第2話 当直医の説明

午前二時過ぎだったと思うが、正確な時間は訴訟資料に記載が残っているのであろうが、さほど重要と考えられないので、おおざっぱな時間の記述にとどめさせていただく。慌ただしく病院裏手の駐車場に車を滑り込ませ、妻と二人で照明の抑えた寂しい院内を早足で歩く。


エレベーターを三階で降り、ナースに案内されて妻と二人椅子に並んで、当直医の説明を受ける。眠っているところを起こされ、しかも心臓マッサージでようやく父が蘇生したとのことで、三十代後半の当直医は顔に疲労が滲みながらも、蘇生に成功したことの達成感からか興奮気味に状況を語ってくれた。


「人工呼吸器のチューブが外れていたんですよ。ナースステーションに誰もいなかったので気が付くのが遅れ、私が心臓マッサージをしてやっと蘇生したんですよ」


「えっ! ‥‥‥人工呼吸器が外れていたのは、どれくらいの時間ですか?」

 

思わず問い返した私に、


「六分くらいだったと思います」

 

当直医は我々二人の真剣な表情に気押されたのか、今後起こるであろう事態が脳裏をかすめたのか、憶測を交え困惑気味にゆっくりと答えた。


「脳死ですか?」

 

目の前の昏睡状態の父を見て、私は不安を口にした。


「脳死に近い状態です」

 

当直医にこれ以上聞くのは酷な気がして、私は後を妻に託して、帰宅を急いだ。父の状況を見ていると、子供たちへの新たな不安が脳裏に押し寄せ病院にとどまっていられなかった。自宅前の路上に車を止めてそっと家に入ると、子供たちは何事もなく眠っていた。


「どうだった?」


午前七時前に妻を迎えに行き、車中で父の様子を聴く。


「うん‥‥‥」

 

妻の口から洩れたのは、予断を許さない深刻な父の症状だった。しばらく付き添っていると、父の体がガタガタと震えだし、白目をむいた状態が続くので、ナースコールを押すとナースがやって来て注射で震えを止めたというのだ。


「お父さんのあんな姿見せたら、純一さんはきっと怒りだすから、付き添っていたのが私で良かった」

 

妻は淡々と語ったが、薬剤師資格を持つ身には、事態に対するある程度の判断が付くのであろう。目を伏せた顔に希望の光はなかった。

 

耳原病院は正確なことを教えはしないとの確信めいたものがあったので、一歳上の親族に電話を入れて、彼の判断を仰いだ。当時、京都にある旧帝大医学部助教授であり、消化器外科では既に世界にその名を知られていて、妻も私も彼の能力に対する信頼は厚かった。当直医や妻から聞いた父の症状を伝えると、


「おっちゃん、よっぽど心臓が丈夫やったんやな」

 

簡単な状況説明だけで、彼は驚きの声を上げた。もはや回復不可能な事態であることが、言外に現れていた。普通の人であれば、まず蘇生は不可能だったとの判断が、声にも滲んでいたのだ。


「病院は、人工呼吸器が外れていたのは、六分くらいだと言っているんだが」


「いや、十分くらいやろ。‥‥‥おっちゃん、脳死やな」


「‥‥‥そうか。どれくらい持つんやろ?」


「二週間やな」

 

幼い頃から一緒に遊んだ仲で、説明には患者の親族に対するような遠慮やいたわりはなく、正に単刀直入だった。


「持って二週間らしいから、母や親しい親族には会いに行ってくれるよう、伝えてくれるか」

 

横で聞いていた妻に伝え、私も心の準備を急いだのだった。

 

親族である外科医―――具体的な親等を記載せず、この表示にとどめるのは、彼とは病院提訴に対するポリシーが我々夫婦とは大きく異なり、また後に述べるように、父の死から五年後に彼の息子が医療ミスで亡くなるという不幸に見舞われたことから、実名や親等は控えることにした。一昨年まで、長らく大病院の病院長であったという事情も当然あるが―――が明言した通り、父は二週間後に、きっちり二週間後、まるで判で押したように亡くなってしまった。人工呼吸器外れと死との因果関係を少しでも薄めたかったのであろう、耳原病院は一日でも長く父を生き永らえさせるべく、ありとあらゆる手を尽くしたが、徒労に終わってしまった。


「患者さんが自分のミスでベッドから落ちても、婦長(正確には看護主任)さんが平謝りで、当の患者さんが恐縮していたというのに、何でお父さんの件は謝ってくれないの?」

 

父の葬儀が終わって少し落ち着くと、妻は不満を口にするようになったが、私も同感だった。亡くなるまでの二週間、付き添いに訪れていた妻に、


「南埜さんごめんね」

 

婦長が一度、すれ違いながら軽く述べたらしいが、これが人の死に対する謝罪というのでは、亡くなった人間は浮かばれない。もちろん、遺族が納得できるはずもなかった。

 

我々夫婦の意を汲んで、主治医は病院長と総婦長(正確には看護部長)の説明の機会を設けてくれた。その席で、病院長は、


「誠に申し訳ありませんでした」

 

深々と頭を下げて謝罪したが、


「父は苦しまなかったのでしょうか?」

 

私は一番気になっていたことを尋ねた。


「苦しまずに、スーッといかれたと思います」

 

病院長は妻と私にすまなそうな表情を浮かべたが、隣席の総婦長に険しい視線を送り、


「看護婦がまだ嘘をついていたら別ですが」

 

忌々しげに吐き捨てた。


「‥‥‥許してください。看護婦が悪いんです。でもこれは理由になりませんが、看護婦は忙しいんです。本当に一生懸命なんです」

 

総婦長は突然、泣き出したが、私は妻の同情した困惑顔を見ながら、人の良いのも程があると一層しらけてしまった。

 

病院長の説明から数カ月たっても、病院からは何の連絡もなく、まさに梨の礫だった。総婦長の名(迷)演技で幕を引いたつもりだったら、何とも不快で、こちらの気持ちの整理がつかない。外科医の親族との会話も私の気持ちを安らげてくれるものでなく、より深い苦悩に引きずり込まれてしまった。


「病院は、おやじが苦しまずに死んだって言ってるが、やっぱり苦しんだんやろか?」


「うん。そらそうやろ。窒息状態やからな」

 

ナースコールを押しながら、薄れゆく意識の中で、どんなに苦しかったかと思うと私はたまらなくなる。以前、危篤状態から回復した父が、子供のような表情を浮かべ私に語ったことがあった。


「きれいな花畑を通って川に着いたら、亡くなったお袋がこっちへおいでと呼ぶんや。渡ろと思ったら、『コラ! 帰って来い』って、純一に怒られて戻ってきたんや」

 

臨死体験としてよく話される情景であるが、親族の口から語られるのを聞いたのは初めての経験だった。もっとも、これから十数年後、私は生身へのトラック激突という異常事態に見舞われ、死の淵をさまよったが、その折の体験は、寝ている自分を足元に立って見下ろしているというものだった。


川を渡るか、足元から離れていくか。おそらくこれが生から死への分岐ではないだろうか。いずれにしても、父が薄れゆく意識の中で、誰の名を呼び続けたのかと思うと、このまま病院との関係を放置したままで終わることは到底、我慢がならず、納得も出来ないことだった。

 

耳原病院を訪れ、事務長に面談を申し込むと、父の死については当然知っていたようで、自己紹介もスムーズに進んだが、


「病院は、慰謝するという気はないんですか。病院長と総婦長が謝罪しておきながら」

 

私が憮然として本題に切り込むと、


「エッ! 病院長が謝ったんですか!?」

 

事務長は驚いて、問い返した。事務長の狼狽で、私と妻への病院長の謝罪は彼の独断での単独プレイと判明したのだった。病院長がトップに近い地位を有するとの認識を持っていたが、あからさまな事務長の反応に接し、病院内部というか、医療法人同仁会内部の容易ならざる力関係を垣間見てしまい、私は新たな不安と困難に襲われたのだった。


「慰謝料をお支払いするについては、医師会の調停に掛けないといけないんですよ」

 

慰謝料と言った覚えはないのに、事務長はこれに特化してしまったようだった。


「それじゃ、そうしてもらいましょう」

 

事情がよく呑み込めないまま、事務長の提言に私が同意を与える形で医師会での医事紛争処理委員会の審議が始まったが、そこに提出されてくる病院側資料と主張は、出席した妻と私を不信と不快のどん底に突き落とすものだった。

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