第7話 毒の瘴

 二人が逢瀬を重ねて幾日か経った頃。

 そして、トルマーレがエスピリカを随伴した火山調査を計画していたさなかだった。


 スピネル山から国中に、黒い煙のようなものが溢れ始めたのである。

 毒気を伴っているのか、近付くと気分が悪くなり、まるで生気を吸われたかのようになった。



「陛下! スピネル山より出づる煙が止まりません! 民も体調を崩す者が増えております!」

「なんということだ……これでは調査すらできぬ……!」


 トルマーレ王宮の執務室。

 トルマンを始め、側近や近衛兵らが頭を突き合わせていた。


 民へは、家屋の戸や窓をすべて締め切って身を守るよう急ぎの御触れを出し、トルマーレは王宮も街も閉ざされた。外には人っ子一人おらず、黒い煙がただよっていた。


*****


 地下、エスピリカの街。

 族長トパスは地上の騒ぎにいち早く気付いたていた。


「非常に、不可解だ‥‥あれはただの煙ではないぞ……雨では防ぎ切れぬ」


 彼は暗い天井を見上げる。その視線は、スピネル火山の方角へ向けられていた。


「族長、地上は一体どうなってしまったのでしょうか!?」

「サフィヤらは無事でしょうか!?」


 エスピリカが口々に族長へ不安を投げる。


「皆、落ち着くのだ。予知できる者がおらぬ以上、誰にも分からぬ。だが、あの煙のようなものは、おそらくトルマーレの民のみに影響しているようだ」

「トルマーレの民にのみ……? どいうことです、族長」

「今朝方、エメラルがサフィヤの動向を感じ取った。地上でサフィヤは煙に触れたものの、何ともなかったそうだ」


 エメラルと呼ばれたエスピリカが、族長の隣で大きく頷いた。彼は千里眼を有したエスピリカだった。

 エスピリカから安堵の声が漏れると同時に、さらなる不安の声が上がる。


「ではトルマン陛下は? トルマーレの民らはどうなってしまうのでしょうか?」

「まだ分からぬ。しかし、火山の煙から逃れるには地下が手っ取り早かろう。陛下は地下へ民を避難させようとお考えになるやもしれぬ。いつでも受け入れられるよう、支度を整えるのだ」

「はい、族長!」


 エスピリカたちは各々役割を分け合い、一斉に動き始めた。


*****


 明け方、サフィヤは離れに流れ込んだ黒い煙に気づいた。


「なんだ、これは……」


 彼は密かに外へ出るとその煙へ近付いた。

 煙は何やら瘴気を纏っているように見えた。


―――これはただの煙じゃない。

 直感的にそう感じた。


 思い切って煙に触れてみると、黒い瘴気のようなものが手に絡みついた。

 しかし、それはすぐに細く弱くなり、サフィヤのてのひらで朽ちていった。


「明らかに害がありそうだけど……僕の力で少しはどうにかできるかもしれない……!」


 彼は王宮を見下ろすようにそびえるスピネル山を見上げた。煙のようなものは、火山山頂より吹き出ているのが見えた。


「やはり、火山の中で何かが起きている……」


*****

 時は早朝、王宮・神話の間。

 兵士が集められ、緊急の引見が行われんとしていた。

 通常、引見・謁見は本丸で行うはずが、この時は神話の間へ兵士が集められていた。

 王国を守る兵士と言えど、その場にいた多くの者が困惑、不安、焦りの表情を隠せずにいた。謎の煙に当たり、兵士の半数以上が欠けてる最中であった。街の医者ではどうもできず、自宅や王宮の一室―――臨時で解放された療養室で横たわるしかなかった。これからトルマーレはどうなってしまうのか、だれもが途方に暮れていた。

 


 地上であるはずなのに、重くよどんだ空気の中。清い鈴の音とともに王がそこへ光臨した。

 兵士たちが一斉に跪く音が響く。王は音もなく神話の間の中央へ降り立った。


「皆、表を上げよ。時は一刻を争う。ただいまより兵士諸君へはこの国の真実を、先に伝えねばならぬ」

 

 眼の下に隈を作りつつもトルマンは、疲労を感じさせない凛とした声を発した。それに対し、言葉を発するものはいなかったが、兵士らの表情は疑問に満ちていた。

 ただ一人、タンザを除いて。彼は王のまなざしをそらすことなく見つめていた。


「トルマーレに伝わる火山神話―――それはすべての真実を伝えていない。これから皆には真実を知ってもらう」


 あの日タンザが見たように、王は壁画の隅へ歩み寄ると、刻まれた古代文字のいくつかへ手を触れた。すると壁画が扉のように動き出し、その向こうにもう一つの隠し部屋が表れた。


「なんだ??」

「神話の間にこんな仕掛けがあったのか!」


兵士から一斉にどよめきが上がる。


「皆の者、静粛にッ!」


 近衛兵の一括で、空間は再び静寂に包まれた。兵士らは神話の間の奥に現れた、きらびやかな空間に驚きを隠せなかった。


「皆、これは"真実の間"と呼ばれる。王宮内でも限られたものしか存じなかった部屋だ。ここには、火山神話では描かれなかったエスピリカの真の歴史が刻まれている。全員、こちらへ――」


 王は、あの日タンザに語ったトルマーレの歴史を兵士たちへ語った。

 エスピリカは怪物なんかではないこと、千年前の予言と民の衝突、今も地下に生きるエスピリカ―――


 狐につままれたような者、薄々気付いていた者。兵士の反応は様々だったが、王の言葉を疑う者は誰一人としていなかった。親愛なる君主、そして神の子孫の言葉なら素直に信じるのがトルマーレの民だった。


「既知のとおり、スピネル山より出づる煙が国中を蹂躙している。あれはただの煙ではない。"毒瘴"である。本来なら火山の調査へ赴くところだが、我々トルマーレの民は毒に犯され、事が難航している。そこで此度、エスピリカが羽翼となる」


 トルマンは他の兵士とともに部屋で直立するタンザへ一瞬視線を投げた。


「この刻をもって、緊急事態につき地下への接近禁止令を解除する。兵士の引導で民を地下へ避難させる。病床に伏した者の手当ても地下で行う。地下の者たちへも話は通してある。近衛、指揮を頼むぞ」


 トルマンは先の選抜隊にもなっていた近衛兵を指揮者とし、民を地下へ誘導する大人数の班を立ち上げた。近衛兵の指揮のもと、さらに班は小分けにされ、どの地区を廻るかの役割分担がなされた。各班の役割が決まるや否や、彼らは即座に街へと駆け出して行った。


 真実の間に残されたのは王と側近、兵士長、サフィヤ、そしてタンザ。サフィヤをのぞき選抜隊の面々であった。

 トルマンは兵士二人と一人のエスピリカへ身体を向けた。


「君たちには先より重い任ばかりで済まない。此度は、サフィヤを随行し、火山調査をしてほしい……」


 そう告げると、トルマンは膝から崩れ落ちた。側近らが瞬時に両脇を支える。


「陛下……!」

「お願いですから、ここは我らにお任せになって休息を……!」


 側近の悲痛な懇願を受けながら、トルマンは咳き込みながら抑えきれぬ悔しさをにじませた。


「このような……姿を見せて済まない。知らぬ間に、毒瘴に当たってしまったようだ……」


 兵士らの悲痛な視線を避けるように、彼は目を伏せて微笑んだ。


「なに、大したことはない。少し休めばすぐに回復する。王たるものこれくらい耐えられるものだ」


 トルマンは神話の間の2階へ続く階段へ顔を向けると、そこに隠れるように控えていた人物へ声をかけた。


「サフィヤ。こちらへ」


 階段の影から人影が表れ、それは小走りでこちらへやってきた。サフィヤは王の前に跪いた。


「改めて、諸君へは火山、火口付近の調査を命じる。この毒瘴の発生源、及び手がかりだけでも探ってほしい。非常に危険な道中となるだろう。そこで、以下の条件のもと、調査の遂行をしてほしい」


 トルマンの出す条件はこうだった。

一、毒瘴は極力避け、絶対に触れないこと。

二、万一触れてしまったら、サフィヤの治癒能力に頼ること。

三、毒瘴による体調不良が強く残る際は、直ちに城へ戻ること。


「以上だ。この事態の解明を急ぎたいが、人員は欠けてはならん。くれぐれも、手遅れになる前に撤退してくれ」


 命じている間も、トルマンの隈が濃くなっているようにタンザには見えた。

 するとサフィヤが頭を垂れ、トルマンへ手を差し伸べた。


「畏くも陛下。どうか、わたくしに――」


 サフィヤはトルマンの手を取ると、二人の手が優しげな蒼い光に包まれた。


「……ありがとう、サフィヤ」


 トルマンの隈が少し薄くなり、呼吸もいくらか安定した。

 が、完全には毒瘴の影響が取れてはいないのは明らかだった。

 だが、彼は自力で再度立ち上がった。


「毒瘴に対し、エスピリカ、もといサフィヤはある程度の耐性を有する可能性がある。そこでガーネット、タンザ、そしてサフィヤ。きみたちへは共に火山の調査へ行ってほしい。頼めるか」

 

 ガーネットと呼ばれた男は現兵士長だった。誰よりも責任感の強く、王の言葉を聞いた瞬間、彼の瞳は決意に燃え上がった。

 そして三人は王の前に跪き、深く敬礼した。

 王は苦虫を噛んだような、けど少し安堵したような、感情が入り混じった表情になった。


「皆、すまない………ありがとう……」


 本来ならありえないほど少人数で、超危険な調査の旅が幕を開けた。

 


 


  


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