第8話・リンスさんに文句言ってやる!

 放課後。

 今日も今日とてリック家に向かうべく、貢郎は帰り支度を始めていた。


『じゃあな綾垣』

「おう。また明日」


 一足先に去っていく隣の席の男子に返事をする。

 彼はバスケットボール部に所属しており、もっか大会に向けて練習に熱を入れているらしい。


『じゃあねー綾垣君』『んじゃ』

「うん、じゃあね」


 後ろから声を掛けてきたのはカップル。

 非常に仲睦なかむつまじく、クラス内でも一目置かれていた。


 クラス内を見渡すと、青春に身をゆだねる者ばかり。

 バイト三昧の貢郎とは住む世界が違うのがはっきりと分かった。


 貢郎のバイト漬け生活は有名であるため、遊びに誘ってくる人間は皆無。

 別に邪険にされている訳ではないとはいえ、彼等の輪からから完全に逸脱いつだつしている状況に少々寂しさを感じていた。


(さてと。リンスさんちに行く前に買い出しに行くか)


 彼女の前でスーパーに行こうとすると、余計なお菓子やアイスを要求されてしまう。

 彼女の健康の為にも、今行くのがベストだ。


(何作ろっかなぁ)


 貢郎は献立を思い浮かべながら、教室を後にした。

 高校という青春に溢れた世界のはずなのに、貢郎の居場所は無かった。


 ★


「あれ。愛奈?」


 近所のスーパーに入ったところ、野菜コーナーの前で親しみのある黒髪の女の子を見つけた。

 目に入れても痛くない妹である。


「ん? 貢郎兄」


 ネギを選んでいた妹が振り返る。

 彼女もまた学生服を着ていることから、学校帰りのようだ。


「今日は早いな。夜飯何すんの?」

「貢郎兄には関係ないでしょ。どうせ食べないんだし」


 ナイフのような鋭利な言葉が貢郎の胸に直撃する。


「別に良いだろ、これぐらい聞いても」

「は、キモ」


 かごの中身をのぞこうと前のめりになったところで、買い物かごを体の反対側に隠される。

 それも酷い罵倒ばとうを添えてだ。


 貢郎が倒れた時。

 リンスやラビと一緒に居る時。


 妹の愛奈は口調は大変柔らかく、決して厳しくは無かった。

 だがそれらが稀有けうなだけで、彼女が貢郎に対するしゃべり方は何時もこうだった。


 中学3年生という年頃を考えれば別に不思議なことでは無いものの、ストレートなののしりは中々に胸に来るものがある。


「お前なぁ。唯一の肉親なんだから、もうちょい当たりを柔らかくしてくれても良くないか?」

「別に関係ないでしょ」


 これである。

 こうもそっぽを向かれて言われてしまっては、貢郎も黙るしかなかった。


「はいはい、分かったよ。んじゃ」

「ちょちょちょっと!?」


 鮮魚コーナーへと足を伸ばそうと数歩進んだところで、気難しい妹が小走りで横に並んできた。


「まだ何か用か?」

「何で勝手に先に行くの!」

「いやいやいや、お前の方から拒否してきたんだろ?」

「拒否なんてしてないもん!」


 眉間にしわを寄せて突っかかってくる愛奈。

 実に面倒くさいことこの上ない。


「今日も遅くなるわけ? 最近ずっと遅くない?」

「仕方ないだろ。ご飯作って片付けして、古本屋の方の掃除やリンスさんの遊び相手をしてるんだから」


 切り身のパックを厳選しながら答える。


(お、今日は鮭が安い。ムニエルにしよっかな)


「遅くまで働いてたらまた前みたいに倒れるちゃうんじゃない? また朝から病院に駆け付けるのなんてもう嫌なんだけど」

「あんま働いてる気がしてないし、疲労も溜まってないから問題ないよ」


(今日はラビさんいるんだっけ? まあリンスさんの分に比べたら、俺達の食べる量なんて誤差みたいなもんか)


「でも、そんな付きっきりでお世話することもないんじゃ」

「リンスさんの駄目人間っぷりを舐めるなよ。ポンコツなんてものじゃないぞアレは」


 鮭のパックを3つほど手に取り、今度はお肉売り場に向かうべくターンする。

 すると、ほおを膨らませ全身をぷるぷる震わせた妹の姿が視界に入った。


「ど、どうした!? 俺変なことでも言ったか?」

「リンスさんばっか――」

「え? 今なんて?」


 上手く聞き取れなかった貢郎が聞き返す。


「リンスさんに文句言ってやる!」


 はっきり貢郎に言い放った後、ズカズカとレジへと向かう愛奈。

 完全に目がわっており、貢郎が止めようと呼び掛けても完全に無駄だった。


(おいおいおい、なんだなんだ?)


 貢郎の方も慌てて晩御飯になりそうな物を適当にカゴに突っ込み追い掛ける。


「おいちょっと待てって!」

「…………」


 スーパーを出て、急いで愛奈の元へと駆け付けたものの変わらず無視された。

 最早怒りに我を忘れているようで、貢郎の存在は頭からすっかり抜けているようだった。


「こんにちは!」

「お、お疲れ様でーす!」


 結局、彼女の暴走を止められぬままリック家に入ってしまった。

 そして、怒りに支配された愛奈がリビングに侵入するのを見ていることしか出来なかった。


 直後、


「リンスさんは怠惰たいだすぎます!!」

「ふえええっ!?」


 主人の悲鳴が廊下にまで響いてきた。


 我が家でぐーたらしているところに、突然雷が落ちてこようものなら誰だって同じ反応をするだろう。

 恐ろしいものが直撃した時の怖さは、例え人を超えた何かであろうと変わらないのだ。


 リンスの悲鳴の必死さから、実際に生で見なくとも相当詰めらているのが容易に想像出来た。


(ああ、せめて夜ご飯は少し豪勢にしますからね)


 壁に寄りかかり胸の前で十字を切る。

 彼女のこれからの未来を予測すると、せめて神に幸運を祈る他なかった。


「ゴミは床に置かない! せめて机に!」

「はいぃ!」

「掃除機を掛ける時は隅々と――って、コラァ! お菓子を食べながらやるなぁ!」

「ふえぇぇ!?」

「洗濯物のしわは伸ばして干せぇ! てか、投げるなぁ!!」

「はああい!!」


 今までの貢郎のやり方がぬるく思えるほどのスパルタだった。


(可哀想に)


 定期的に観察しながら夜ご飯を作る。

 愛奈の激が収まった頃には、すっかりと外が暗くなってしまっていた。


 そして、リンスのテンションもまた沈んで――、


「とても綺麗です。やれば出来る子なんですよ、リンスさんは」

「アイナの教え方が良いだけですよ」


 なかった。


 そして何故か仲良くなっていた。

 今は二人仲良くリビングで衣服を折りたたんでいるところだ。


「貢郎兄。ご飯まだ?」


 リビングからひょっこり顔を出した愛奈が聞いてくる。


「ちょっと待て。お前も食べていくつもりか?」

「当然。貢郎兄の仕事を手伝ったんだから権利はあるでしょ。それにご飯は大勢で食べた方が美味しいじゃない」

「はい、姉様も言っていました。『ご飯は皆で食べるべし』と」


 今度はジャージの上着を手に持ったリンスが出てくる。

 嫌々な顔をしていないあたり、本当にちゃんと教えれば彼女もまた出来る子らしい。


 つまり、貢郎の教え方は悪いということになり、妹の愛奈に負けたということでもある。


「それなら手伝ってくれないかー。お前の分は計算に入ってなかったから」

「んー、どうしよっかなー」


 綺麗にたたんだ服をリンスに渡した愛奈がいやらしい笑みを作る。


「貢郎兄がちゃんとお願いしてくれるなら手伝っても良いよ」

「お前な。自分の分なんだぞ」

「へー。じゃあ、やーらない」


 反転してリビングに戻ろうとする愛奈。


「分かった。分かったって。お願いします。手伝ってください!」

「はーい」


 今度は素直な返事を行い近寄ってくる。

 貢郎には妹の考えていることがちっとも分からなかった。


「お前そんな性格悪かったか?」


 負け惜しみのように嫌味をぶつける。

 だが、彼女は待ってましたと言わんばかりにクスッと笑った。


「思春期だからね」


 彼女の答えに、貢郎はもやもやとした気持ちを抱えたまま、目の前のフライパンを見つめた。

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