少女…もといエリシアは簡単な自己紹介を終えた。

「貴方は?」


「あ、あぁ……俺は来栖 凛くるす りん…個人で探偵業をやってる…」

(…に…だがな…)

 エリシアと同じ様に立ち上がり、自己紹介を済ませる。



「おー! たんてー!! 凄そう!」

「別に俺自身は凄くない、偶然そうなってしまっただけだ…」


「…へー…偶然って何?」

「……それは、まぁ偶然だ」

「そっかー」

「…………」

「?」

「…その話はまた今度にしよう、今はここから出る事を考えないと……他に人は?」


「居ない」

「まぁ、あのリアクションだったらそうか…君は何処で、いつ目覚めたんだ?」


「ちょっと前に『倉庫』って所で目覚めたよ」

「具体的にはどのくらい前に?」


「うーん…分かんない、この施設、時計とか窓とか無いから時間を確認する術が無くて…」


「…窓も時計も無い……空腹感は感じるか?」


「……空腹感…? えーっと、分からない…!」


「…分からない…?」


「うん、分からない!」


「……」

(少し引っかかる言い方だが…まぁ何も感じてないって事か…彼女が起きてそれ程時間は立っていないのか…?)


「…あ、そうそう…さっきの鍵も倉庫で見つけたんだ」


「牢屋の鍵が、倉庫で?」


「うん」


(…おかしくは無い…のか? とにかく一度ここから出て、見ない事には始まらないな)



「…分かった、ありがとう…俺は出口を探しに行くが、君は?」


「行く! その為に助けたんだし!」


「あぁ、それはそうか」


「他に何個か入れそうな部屋もあったから、何か手がかりがあるかも」


「……よし、とりあえずここから出るか」


「おー!!」



 エリシアと共に外へ出ると、そこは細長い部屋になっていた。

 隣にはもう一つの空っぽの牢屋と、更にその奥には彼女が入って来たであろう扉が見えた。


 牢屋から出ると普段の癖で、部屋全体を警戒しながら軽く見渡す。


 牢屋の中と大して変わらない殺風景な灰色の部屋だったが、その中で一つ、鈍く光る物を壁際に見つけた。


(…鉄パイプ…敵が居るかも分からないから武器として持っておくか…)

 片手で持てる大きさで、素人でも振る事は出来そうだ。


「ん? それ持ってくの?」

 先に扉へと向かっていたエリシアが振り返り、不思議そうにこちらを見ている。


「あぁ、念の為だ」

「私の分は?」

「…あー、無い」

「えー!?」

「欲しいのか?」

「…うぅん、要らない、その代わり…」


 エリシアはこちらへゆらゆらと歩み寄り、顔を近づける。

 そして

「ちゃんと、助けてよ?」ボソッ

 いたずらっぽくそう呟いた。


「…!!」

 少し遅れて脳と体が反応する。

「ふふふ…」

 先程まで見た目よりも幼い印象を受けていたからか、余計そのギャップに面食らってしまっていた。


「じゃ、行こ!」

「…あぁ」

 再び子供のように笑うエリシアに、内心ホッとしつつ、その後ろをついて行く。


 後ろから見たその姿は髪や服が白い事も相まって、他の背景からその部分だけを切り取られた様な不思議な感覚に陥ってしまう。


 ふと視線を落とすと、右側のポケットが膨らんでいた。

 恐らく、先程の鍵が入っているんだろう。


(不用心だな…)

 内心そう思いつつ、今は二人で脱出する為の意志と共に視線を前へと向けた。

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