第4話 過ち


2016年7月17日、柴垣龍之介_



 あの計画から思い立った日から一週間がたった。所属する高校は夏休みに入り、町の子供は浮かれ気分を隠しきれずに過ごしていた。隆之介自身も、計画はできるだけ人目のない場所で、できるだけ関わりのない地で執り行うよう画策していたため、休みを免罪符にどこか遠くでかけて行為に及べることを考えると、この夏休みは好都合のほかならない。隆之介は浮かれた気分を隠しきれずに過ごしていた。


 残り少ない運行となった午後の電車に乗り込み、小一時間が立った。電車を数両乗り換え、ただひたすらに宮崎の山奥、隆之介が住む田舎以上の過疎地に向け、進んだ。軽快な夏服でショルダーバックを腰かけたなんの変哲もない高校生らしい身なりだが、バックの中には包丁、ゴム手袋、つばのついた帽子、サングラス、マスクが数枚入っていた。


 両親には友達と遊んでくる、と伝えた。もちろん向かう地に友達などいるはずもなく、嘘っぱちだ。本当の目的は伝えずに、丸一日外出する気でいた。


 一応それ相応の準備は施したが、今日はただ下見をする気だけでいた。現地の人け、防犯カメラ、逃走経路、あらかじめこの目で環境を確かめ、誰の目にも触れないことが限りなく信用できると確信できたなら、後日伺って行為に及ぶ気概でいた。


 結局下見なら、こんな日が暮れた視界の開けない夕暮れ時に来るのは間違いだったかもしれない。最後のローカル線を超え、夕暮れの穏やかな光が差し込む、質素で無人の劣化しきった木造の駅に降り立った。


 周りは山々に囲まれ、人よりも動物が出てきそうな奥地、一見すると行為に及ぶ最高のロケーションのように思える。雑草や木造の駅から腐敗し崩れた木々を飛び越え、出口を出ると、見渡す限りの田畑、一寸離れた場所には、瓦礫で作られた趣深い家々が、不格好な歯並びのような並びで連なっていた。手前に建てられた小屋は、無人の野菜販売所だろうか。景色に唯一、トマトの赤やなすの紫、やかましい色素が視界に入ってきた。


 ここなら人の目を気にする必要もないだろう。あとはしらみつぶしにロケーションを把握し、最適な場所を選んでおく。条件がそろい来るべき時になった瞬間、行為に及ぶ。


 完璧な計画に一片のわだかまりもあってはいけない。隆之介は計画を絶対的なものにするために、意気込んであたりの散策を開始した。


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 どれだけの時間がたったのだろう。柔らかな光が差し込む太陽もすっかり落ち切り、暗く澄み切っていた。辺りは弱く輝く電灯にところどころ照らされただけの閉鎖的な空間だった。


 隆之介は先ほど、小一時間ひたすらに歩いた。不格好に立ち並ぶ民家、集落の唯一の癒しの場でもある公園、見通しの良い田畑、見通しの悪い雑に整備された森の道。隅から隅を徹底的に見て回った。当然防犯カメラらしき防犯整備などどこを見てもされていなかったし、行為がいとも簡単に行えることが容易に想像つくほど、条件がそろい、行為のために造られた場所のようにすら思えた。


 ただ一つ、懸念されることがあった。人の質だ。


 『誰でもいい』そう決心したときは、確かに矛先の対象は、人であれば問題がないと心から思っていた。


 しかしここには、年老いた、今にも逝ってしまいそうに生きる高齢者しかいない。


 おそらくこいつらでもなんら問題なく欲望は満たせる。しかし、俺もまがいなりにも人間だ。対象にも好き嫌いがあり癖がある。


 どうもご高齢の方からは、生気が感じられない、意地でも生きてやろうという。もし、殴り刺し相手を撲殺しようとしても、いまいちやりがいがないように思える。ゲーム序盤で倒す雑魚キャラのように。


 これでもかと生きようと、必死にもがき、苦痛に耐えかねる可憐な生物としての必死な抵抗を、拝みたい。隆之介自身、そういう趣旨の動画を好んで見てきた。


 せっかくの機会だ。妥協などもってのほか。この集落からは手を引くことも検討のうちかもしれない。


 そんなことを考え動いているうちに、時間は感じることを忘れるがごとく過ぎ去っていった。今、隆之介は、今日電車を乗り継いできた腐敗しきった駅の前の時刻表を、寒中電灯を照らし眺めていた。


 「…ローカル線って、こんなに本数少ないのかよ…」


 現在の時刻は21時前。普段通学や移動に使う地元の電車は、この時間は容易に運行を進めていた。その要領でこの駅も例外ではないと思っていたが、目の前の時刻表には、最終20時の運行と書かれた惨い事実が記されていた。下手をしたら俺がしようとしていること以上に理不尽だ。隆之介は心底幻滅し、備え付けられたベンチに腰掛けた。


 両親に迎えに来てもらうか?こんな僻地にまで足を運んで友達と遊んでいたなんて、信じてもらえるわけがない。ましてや隆之介の計画実行の舞台は、このように人目のない乾ききった地域で行う。のちに通り魔による殺人が場所とともに報道されれば、今日の不審な動きから、実の息子を犯人だと疑わざる負えなくなるかもしれない。


 犯行が露見する材料はひとかけらとしてもあってはいけない。電池の切れかけたケータイを使い、母親にメールで『友達の家に泊まってくる』と渋々送信した。


 隆之介は俯いた顔を上げ、目の前の線路の先を眺めた。点々としか照らされず出口の見えないさまは、長設されたトンネルを思わせた。


 一応この線路に沿って歩けば、元いた駅にまでたどり着くことはできる。ただ途方もない時間がかかるというだけだ。この一日中歩き疲弊しきった使い物にならない足を使い、ただただ面白みもない景色の続く道を歩き続ける。隆之介は持ち物のバッグを使い自分の首元を掻っ切ろうかとも考えた、もちろん冗談だが。


 民家に一晩だけ泊めてもらおうか?いや、そんな勇気はさらさらない。野宿?こんな蒸し暑くウジ虫が湧き散らかす中で、そんなのは論外だ。


 救いはないことを悟った。隆之介は「あー」と世界へ鬱憤をぶつけ、線路わきの道へ出て、懐中電灯を照らし、歩き始めた。

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