明日、六時半にさくら公園で

だいたい日陰

わたしたぶん、捨て犬とか捨て猫とか、ほっとけないタチなんだと思う

 すやすやと、後ろの席から気持ちよさそうな寝息が聞こえる。

 教室の中の全員がそれに気づいているにもかかわらず、だれも寝ている当人に声をかけようとはしない。

 それは安達美奈も同じだった。

 思い返せば、高校一年生のときは平和だった。

 中学校からの友人のゆかりと同じクラスになり、席も近かったので、休憩時間のおしゃべりも、一緒に食べるお弁当もすべてが楽しく、無用なストレスを抱えることはなかった。

 二年生になると、ゆかりとまた同じクラスになれたものの、席が離れてしまった。残念ではあったが、まあ、それだけならば問題はない。

 お昼休みになれば生徒たちはそれぞれのグループを作って食べるので、美奈もゆかりの席の近くに移動すればいいだけだ。実際、休憩時間のおしゃべりだって継続している。

 美奈が抱えることになった無用なストレス。

 それは、美奈の後ろの席になった素行不良な生徒、相馬太晴が原因だった。

 授業中に、美奈の後ろで爆睡しているやつだ。

 遅刻をするのは当たり前。授業中はずっと寝ていて、ほとんど起きてくることはない。

 髪の毛を金色に染めていて、背が高く、がっしりとした体格のため、立ち上がるだけで周囲に威圧感を与えた。

 常に不機嫌なオーラを全身からかもし出していて、プリントの回収など、仕方のない事情で話しかけても鬱陶しそうな顔をされる。

 このように、なるべく関わりあいになりたくない人物が、美奈のすぐ後ろに座っている相馬だった。

 いまは六月で、夏休み前には席替えが予定されている。それまでは息を潜めて、なるべく気づかれないように生きていこう。

 そう思っていたのだが。

「安達さん。相馬くんを起こしてあげて」

 教師たちも相馬となるべく関わりたくないと考えているらしい。しかし、授業中に居眠りをしている生徒を放置しておくわけにはいかない、という義務感もある。

 アンビバレンツなそれらの折衷案が、相馬の前に座っている生徒に起こさせる、だった。

「ご自分でどうぞって言ってやれよ」とゆかりは怒ってくれるが、教師に言い返すほどの勇気は持ちあわせがない。

「相馬くん、相馬くん」

 次の席替えまでの我慢。

 繰り返し、自分に言い聞かせながら、後ろの席の相馬に声をかけた。

 いつもの相馬の反応は、不機嫌な声を出しながら起きてくる、または起きてこない、のどちらかだ。

 だが、この日は違った。

「あ?」

 半分眠っているような、ぼんやりとした声を出しながら相馬が頭をあげる。

 やはり半分眠っているような目で美奈を見ると、こう続けた。

「ああ……安達。犬の飼い方おしえてくんね?」

 思わず、美奈は「は?」と声を出してしまった。


 なんでこんなことになってるんだろう。

 美奈は、ペットショップでドッグフードのパッケージを手に取りながら思った。

「うちのじーさん、倒れちゃってさ」

 すぐ後ろでは、相馬太晴がつまらなそうに犬用のおもちゃを見ている。

「犬を引き取ってきたんだけど、飼い方なんて知らねーし」

 だから美奈に声をかけたらしい。

 たしかに安達家の家族はみんな犬好きで、いまも、ずんだという名前の柴犬を飼っている。犬に関して詳しい方だと思うし、困っている人がいるならば助けることはやぶさかではないが。

「なんで、わたしが犬飼ってるって知ってる……んですか?」

 素行のよろしくない金髪の同級生にどういう態度で接していいか分からず、思わず最後が敬語になってしまった。

「前に散歩してんの見かけた。じーさんが飼ってるやつと同じ犬だなって思って」

「柴?」

 美奈が尋ねると、相馬は「しば?」と首を傾げた。

「柴犬のこと」

「ああ、なんかそんな犬」

 美奈はものすごい不安に襲われた。相馬は犬にまったく興味がない。こんなので、おじいさんから引き取ってきたという子は大丈夫だろうか。

 相馬から聞いた話だと、ケージや散歩用のリードなど、基本的なものはそろっているようだ。ドッグフードや、散歩中にウンチを入れる袋のような消耗品だけ買い足しておけば十分だろう。

 選んだものを買い物かごに入れて渡すと、にこりともせずに相馬が言った。

「安達はもう帰っていいぞ」

「え、いいの?」

「俺なんかと一緒にいるとこ、見られたくないだろ」

「散歩の説明とかいらない?」

「散歩って?」

 美奈は無理やり笑顔を作った。

「犬には、一日二回の、散歩が、必要なんです」

「そっか。んー」

 相馬は、ぽりぽりと頭をかいてから、こう続けた。

「ま、なんとかなんだろ」

 特に言うことがなくなった美奈は、ひとりでペットショップを出た。

 家を目指して歩きながらも、相馬に飼われることになった柴犬について考えてしまう。

 ペットを飼うというのに、あの知識のなさ、なによりも興味の無さが不安でしかたがない。

 いやしかし、飼うためのものを買い揃えようとしているし、わからないところは美奈に聞いたわけで、そういう意味では安心していいのだろうか。

 いやいやしかし、いつも授業中に爆睡している相馬が、自主的に早起きして散歩にいくとは考えにくい。

 もしかしたら――。

 ハッとして、美奈はその場で足を止めた。

 見知らぬ柴犬のクオリティーオブライフの向上は、美奈の行動にかかっているのではないだろうか。

 くるりと踵を返すと、さっきのペットショップまで小走りに戻る。

 もちろん、相馬の家の場所なんて知っているわけがない。ずんだの散歩をしている美奈を目撃したということは、そんなに住所が離れているわけではなさそうだが、できればペットショップにいるところを捕まえたい。

 小走りが本気の走りになり、最後は全力疾走になった。

「安達? なんでまだいんの?」

 なんとか、相馬がペットショップの自動ドアを出たところに間に合った。

 膝に手をついて、ぜえぜえと息を整える。

「あ、朝の散歩」

「いま夕方だけど」

「じゃなくて」

 まともに話せるぐらいまで呼吸が整った。

 美奈は頭をあげると、こちらの意図をつかみかねている相馬の視線とまっすぐに向き合った。

「明日の朝の散歩。うちの柴も一緒にいい?」

 相馬は無反応だった。

 美奈と視線を合わせたまま、なにかを考えているようだ。

 ――警戒されてる?

 美奈が相馬を警戒するならわかるが、その逆はよくわからない。

 さすがに間が持たなくなってきた頃に、ふ、と相馬が視線をはずした。

「やったことないから助かる」

「じゃ、じゃあ、明日の六時半にさくら公園で待ち合わせね」

「ああ。……は? 六時半?」

 驚いたような表情を浮かべる相馬に「よろしく」と手をふって、あらためて美奈は家路についた。

 寝坊しないでちゃんとくるだろうか。

「起きてこないようなら、わたしはもう知らないからね」

 自分自身に言い聞かせるようにそうつぶやいてから、学校の外でも相馬を起こす役割を担っていることに気づいて、なんとも言えない気分になった。


 翌朝。

 相馬は時間どおりにさくら公園にあらわれた。

 上下ともに真っ赤なジャージ姿なのは、適当な服がなかったからだろう。

 背が高くて金髪で赤いジャージという組み合わせなので、遠くからでもすぐに発見することができた。

 一方の美奈の服装はというと、母親のウォーキングにつきあう交換条件として買ってもらった、水色を基調としたスポーツウェアを身に着けている。

 普段は、そこまでちゃんとした姿で散歩しているわけではないが、さすがにクラスの男子と行動をともにするのであれば、そういう関係でなかったとしても見た目を意識せざるを得ない。

 その男子は、さきほどから何度も「ふわぁ」と盛大なあくびをしている。ものすごく眠そうではあるが、しっかり柴犬を連れてきていた。

 白っぽい毛色のオスで、美奈が連れてきたずんだと、お尻のにおいをかぎあっていた。ちなみに、ずんだもオスだ。

「かわいい。この子の名前は?」

「茶々丸」

 半分寝ているような表情のまま、相馬が答える。

「茶々丸、よろしくね。うちの子はずんだだよ」

 美奈がしゃがんで頭を撫でてやると、茶々丸は嬉しそうに尻尾をふった。おとなしくて、とても性格のいい子だ。

 一時的な飼い主との差がひどい。

「人間って、こんな時間に起きちゃダメなんじゃね?」

 相馬も冗談を言うのか、と軽く驚いた。

「相馬くんは、いつも寝てるよね」

「ゲームとか動画とか楽しいじゃん? 明るくなるまで見ちゃうんだよな」

「家族になんか言われない?」

「うち家庭ホーカイってやつだから。おれ、中学まで、じーさんに育てられたし」

 茶々丸を撫でる手を止めて頭をあげる。

 相馬は美奈の反応に気づいていないのか、もしくはそういうフリなのか、公園の適当な場所を見ながらこう続けた。

「はやく行こうぜ。遅くなると安達が遅刻しちゃうしさ」

「う、うん」

 気になるが、他人が触れていいような話題ではないだろう。

 美奈はずんだと一緒に先頭に立ち、犬の散歩の仕方についてレクチャーを開始した。

 犬は車道側を歩かせない。ウンチはかならず回収し、水をかけてなるべくきれいにする。自転車で散歩をさせるのは違法。公園の芝生は、犬の侵入禁止となっている場所が多いから注意をする。

 そのような説明をしながら、三十分ほどで近所の道をまわり、さくら公園に戻ってきた。

「散歩してる犬はよく見るけど、いろいろと気を使ってんだな」

 ようやく目が覚めてきたらしい相馬が、感心したように言った。

「できてない人もいるけどね。変なトラブルに巻き込まれたら、ずんだが可愛そうだし、わたしはなるべく気をつけてるかな」

「安達って、ほんとに犬好きな」

 ふわ、と相馬の表情がゆるんだ。

 不機嫌か眠そうか無表情か。

 いつもこの三種類の表情のローテーションだったから、美奈は珍しいものを見たような気になった。

 優しそうな顔もできるんだなと、なぜか、すこしだけ胸が高鳴った。

「だ、だけど、茶々丸ってほんとにいい子だね」

 なにかを誤魔化すようにして、茶々丸の頭を撫でる。

 すると、ずんだが「俺も撫でろ」とばかりにすり寄ってきたので、両手でそれぞれの頭を撫でてやる。両手に柴状態だ。

「そうか?」

「うん。他の犬とすれ違ってもぜんぜん吠えないし、散歩してるときも、ずっと相馬くんのこと見てたよ」

「おれを? なんで?」

「相馬くんがなに考えてるか観察してたんじゃないかな。あと、散歩って楽しいよね! っていう主張かな」

「そっか」

 相馬はその場でしゃがむと、「おれも楽しかったよ」と茶々丸の頭を撫でた。

 嬉しそうに尻尾をふる茶々丸を見て、美奈は安心した。

「相馬くん、ひとりで散歩できそ?」

「次は夕方な。大丈夫だと思うけど、その前に二度寝する」

「学校は?」

「昼ぐらいにいくかな」

「あははっ。じゃあ、またあとでね」

 ずんだのリードを引きながら手を振ると、相馬も「さんきゅーな」と言いながら手を振り返してくれた。

 家に向かって歩く途中、美奈はまだ胸の高鳴りを感じつづけていた。

 いまなら、授業中に居眠りする相馬を起こせと言われても、やれやれ、といった気分でできるかもしれない。


 二週間が経過した。

 その間も相馬は遅刻や授業中の居眠りを継続していたが、すこしずつ、回数が減ってきた気がする。

 そしてついに――。

 がら、と教室のドアが開くと、そこには相馬の姿があった。

 教室の中がざわめく。

 なぜなら、いまはまだ登校時間中。つまり、遅刻をしないで相馬が現れたのだ。

「なんだよ?」

 教室に入るなり、クラス中の視線を一斉に集めた相馬がきょとんとしている。

 慌てたように、生徒たちがそれぞれの朝の時間の使い方に戻っていった。友達としゃべったり、時間割どおりに教科書を並べたりだ。

 後ろの席に座った相馬に、美奈はそっと話しかけた。

「今日は早いね」

「身体が勝手に起きるようになった」

「散歩で? 茶々丸のおかげだね」

「どうだろな」

 そっけない返事をして、机に突っ伏してしまった。夜ふかしをして眠いのだろうか。

 茶々丸について話すのは一緒に散歩に行って以来、初めてだ。

 美奈としては、茶々丸のクオリティーオブライフに責任を感じているため、定期的な状況報告が欲しいところだが、どことなく、相馬から距離を取られているように感じていた。

 いまもそうだが、なるべく話しかけられたくないような、そんな空気を全身から出しているのだ。

 すこしは仲良くなれたと思ったんだけどな。

 頬杖をついて残念に思っていると予鈴が鳴り、生徒たちはそれぞれの机に移動していった。


 お昼休みになったので、いつもどおりに、ゆかりの机にお弁当を広げる。

 美奈のお弁当は母親に作ってもらっていて、父や兄のものと同じおかずが詰められているため、全体的に茶色い。

 料理が好きなゆかりは自分で作っているらしく、緑や赤も取り入れて、弁当箱の中の彩りが美しかった。

「最近、相馬とよく話してんじゃん」

 ほうれん草のおひたしを箸で口に運びながら、ゆかりが言う。

「そうかな?」

 学校で相馬と会話らしい会話をした記憶がない。

 今朝のわずかなやりとりと、ペットショップに行った日の「犬の飼い方おしえてくんね?」ぐらいだろうか。あれはなんというか、相馬が寝ぼけていて、うっかり話しかけてしまっただけのような気もする。

 その二回で、よく話している、という印象になるぐらい、相馬に話しかける人間はいないということだ。

「脅迫でも受けてんの?」

「は? 失礼なこと言わないでよ」

「じゃあ、付き合ってんの?」

「んなわけないでしょ。相馬くんも柴を飼いはじめたから相談されただけ」

「なんだ」

 ゆかりはつまらなそうな表情を浮かべると、アスパラの豚バラ巻きから爪楊枝を引き抜いた。

「でもマジ気をつけなよ。相馬、中学のときはかなり荒れてたらしいから」

 ――おれ、中学まで、じーさんに育てられたし。

 公園での言葉が脳裏に浮かび、美奈は相馬の方に視線を向けた。

 相馬は、自分の席でスマホを見ながら菓子パンをかじっている。

 だれも近寄ってこないし、だれも近づけさせないその姿は、わざとそうしているように感じた。

 おそらく、あの日のさくら公園で、茶々丸を撫でていたときの姿が本来の相馬なのだろう。

「どしたの?」

「うん。ちょっと呼んでくる」

「だれを? って、うぉい! 美奈!」

 立ち上がって、つかつかと真っ直ぐに相馬の前まで歩いていく。

「なんだよ?」

 いつもの不機嫌そうな表情を向けられるが、それに怯まず、「一緒に食べよ」と声をかけた。

 後ろから、ゆかりの「はあっ⁉︎」という声が聞こえるが、それを無視する。

 相馬は一瞬、不意打ちをくらったような顔になったが、すぐに不機嫌さを塗り直した。

「バカか。戻れよ」

 追い払おうとするのを笑顔で受け流す。

「茶々丸の話、聞かせてよ。ちゃんと散歩いってる? ゆかりを呼んで、こっちで食べてもいいけど、どうしよっか?」

 さきほどまで賑わっていた教室内が静まり返っていた。

 生徒たち全員が、まるで喧嘩しているかのような美奈と相馬のやりとりに注目している。

 もっと強い言葉をぶつけようとしたのか、相馬の口が開き、迷い、なにも言わずにまた閉じた。

「わたしは」

 代わりに、美奈が言葉を続けた。

「相馬くんと一緒に食べたい」

 視線が絡み合う。

 前にも感じた、こちらを警戒するような、探るような、そんな視線だ。

「……嫌だろ?」

 ぽつり、と相馬が言葉を漏らす。

「なにが?」

「おれといるの」 

「嫌じゃないってば。わたしたぶん、捨て犬とか捨て猫とか、ほっとけないタチなんだと思う」

「だれが捨て犬だ」

 軽快なつっこみ。

 そして、なにかを観念したように相馬の表情が軽くなった。

「安達って変なやつ」

「はじめて言われた」

「うそだろ?」

「一緒に食べる?」

 あらためて聞かれた相馬は、ゆかりの方を指さした。

「あいつが嫌じゃなけりゃ」

 美奈も、じっとゆかりを見る。

 ふたりから無言の圧力を受けたゆかりは、「わかったよ!」と言ってくれた。


「失礼しました」と、職員室のドアを閉めた。

 本当は、怒りのままにドアを蹴ってやりたいところだが、ぐっと抑えながら教室に向けて歩き出す。

「美奈。どうだった?」

 ゆかりが教室の前で待っていてくれた。

「気が向いたら来るだろ、だって」

「ひどっ。仕事しろよな」

 相馬が学校に来なくなった。

 一緒にお昼を食べるようになって数日。

 茶々丸やずんだの話題から、すこしずつ別の話もできるようになり、ゆかりから「相馬って意外と普通じゃん」という評価までもらえるようになったところでの、突然の不登校状態だ。

 なにか情報はないかと担任の教師に話を聞きにいったが、あまり関わりたくないという態度が見え見えだった。

「遅刻や居眠りはしても、休むことはほとんどなかったのに」

「先生に住所きいてトツしてみたら?」

「おうちの事情かもしれないし、あまり踏み込むのもね」

 ましてや相馬の家庭事情は、いろいろとややこしそうだ。

 もしかしたら教師たちのあの態度も、相馬に対するものというより、その親に対する距離感なのかもしれない。

 ゆかりが「うーん」と腕組みをする。

「どこかで捕まえるとか? コンビニとかいくんじゃね?」

「あ、それだ」

「どれ?」

 美奈は、ぴっと人差し指を立てた。

「茶々丸が導いてくれる」


 翌朝の六時半。

 赤いジャージ姿が、さくら公園の入口に現れた。

 あいかわらず、すぐに発見できる見た目でありがたい。

 ずんだも茶々丸に気づいたようで、尻尾を激しく振って、わん、とひと声鳴いた。

 相馬と茶々丸がこちらに顔を向ける。

 なにか言われる前に、美奈が先に口を開いた。

「うわ、すごい、ぐうぜん」

「うそつけ」

 相馬が怒っていいのか、困っていいのか、わからないような表情になる。

 真面目に茶々丸の散歩をしているだろうと予想した待ち伏せは成功した。次はどうして学校を休んでいるのかを聞こう。

「ええと」

 切り出し方を迷っていると、相馬がその場にかがんで、茶々丸とにおいを嗅ぎ合っているずんだの頭を撫でた。

「うちのじーさん、死んじゃってさ」

「それは……ごしゅうしょうさまです。だから学校休んでたんだ」

「ああ」

 相馬はずんだの頭を撫で続けている。犬の扱いは、だいぶ慣れたようだ。

「おれが死んだらおまえが飼えって、一番やっちゃダメなやつじゃね? 自分の寿命を考えろって話だろ?」

 飼え、は茶々丸のことだろう。おじいさんは、はじめから茶々丸を相馬に譲るつもりだったのだ。

 ずんだの横から茶々丸が頭を出し、相馬はそちらにも手を伸ばした。両手に柴状態だ。

「おまえのご主人、もういないんだ。わるいな。残ったのが俺で」

「相馬くんだっていいじゃん!」

 自分で思ったよりも大きい声が出た。相馬が驚いて顔をあげる。

 美奈は腹が立っていた。相馬の自己肯定感の低さに対して。そして、周囲から距離を置くことで自分を守るしかなかった、相馬の家庭環境に対して。

「茶々丸は、ちゃんと愛されて育てられたのがわかるよ」

 美奈もしゃがんで茶々丸の背中を撫でる。

「おじいさんは茶々丸をちゃんと育ててくれた。相馬くんも、おじいさんに育てられたんでしょ? ちゃんと、育ててくれたんでしょ?」

 相馬の顔がゆがみ、慌てたように袖で隠した。

「ばか、おまえ……泣くだろ」

 相馬の異変を察知したのか、茶々丸は、その頬をぺろりと舐めた。

 相馬が頭を撫ででやると、茶々丸は嬉しそうに尻尾を振った。

「チャチャ。おれたち、じーさんに育てられた仲間だな」

「相馬くんの弟だね」

「弟?」

 相馬は、茶々丸のほっぺたを軽くつまむと、むにむにと揉んだ。

「そっか。なあ、安達」

「ん?」

「おれ、家族ができたよ」

 いつも不機嫌か、眠たそうな顔をしている相馬。

 そんな彼から、はじめての笑顔を向けられた瞬間、美奈の目から涙がこぼれた。

「ははっ。安達が泣かなくてもよくね? 自爆じゃん」

「あはは。ねー、もう」

 恥ずかしさに笑って誤魔化していると、ずんだが、まだ散歩に行かないのかとリードを引っ張りはじめた。

「わかったから。引っ張らないの」

 美奈と相馬。ずんだと茶々丸がそろって歩きはじめる。

 しばらく無言が続いたが、緊張したように相馬が口を開いた。

「安達、あのさ」

「ん?」

「明日も、一緒に散歩いかね?」

 相馬の方を見ると、すこし顔が赤いように見える。

「うん。じゃあ」

 また騒ぎはじめた胸の高鳴りを意識しながら、美奈は笑顔を浮かべた。

「明日、六時半にさくら公園で」

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