#2 オンリーイベント

 とうとうオンリーイベントが開催される大型イベントの日がやって来た。

 今日は桜井桃音としてではなく"桃色団子"という鎧を着て挑む日だ。いつも以上にヘアケアに力を入れてお気に入りの茶髪を緩めに巻いて来たし、メイクも気合を入れて来た。時間が近付くにつれて列が形成され始め、サークルチケットを握り締めながら今か今かと回りが騒めく中でコスプレイヤーの親友を待つ。

 売り子を任せている兎月(とづき)というレイヤーはフォロワーも3000人を軽く超える界隈ではちょっとした有名レイヤーだ。

「桃色ちゃんごめーん!お待たせ!今日も可愛いね」

「兎月ー!おはよ、今日はよろしくお願いします」

「売り子という重大任務、任されました」

 キャリーを手に走って来たのは黒髪ショートヘアで前髪をセンターで分けているモデルの様なすらっとした高身長のかっこいい系の美人。これがコスプレイヤー兎月の素の顔である。みきつば好きで普段から降道翼のコスプレをしている筋金入りの腐女子で実は高校からの同級生だった。

「いやー人脈って大事だよね……兎月が親友でほんと良かったよ」

「桃色大先生の新刊というご褒美にホイホイ釣られてるだけなんだけどね~」

 けらけらと談笑しながらサークルチケットを一枚兎月に手渡し、形成された列に共に並ぶ。持って来ていたスポーツドリンクのペットボトルを鞄から出してキャップを捻り一口飲み込むと辺りを見渡す。そこは既に人の波と言っても過言ではない程の人、人、人。ペットボトルのキャップを閉めてああ、緊張する……と息を吐くと不意に兎月が手を握って来た。その暖かさにほっと落ち着くのが分かる。

「桃色ちゃんは相変わらずだね~どう?ちょっとは緊張解れた?」

「ありがと、兎月。いつも助かる」

「どう致しまして、ってな」

「そろそろ入場始まるね、楽しみ」

「その意気だその意気!」

 繋いだ手を放して隣に並び、入場開始の時間と共に列がどんどん進んでいくのに合わせて自分達も動く。兎月はいつも気遣ってくれて、とても居心地のいい友人だ。ガラガラとキャリーを手慣れた様子で引き、共に歩んで入場口まで辿り着くとサークルチケットを係員に渡していよいよ会場入りする。

「よし、それじゃあたしは着替えてくるから」

「うん、後でね」

 更衣室の方へと兎月がキャリーを手に向かって行くのを見届け、指定のホールへと入ればまずは自分のスペースナンバーの島を探す。順番に辿って行き此処だ、と目的の島を見付けると通路にある段ボール箱の山の中から自らが送ったそれを見付け出して抱え、机と机の合間を通ってナンバーとサークル名を確認しパイプ椅子の置かれたそこへと辿り着く。

 まずは段ボール箱を置きパイプ椅子を二脚下ろして椅子の形にして並べ、鞄から取り出したピンクの水玉模様の布を机に敷いて持って来ていた段ボール製の簡易的な什器を組み立てて置く。後は会場に送っていた段ボール箱から差し入れのお菓子をまず避けて細々としたコイントレーや釣銭の入ったプラケース、値札やポップスタンド等を順に出して並べ、机の下に届いている大きな段ボール箱を開封して自分の新刊がぎっしりと入っているのを確認してから通販用の物と分けて既刊と共に机の上にレイアウトした。

 粗方準備を終えると島の外に出てスマートフォンでスペースの写真を撮り、『今日はよろしくお願いします』という文言と共にSNSに載せる。すぐにいいねが沢山付き、なんとかなりそうだと安堵した。パイプ椅子のある島の中へ戻るとキャリーを引いたり段ボール箱を持った他のサークル主が現れ徐々に島が埋まっていく。

「桃色さん!よろしくお願いしまーす」

「あっ、ドンカツさん!今日はよろしくお願いします。隣のスペースでほんとに嬉しいです」

 隣のスペースに現れたのは段ボール箱を抱えた相互フォロワーで同じ文字書きのドンカツさんだった。スペース番号が発表された時から隣ですね!と盛り上がっていたのを思い出す。

「イベント盛り上がると良いですねぇ」

「ですねぇ。そういえばドンカツさんの新作みきつば見ました!すごく良かったです」

「ありがとうございます!拡散もして頂いて……」

「今日の新刊も何としてでも手に入れたくて気合入れてきましたよ!」

「桃色さんの新刊もめちゃくちゃ楽しみにしてました!!」

「桃色ちゃん、お待たせ」

 掛けられた声に反応してそちらを向くと、そう言って現れたのは先程とは全く別人の様な、まるで原作から飛び出して来たかの如く再現された降道翼が居た。クールな表情で本人その物を思わせる出で立ちは周りを惹き込み圧巻させる。そんな人物の登場は周囲を大きくざわつかせた。

「相変わらずすごいね兎月……」

「そう?キャラ愛故だよキャラ愛」

「もう本物って言っても過言じゃないって」

「いやいや、照れるだろ~」

 そう言って鞄を机の下に置き、二つ並んだパイプ椅子にそれぞれ座る。新刊の値段を兎月を交えて再度確認し、電卓を用意して準備は万端だ。

 兎月やドンカツさんと談笑している内にあっという間に開場のアナウンスが流れる。いよいよだ、と両手を膝の上で握り締め気合を入れた。

 それからというもの、時間が過ぎるのは余りにも早かった。自分や兎月のファンだという方々から大量の差し入れを頂いたり、それと共に新刊もあっという間に捌けていく。そんな中、兎月とはまた違う系統のロングヘアがさらさらと揺れる黒髪の、シンプルなワンピースが良く似合う美人がスペースに現れた。スタイルも良くこの場に居るのが不思議な程のオシャレな風貌で仄かに香るしつこくない甘く良い匂いに思わず心を惹かれた。

「桃色団子さん、ですか?」

「え、あ、はい!桃色団子です!」

「良かった!実は桃色団子さんのファンで……ずっと、ずっとお会いしたかったんです。あの、新刊二冊、下さい」

「二冊ですね!ありがとうございます。二冊だから、千円と……年齢確認出来るものお願いしますー」

「はい、これでお願いします」

 可愛らしい水玉模様のマスキングテープで一部を隠した免許証はゴールドのそれで、その時点で成人済みと分かる。頷いて笑みを浮かべると新刊を二冊用意していた兎月から受け取り差し出す。千円札をコイントレーに置き、嬉しそうに免許証を仕舞い新刊を手に取った謎の美人は、慌てた様子で鞄に新刊を仕舞い代わりに立派なラッピング袋と手紙を取り出してそのまま渡される。

「え、なんかすごいものを……ありがとうございます」

「その……ファンなので……拙い文章なんですけど気持ちを込めてお手紙書かせて頂きました!良ければ読んでやって下さい!」

「さっすが桃色大先生、人気じゃ~ん」

「兎月さんにも差し入れを……」

「おっ!ありがとうございます、嬉しいなぁ」

「それじゃ……その、頑張って下さい!」

 兎月にはまた違う包装の恐らくはお菓子だろうと思われる包みを差し出していた。良い匂いのする美人さんはそれは嬉しそうにスペースを去って行ったが、何故か妙に気になって見えなくなるまで目で追いかけてしまう。他のみきつばサークルでも買い物をしていた様子ではあったのに、差し入れは兎月に渡したのと同じ包みのものばかりだった。

「桃色ちゃんだけなんか特別なもん渡されてたね~」

「ファンって言ってくれた……なんかすごく嬉しいね」

「……桃色ちゃん、ほんとに嬉しいって顔に書いてある。羨ましいよ」

「えっ!?そんなことは、ない……よ?」

「お手紙、後で読むんでしょ?大事に仕舞っときな~」

「うん……大事にする、手紙なんて初めて貰った」

 先程の不思議な美人さんがくれた手紙はほんのりと彼女の香りが残っている気がして無意識にすうっと深呼吸した。しかしすぐに我に返り何をしてるんだと頬が熱くなる。

 トレーに乗せられている千円札をいそいそとプラケースに仕舞い、小さく顔を横に振って気持ちを切り替えてから次に現れた人に笑顔を見せた。

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