第3話・お前もやるんだよ!!

 充分な睡眠と点滴のおかげで、貢郎の体はほぼ万全の状態と言えるまでには回復していた。

 おかげで、医者には今日1日休養することを言い渡されただけで、午後には呆気あっけなく退院出来てしまった。


「愛奈ちゃんは中学生なんだー」

「は、はい。今年で3年生になりました」


 今はラビが呼んだタクシーの中で、新たなバイト先へと向かっているところである。

 既に自己紹介は済ませているため、そこまでギクシャクとした雰囲気は無い。


 とはいえ、貢郎の方は過程が過程なだけに信用はしていなかったが。


 ちなみに貢郎が刺されたことは、愛奈には秘密にしている。

 彼女に話したのは、ラビ達の表面の素性とバイト先を紹介してくれるということだけ。

 多感な時期に、あまり心配を掛けるのも良くないと思ったからだ。


「ここ、うちから近いですね」

「そうなんだ。じゃあ通いやすいね」


 窓から見える風景は、自宅から自転車で5分くらいの位置だった。

 学校やスーパーとは逆方向にあるため、あまり来なかったエリアである。


「着いたよ」


 料金を精算するラビを他所に一足先にタクシーから降りると、目の前には小さな古本屋。

 あまりに地味な外観に、人が来るのか疑問になるほどだ。


「そっちはリンスが趣味でやってる店なんだよねー。そっちもおいおい関わって欲しいけど、取り急ぎ貢郎くんに働いてほしいのはこっち」


 と、タクシーから降りるや否や古本屋に隣接する一戸建てを指さすラビ。


 約40坪ほどの2階建てで、2人で住むには持て余しそうは家である。

 加えて、お店ほど年季が入っているわけではなく、新築まではいかないが綺麗な見た目をしていた。


「さあ入って入って」


 ラビの背中を追うように敷地内に入る。

 入口付近には小さな花壇があったが、何も植えられておらず土は乾いた茶色をしていた。


「お、お邪魔します」


 開かれた玄関の戸から内部に入る。

 刹那せつな、貢郎は頭に稲妻が落ちたような衝撃を受けた。


 臭い。

 生ごみが発酵しているよう臭いが鼻孔を貫いてきたのだ。


「あ、これ付けた方が良いかも」


 苦笑いを浮かべたラビがバッグからマスクを差し出して来る。

 貢郎と愛奈はそれを受け取るなり、一目散に装着した。


 この時まで、女子2人で暮らしているのだからさぞ綺麗な生活をしているのだろう、と思っていたが、現実は甘くなかったらしい。


 廊下からは臭いの元となるようなものは見当たらない。

 と、くれば原因は奥だろう。

 貢郎は覚悟を決めると、ラビと共に異臭が強くなる部屋へと向かった。


「ああ、やっぱり」


 彼女が扉を開けた途端、マスク越しでも分かる腐敗臭が押し寄せてきた。


「きったな!」


 背後にいた愛奈がオブラートに包むことなく悲鳴にも似た罵倒ばとうを口にする。

 しかしながら、口にはしなかったものの貢郎もまた同じ気持ちだった。


 一面のゴミ、ゴミ、ゴミ。

 貢郎達が訪れたのは、ダイニングキッチンという名のゴミ捨て場。

 机の上にはピザの空き箱やカップラーメンの容器。更には、紅しょうがの入った袋やウェットティッシュなどが無数に散乱していた。


 床も酷い。

 さっさと捨てれば良いのに、中身がパンパンに詰まった燃えるゴミの袋に加えて、プラスチックごみ袋が散乱している。

 キッチンシンクなどは目を反らしたくなるほど酷い有様だった。


「リンスは生活能力が皆無でね。ボクが掃除しても、ちょっと仕事で数日家を空けたら、こんなことになっちゃうんだ」

「よくこんな部屋で生活できますね」

「衛生観念の概念が抜け落ちてるんだろうね」


(何を他人事のように)


 心の中で悪態を吐く。

 肉親であり掃除の重要性が分かっているのだから、しっかりと叩き込んで欲しいものである。


「ちょっとリンスを呼んでくるから、廊下で待ってて。なんなら外でも良いよ」

「廊下で待ってます」


 貢郎の回答を聞くと、ラビは廊下へと戻っていった。

 駆け上がる音がすることから、どうやら2階へと向かったようだ。


「ここまで家を汚く出来る人とはアタシちょっと付き合えないかも。何て言うか生理的に無理」

「つっても、凄い時給提示してくれたしなぁ」

「良い条件には裏があるってことかぁ」


 玄関前へと歩きながら、この世の真理を理解したかのように愛奈が述べる。

 ゴミを見て悟りを開くというのは何とも複雑な気分である。


 愛奈とは最近距離を感じていたものの、こう非日常が連続すると普通に話せるようで何よりだ。

 貢郎が何時もバイトで夜遅く帰宅するせいで、コミュニケーション不足もありそうだが。


「連れてきたよー」


 ドタバタと激しく階段を降りてきたラビ。

 少し遅れて見覚えのある女性の姿が視界に入る。


「ひっ!?」


 しかし、こちらを見るや否やラビの背中に隠れてしまった。

 ラビとの身長差を考慮してしっかりとひざを曲げているあたり、本当に怖がっているようだ。


「ほらっ、ちゃんと挨拶して。ここで働くことになる綾垣貢郎くんと、妹の愛奈ちゃんだよ」

「どうも綾垣貢郎です」

「愛奈です」


 妹と一緒に小さく頭を下げる貢郎。

 が、相手はというと、何か得体の知れないものを見る目でこちらを見つめるだけだった。


(何かイメージと違うな)


 昨日は幻想的な雰囲気だったのに今は全くもって違う。


 人前だというのにボサボサな髪に年季の入ったダルダルの黒のジャージ。

 加えて、すぐに姉妹の背後に隠れてしまう臆病おくびょうな性格。


 何故だか、一目でまともでは無いのが伝わってきた。


「ごめんね。リンスは人見知りで、初めて出会う人間には臆病でね」

「お、臆病とは失礼な。用心深いと言ってください」


 良い感じに言い換えただけである。


「反論する元気があるなら、ちゃんと自己紹介して」


(どっちが姉なんだか)


 ラビに叱られたリンスが恐る恐る顔を出す。


「り、リンス・リックでひゅ」


(あ、噛んだ)


 失敗を自覚したのか、顔を真っ赤に染めたリンスが再度妹の背中に隠れた。

 ラビは姉のダメダメな言動に嘆息たんそくすると、貢郎の目を見て口を開く。


「こんなんだけど、何度か顔を合わせたら慣れると思うから」

「そ、そうですか」


 しかし当の本人はまともにこちらとは目を合わせてくれない。


「これからのことだけど、細かいことは後で話し合うとして……」


 ラビがちらりとキッチンの方を一瞥する。


「もし大丈夫だったら、この後一緒に掃除を手伝ってもらっていい? バイト代はずむからさ」


 申し訳なさそうな顔を浮かべるラビ。


「はい、問題ありません」

「それならアタシも手伝います。貢郎兄が無理しないか心配なので」

「ありがとう。愛奈ちゃんの分のお給料も渡すからね」

「あ、いえ、そんな」


 社交辞令染みた台詞を愛奈が吐く。

 慎ましさはあるが、完全に否定した訳でもない。

 要は、彼女もまたこんなことでお金が得られるなら願っても無いのだ。


「ふむ。それでは私は自分お部屋に――」


 反転し、階段を上ろうとしたところでリンスが彼女の腕を掴む。

 その神速とも呼べる速度に貢郎は呆気に取られた。


「お前もやるんだよ!!」


 殺意のこもった鬼の形相をした妹に勝てなかったのか、姉は体を硬直させ出来の悪いロボットのようにぎこちない動作で頷いた。

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2024年12月21日 17:29
2024年12月22日 17:29

銀髪美少女を助けて刺された結果、ポンコツ女のお世話を押し付けられた話 エプソン @AiLice

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