第8話 神の山、スピネル

 兵士長ガーネットを先頭に、三人という少なすぎる調査隊は上山スピネルを登っていた。

 登るほどに、毒瘴は色が濃くなっているようだった。


「お前たち、絶対に毒瘴に触れるなよ。必ず全員無事で、陛下へ情報を持ち還るんだ」


 貫禄のある背中に、タンザは頼もしさを感じていた。

 それと同時に、タンザの脳内ではさまざまな思いが渦巻いていた。

 初めてサフィヤと太陽の下を歩くのが、こんな状況だとは思いもよらなかった。朝日でまぶしいはずのこの時刻、毒瘴の影響で朝夕すら分からなくなるほどだった。しかしわずかな朝日がサフィヤの銀色の髪を照らし、黄金色に輝いていた。背中まで伸びたその髪は後頭部で一つに束ねて垂らされており、朝日を孕んだ滝のようだった。

 斜め後ろから静かに後をついてくるサフィヤを時々横目で見やりながら、彼は山頂を見上げていた。



 しばらくは毒瘴を避けて歩くことができたが、山頂に近づくにつれ、難しくなってきた。そこかしこに毒瘴は広がり、道を塞がんとしている。

 それに、トルマーレ兵二人の身体にも影響が出始めていた。二人とも、額には汗が滲み、呼吸が荒くなっていた。


「兵士長、タンザ、大丈夫ですか。しっかりしてください」


 毒瘴に塞がれ一度立ち止まった二人に、サフィヤはそれぞれの肩へ手を押し当てた。

 蒼い光が、静かに二人を癒していった。


「すまない、サフィヤ」

「ありがとうな」

「少しは楽になったようで良かったです。やはり、山頂に近くつれ、毒瘴の力が強まっているようです」 


 サフィヤは道を塞ぐ毒瘴を見つめた。なにやら影のようなものがわずかに蠢き、生きているかのようだった。


「この毒瘴を無理に通るのは危険だ。時間はかかるが、迂回して行くしかない」


 ガーネットが眉間に皺を寄せながら言った。今調査班がたどっているのは山頂への最短ルートだった。迂回するとかなりの時間を費やし、日没までに城へ戻れない可能性があった。


「兵士長、僕に提案があります。この毒瘴、僕が手をかざすと少しだけ弱まるみたいです。実は今朝、庭園に溢れたものを触ってみて分かったんです」


 サフィヤは毒瘴に手をかざした。すると、毒瘴は少しばかり薄くなり、蠢く影が鳴りを潜めた。


「兵士長、僕が毒瘴に触れる許しをいただけないでしょうか」

「な……っ、危険すぎる! それにサフィヤにまで倒れられたらこの調査は中止になってしまうぞ」

「……そうですね。けど試してみる価値はあると思います」


 ガーネットをまっすぐ見つめる蒼い瞳に、タンザも思わず加勢した。


「お言葉ですが兵士長、サフィヤが弱めた毒瘴を俺が剣で断ち切ってみせます」

「毒瘴に触れないという陛下の条件だろう」

「……俺は直接は触れません。剣を使います」

「おい、タンザ」

「ガーネット兵士長、お願いします」


 タンザとサフィヤはガーネットの目をまっすぐみつめた。


 「………わかった、やってみよう。だがタンザ、お前はエスピリカではないのだから毒瘴には誤っても触れるな。サフィヤも少しでも異変を感じたらすぐに中断しろ。いいな」

「「はい!」」


 大きな倒木のように道を塞ぐ毒瘴の塊へ、サフィヤは手を触れた。すると少しずつだが蠢く影が弱まり、深い黒が薄くなっているのが分かった。


「……もう少し……!」


 サフィヤは気合を入れ直し、毒瘴を払おうとした。


「おりゃっ!」


 タンザは剣を取り出し、父親から何千回と受けた剣捌きで毒瘴を斬った。

 すると、一瞬だが剣で斬ったとおりに、人一人がやっと通れる隙間が表れた。


「一瞬だが、通り道ができただと……! でかしたぞ二人とも!」


 ガーネットは驚きつつも、二人の功績を素直に讃えた。


「タンザ。今度は俺が剣で毒瘴を斬る。その間に二人で向こうへ行ってくれ」

「……っ! 兵士長はどうするのですか! 俺がまた斬ります、兵士長とサフィヤで――」

「いいや、これは上官命令だ。お前たちが行った後をすぐに追いかける。すまないがサフィヤ、また力を借りるぞ」

「はい!」


 サフィヤは一旦手を胸の前で合わせた。気を溜めて、再度毒瘴を掴むように手を伸ばした。


「兵士長、今です!」

「ああ!」


 えいやっとガーネットが剣を振り下ろした。また作られた僅かな隙間に、タンザとサフィヤは素早く飛び込んだ。


「すげぇ、あの毒瘴を飛び抜けたぞ」


 相変わらず毒瘴には溢れているが、なんとか山頂への道を登れそうだった。


「はぁ、はぁ…でかしたぞ、お前たち」


 はやり少し毒瘴にあたってしまったガーネットは、駆け寄ったサフィヤの手に癒されながら再度二人を讃えた。

 上官の回復を見届けたのち、先ほどから力を使い続けるサフィヤをタンザは案じた。


「サフィヤ、そんなに力を使って疲れないのか?」

「……今は平気。まだまだ、僕はトルマーレの役に立てます」


 ―――違う、そうじゃないんだ。

 トルマーレの役に立ってもらうのはこの上なくありがたいことだが、タンザはサフィヤの身に問題が起こらないかを内心案じていた。


「ひとまず、山頂の火山口まであとひと息だ。平気とは言っても、サフィヤも力を酷使するのは危険だ。今まで以上に注意を払い登るぞ」 

「「はい!」」


*****


 トルマーレの地下。

 そこでは毒瘴に犯された、多くのトルマーレの民が病床に伏していた。

 まだ元気な兵士や民とともに、数十名のエスピリカが彼らの看病に励んでいた。


「ありがとう、ありがとう……」


 病床に横たわる老女が、看病に来たエスピリカへ涙を流しながら謝辞を述べていた。エスピリカは微笑みながら彼女の腕をさすり続けていた。



「トパス。本当に助かる。ありがとう」


 トルマーレの王は、再び地下を訪れていた。

 かつて、幽閉のために地上と地下を隔てる門は、今は毒瘴を防ぐために閉ざされていた。


「我らがお役に立てるなど、光栄の限りにございます。解毒の力を有する者がいて良かった」


 異常事態をいち早く察知したトパスは、地下への受け入れ態勢を整えていた。そこへ側近を連れた王が直々に避難場所として地下を利用する交渉をしに行っていたのだった。

 この混乱の最中、民は藁にも縋る思いで地下へ避難した。長年閉ざされた地下へ赴くことに最初は動揺する者もいたが、王の命となると皆素直に従った。


 

 トパスは若き王に心より感服していた。彼は、トルマーレの民が地下へ避難してきた直後のことを回想していた。


『皆、聞く余裕のある者のみで構わない。聞いてほしい』


 弓矢を射るような声が地下に響いた。看病する者は一度手を止め、伏している者も何とか聞こうと耳を傾けた。


『長年地下には怪物がいるとまことしやかに伝えられたが、それは真実でない。ここに暮らすのは王家の、もといトルマーレの友である』


 王はエスピリカたちを壇上へ呼びつけた。


『彼らはここに暮らす――いや、ここに永い間幽閉されていた一族である。此度、トルマーレの羽翼となってくれる味方だ』


 エスピリカは王と民へ頭を垂れた。民からどよめきが上がった。


『詳細はこの混乱が落ち着き次第、正式な会を以って発表する』


 民は状況が読めていない者も多い様子だが、毒瘴に犯されそれどころでないのと、王の言うことならと素直に聞いていた。


 ―――民が皆貴方を信じている。貴方はまさに神の子孫です。

 トパスは頭を垂れながら、胸の中で手を併せた。


*****


 タンザたち調査班が大きな毒瘴を切り抜けている頃。

 トルマンは地下の避難所から王宮へ戻っていた。


「陛下、どうか地下へお戻りくだされ…! いよいよお倒れになってしまいますぞ!」


 年長の側近が君主へ懇願していた。


「サフィヤに癒してもらってからはだいぶ楽になっている。心配は無用だ。それに私はここで、調査班を迎えない訳にはいかない」


 心配無用とは言い難い様子でトルマンは側近の願いを突っぱねた。少しは薄くなったとはいえ、その瞳の下には隈が目立っていた。


「陛下に何かあってからでは遅いのです。この混乱の時だからこそ、民のためにも陛下には健全でいていただかねばならぬのです。陛下は民の光にございます」


 王は少し黙ったあと、穏やかにふっと笑った。


「ああ、そうだな。いつも心配をかけて済まない」


 トルマンは壁に刻まれた神話を見つめていた。視線の先では、千年前の王ダイモンドがエスピリカへ剣を向けていた。


「……ダイモンドなら、どうしただろうか」

「……? どうなされたのです」

「あの壁画のダイモンド王なら、この事態をどう収めただろうかと思ってね」

「……難儀ですな。それはダイモンド様にしか分からぬことにございます。ただ、かの王は、本来エスピリカと共存したかったはず。ならばトルマン陛下のように、エスピリカとともにトルマーレをお護りになったのでは、とわたくしめは考えますぞ」

「……そうか。ありがとう」


 トルマンは壁画から目をそらさず、凛とした声で語った。


「千年前にエスピリカと袂を分けたことも、今回の火山も。きっと大きな意味があると私は思っている。そしてそれらは今、私がなんとしてでも解決すべきことだと」

  

 壁画の王は、なにを思い壁の中で剣を振るっているのだろうか。王宮で調査班の帰還を待ちながら、詮無いことを思い浮かべては頭を振って振り払った。 



  


 

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