マリー・アンヌの縁談(2)
「ラボアジェ君、ちょっといいかい?」
「はい。何でしょう、ポールズ部長」
話しかけられた男性は座ったまま、声の主の方へ顔を向ける。
灰色の瞳に通った鼻筋、すらりとした長身。手には羽ペンを握っている。美形といって差し支えない容貌の若い男だった。
「以前、君は独身で婚約者もいないと聞いたが、今もそうかね?」
「ええ、そうですが……?」
ラボアジェは怪訝そうに答えを返す。
「単刀直入に言おう。お願いだ、人助けと思って私の娘と結婚してくれないか?」
「はい!?いきなりどうしてそんな話を?」
「我が娘はマリーといって、今13歳なんだが」
年齢を聞いたラボアジェの眉が跳ね上がる。
ジャックは待ったをかけるように、掌を前方へ突き出した。
「ああ、待ってくれ。突拍子もない話で驚くのも無理はないが、最後まで話させてほしい。テレー財務総監と面識はあるだろう?私の伯父だということも知ってるかね?」
相手が頷くのを見て、ジャックは話を続ける。
「閣下が娘に縁談を持ってきてね。その相手が、事もあろうにダメルヴァル侯爵なんだ。私と同年代で、女癖が悪くて浪費家だと
「胃をきりきり舞いさせながら勇を鼓して断ったのに、テレー殿は一向に諦めてくれない。侯爵だけでなく彼の一門を、自分の派閥に取り込むための餌に使われそうなんだよ、13歳の私の娘が」
「そこで最初の話に戻るわけだが。今君の心に決めた人がいないなら、マリーと結婚してくれると本当に助かる。相手が君ならテレー閣下も文句は言えまい。初婚で、侯爵よりずっと若くて、将来有望な美男子だ。私も、君が義理の息子になってくれたら嬉しい」
ジャックは人好きのする笑顔を卵形の顔に浮かべる。それから首を縮こまらせて言う。
「私とて侯爵が息子になるのはぞっとしない。君を見込んでのお願いだ、どうかマリーと結婚してくれないか。娘は未熟だが気立てはいいし、溌剌として頭も悪くない。亡き妻に似て美人になると思う、親の欲目かもしれんが」
哀願の眼差しで年下の同僚を見つめる。
「どうだろう、この話。考えてみてくれないか」
ラボアジェは穏やかに答える。
「父と叔母、私の家族にも念のため相談しますが、反対はされないと思います。二人とも私に身を固めさせたがっていますから。お嬢さんさえ私で良ければ。私も部長と家族になれたら嬉しいですから」
「そうか、そうか!ありがとう、ありがとう!!」
ジャックは小躍りせんばかりに両手でラボアジェの手を握りしめ、上下にぶんぶん振った。
「マリー。私の同僚のアントワーヌ君と結婚するのはどうだろうか。そうすれば、さすがに侯爵もお前を諦めると思うんだ」
「あのダメ侯爵まだ諦めてなかったの……⁉しつこいったら!牡蠣にあたってお腹を下しちゃえばいいのに!!」
マリーは柳眉を逆立てる。
そして父に似た卵形の顔にありありと好奇心を表し尋ねた。
「お話さえぎってごめんなさい。ところでお父様、アントワーヌ様ってどんな方なの?」
「彼は今28歳でね。美男子だよ、同性の私の眼から見ても。実験に目が無い変わり者だが、遠からず科学アカデミー正会員になると将来を嘱望されている若者だ。徴税組合での仕事ぶりは真面目で、人柄も誠実だ。何より、私は彼を信頼している。マリーとは少し年が離れているけれど、侯爵よりはずっと近いだろう?」
「お会いしてみたいわ!」
「アントワーヌ君。私の娘、マリー・アンヌ・ピエレット・ポールズだ。マリー、こちらが同僚のアントワーヌ・ローラン・ラボアジェ君だよ」
「初めまして、ムシュー・ラボアジェ。父からお噂はかねがね伺っております。お眼にかかれて光栄ですわ!」
マリーは背の高い灰色の瞳の青年を見上げて頬を紅潮させる。
穏和な眼差しで少女を見るアントワーヌの口元も微かに綻んでいるのを見て、ジャックは自分の選択の正しさを確信した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます