死刑囚トドオカ暗殺計画

武井稲介

死刑囚トドオカ暗殺計画

 中ノ鳥島海中監獄、コードネーム『レムリア』が太平洋の海中に存在していることを知っている人物は、法務省内部でもごくわずしかかいない。

 死刑執行することが困難な事情のある死刑囚や影響の大きい囚人を収監する特別監房は、人権すら侵害するほど特殊なセキュリティが施されている。

 その中に死刑囚トドオカが収監されていることを確認するために、何人もの仲間を喪失した。

 そして、俺はついに今日、トドオカを狙う。

 世界を、救うために。


 水中を自由に航行する魔道具『人魚姫』と機械類の時間経過を一時的に停止する魔道具『神の鞭』。この二つを使えば、水中刑務所に侵入するのはたやすいことだった。

 それも当然の話。俺の世界から持ち込んだ魔道具を、この世界の住人が想定しているはずがない。

 俺は、問題なくトドオカの独房に侵入し、犯行を完遂。難なく本来の世界へと帰還するつもりでいたのだ。

「貴様、どうやって侵入したんだ?」

 トドオカの独房へと続く廊下で一人の刑務官が、呆れたように待ち構えていた。どこで気付いたのかはわからないが、警戒を電子機器に頼り切らないのはこの刑務所の危険性を思えば当然の発想なのかもしれない。

「日本で最強のセキュリティしているはずなんだがな」

 俺は刑務官の問いかけには取り合わず、

「あんた、仕事でやっているんでしょ? 命賭けるほどの話ではないなら、見逃して貰いたい」

「そうはいかねえよ。トドオカを拘束するのに何十人死んだと思っているんだ」

 刑務官の武装に目をやる。武器はサブマシンガン。本来、この国では許されていないはずの武器だ。あらためて、この刑務所にトドオカが収監されていることを確信する。

 並大抵の犯罪者では、ここまでの武装は必要ない。

 刑務官は一見して弛緩した様子で銃を下ろしているが、しかし油断なくこちらを見つめている。手練れだ。この時代の日本に、これほど銃が手に馴染む人間は他にいないだろう。

「それに、命を賭けるほどではないというのもそっちも同じだろう。トドオカは、どうせ処刑されるんだから」

「本当に処刑する気があるならね」

 俺はため息をついた。

「日本政府が既に処刑してくれていたら、僕たちはこんなことをしなくて良かったんだ」

「まあ聞けよ」

 刑務官はやれやれとかぶりを振る。

「トドオカの能力"忘却"は知っているだろう? トドオカが忘れた概念は、この世から消える。これのせいで世界は大変な目にあった……。歌、映画、結婚……あとはなんだ? 俺ももう思い出せない。奴を恨みに思う気持ちもよくわかる。その上で、殺してしまうと何が起きるのかわからん。だから、自然死を望んでいるだけだ」

「それは、処刑しないというのと同じだ」

「もう死んでいるようなものさ。なにせ、トドオカは全身を拘束されて、両目をくりぬかれている。新しい情報がなければ忘れることもできないという理屈だ。奴はもう、糞便を垂れ流すだけの肉袋だ」

「それじゃダメなんだ。こっちにも事情があってね」

 背中に背負っていた剣に手をかける。

「あんたたち、トドオカが忘れた概念がどうなっているか知っているか?」

「あん?」

「この世界はいいよ。何が消えたのかもやがて忘れるんだから。でも、忘れた概念は、俺たちの世界に来るんだ」

 剣を抜くのは、久々だった。かつてドラゴンを貫いた愛剣で、今、人を斬ろうとしている。

 その時だった。

「何やら、楽しそうな話しとるのォ」

 ぬ……っ、と何かが空間に生じていた。

 刑務官の背後に、大きな影が発生していた。天井につえそうなサイズで、全身を黒い拘束具に覆われて、顔にも仮面をつけられて不自由そうに立っている。

「どうやって脱獄した? 貴様!!」

 振り返った刑務官がサブマシンガンの引き金を引く。そこには、一瞬の躊躇がなかった。だが、何も起きなかった。

「……!!?」

 刑務官は困惑し、幾度も引き金を引く。やはり、何も起きない。

「おどれ、誰じゃったかのう。あー……」

 トドオカがそう呟くと、刑務官の存在が消えた。

 忘れた……のだ。

 忘れることで、刑務官の存在はこの世から消えた。

「会いたかったよ、トドオカ」

 汗で粘つく指で、剣を握り直す。そう思っていたはずだが、武器が宙にかき消えた。

 今、現在進行形ですべてを、忘れて、失っていっている。

 これが“忘却”のトドオカ……。

 からん、と音を立てて仮面が床に落ちた。

 ひっ、と声が漏れた。誰かが言っていた。トドオカは両目をくりぬかれているのだと。その言葉通りに、トドオカの眼窩はぽっかりと空洞で、肉色の組織が露出していた。

 トドオカは力を込めて拘束具を引きちぎると重々しい足取りで近づいてきた。

「おどれ、ワシに用があってきたのと違うんか、あぁん?」

 素なのか、それとも恫喝しているのか。トドオカは、ドスの利いた声で言う。

「異世界から来たとかぬかしておったのう」

「ええ」

 脂汗が、流れ落ちる。

「あんたたちがイメージする異世界ファンタジーの世界からはるばる来たよ、あんたに会うためにね」

「復讐か?」

 トドオカは目が見えていないはずだが、僕の位置がわかっているかのように僕に向けて言い放った。

「ワシとしては、自覚はないがのォ。復讐いうンなら、おどれにはその権利がある」

 言葉にせずとも、トドオカの肉体に力がこもったのがわかった。死刑囚として拘束されていたはずなのに、どうやっているのだろう、トドオカの肉体はボディビルダーのように隆起し、絶えず圧力を発している。

「確かに、トドオカ。あんたのせいで、俺たちの世界は大変な目にあったよ。いくつもの国が滅びて、何万人もの人が死んだ。だが、俺が来た目的は、復讐じゃない」

 仮に目標が復讐だとしたら、そのために何人も仲間を喪失するのは勘定が合わない。いずれ死ぬ死刑囚を殺すために、喜んで身をなげうつ人はいない。

「俺の目的は、あんたに神になって貰うことだ」

「あ?」」

 トドオカの声に、いくらかの興味がまじって聞こえた。

「あんたに、人としての人生はやめてもらう。俺たちの世界の神になれ」

「どういうことだ」

「言った通りの意味さ、トドオカ……あんたが忘れたものによって、俺たちの世界は大混乱した……俺たちの世界にはない技術や価値観が流入したからな」

 当時の俺たちの世界には、蒸気機関すらなかった。

 より効率がいい技術がいくらでもある世界が向こう側にある。その事実を、認識した上で忘れるなんてことは、俺たちにはとてもできなかった。

「ここから解放してやるよ、トドオカ。そして、多くのものを俺たちの世界に放り込んでくれ。俺たちの世界は、その忘れていった概念で成長させてもらう。それが、神になってもらうってことだ」

 人ではなく、神として。

 トドオカには、神としての生き方を全うしてもらう。

「なかなか面白いのォ」

 トドオカは、あごをなでさすった。

「おどれの世界が、これまで以上に壊れるが、ええんか?」

「もちろん。人は停滞したら死んでるのと同じだ」

「ワシにはその気持ちはわからんが……ここにいるのも飽きた」

 トドオカは眼球のない顔に、ぞっとするほど不気味な笑みを浮かべた。

「ワシを楽しませろよ? 異世界の勇者」

「もちろんですよ、カミサマ」

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