第2話 トルマーレの兵士

「なんだ? まーた壁画とにらめっこか」


 若手の兵士が、同期の兵士を小突く。

 今日の勤めを終えた日勤の兵士たちが各々帰り支度をする中、彼は王宮に刻まれた壁画を見つめていた。

 兵士になってからというもの、毎日のように壁画を見つめているため、同僚らから「壁画の恋人」とあだ名がついていた。

 幼い頃から兵士長の父より稽古を受けた彼は、その実力が認められ、若くして近衛兵候補の一人となっていた。決してそれをひけらかすことは決してなかったが、壁画ばかり見ていたり、王室の図書館で神話についての本ばかりを読み漁るため、やや浮いた存在となっているのは否めなかった。


 その壁には、トルマーレ王国に伝わる『火山神話』が壁一面に描かれていた。


「いいだろ、ここが好きなんだから」

 

 黒い短髪が映える日焼けした肌、日々の鍛錬を伺わせる屈強な身体。

 まだ皺の少ない兵士の衣装を纏った青年、タンザ。

 彼は父と同じく、兵士となって王国に仕えていた。


 さすが恋人だ、などとからかいながら帰宅していく同僚を尻目に、彼は改めて大きな壁画を一望した。

 噴火した火山。火山の神スピネル。スピネルの御子がトルマーレを建国する様子―――。

 そして"悪魔の子孫"が島へ到来し、千年前の王が彼らを地下へ封じ込める様子。

 悪魔の子孫エスピリカは、その壁画では人間とかけ離れた姿で描かれていた。


 あの日から、10年ほどの月日が経っていた。タンザとエスピリカの少年と会えなくなった、あの日から。あの逢瀬は、壁画の"悪魔"が見せた、一時の幻想だったのではないかと思うことさえあった。

 しかし、“彼”から渡された本が、夢ではないと告げる。その本は、トルマーレに伝わる神話とは大きく異なる内容であった。かつて“彼”から聞いたとおり、翼やキバのある怪物は、それには登場しなかった。

 その本は今、彼の自宅、二重底になった引き出しへ厳重に隠さされていた。子どもゆえか、ずいぶんと大胆なことをしたとタンザは自身を振り返る。誰かに見つかればただでは済まない。しかし燃やしてしまおうとは一度も思えなかった。



 出会うはずのなかった、いや、出会ってはいけない少年たちが出会い、知ってはいけないもう一つの歴史を知った。

 王家に仕える身となった今も、タンザは未だに疑問だった。

 この国に伝わる歴史は真実なのか。なぜエスピリカは不吉な予言をしたのだろうか。王国の罪とは一体何なのか。

 それになにより―――


「あいつは、生きてるかな」


*****


 街にあふれる陽気な音楽、煌びやかな装飾。今日は年に一度の祭り"ポシーオ"に王国は活気づいていた。

 ポシーオとは、火山神スピネルへ平穏と自然の恵みを感謝する日である。たくさんの果実や穀物が実るこの季節、採れたてのそれをふんだんに使った料理を作り、盛大な歌や踊りとともに神へ捧げる。

 捧げ終わった料理を食べるとスピネル神の御加護を受けられるという言い伝えがあり、民は食べ物を分け合って食べる。


「火山神スピネルへ感謝を! 神の子の繁栄を!」


 街の広場で、巨大な弦楽器を持った奏者が歌った。その周りでは民が音楽に合わせて舞っている。

 タンザは見廻りのため勤務についていた。普段から祭り好きな民が、一番にぎやかになるこの日。彼は子どもの頃からこの喧騒に混ざって踊るのはなんとなく苦手だった。

 広場には大きな舞台があり、そこでは民による劇が演じられていた。もちろん『火山神話』を再現した内容である。


「そして、千年前! ダイモンド王は悪魔の子孫エスピリカを封じ込めた!」


 劇の語り手が熱くナレーションする。すると観客おろか、近くで歌い踊っていた者たちも一斉に舞台を振り向き、熱い視線舞台へ向けた。


 神の子の、登場である。


 "彼"が舞台袖から現れた瞬間、民は異口同音に歓声を上げた。


「トルマン様ぁー!!」

「国王陛下ぁーー!!」

「ダイモンド様ぁーー!!」


 様々な呼び名が飛び交った彼の名はトルマン。トルマーレ王国の王である。火山神スピネル及び、千年前悪魔の子孫を封じ込めたのダイモンド王の子孫である。

 トルマンは見事な剣舞を披露し、悪魔の子孫役の役者を打ち倒した。

 その悪魔の子孫は、真っ黒な衣装に羊のような角が生え、大きな翼が生えていた。


 演劇は今や伝統行事となり、現国王がダイモンド王を演じていた。日頃から民へ寄り添い、慕われているトルマン。年齢不詳感あふれる精悍な顔立ちと、王族らしからぬ気さくな性格で民からの支持を熱く得ていた。彼はこの日、王宮を降りて民とともに火山神を祀っていた。

 民の熱狂とともに、舞台は幕を下ろした。 


「今年もトルマン様かっこよかったわぁ」

「あの剣捌き惚れ惚れしちゃう!」

「さすが火山神様の御子孫だ」

「でも神の子孫て言っても人間なんだろ?」

「なんだっていいじゃねぇか。トルマン様はトルマン様なんだから」


 口々に感想を言いながら歌や踊りへ戻ってゆく民を、タンザは他人事のように眺めていた。

 彼は表向き見廻りをしながらも、先の演劇を反芻していた。


―――エスピリカはあんなやつじゃない。


 この大勢の民へ紛れて、ふと"あいつ"がいるのではないか。お面や帽子、フードを深く被った者を見ては、"あいつ"がこっそり祭りに紛れているのではと疑った。タンザはあの日の逢瀬へ想いを馳せていた。


*****


 ポシーオも後半に差し掛かった頃、トルマンが側近らを引き連れながら民と交流しているのが見えた。民は敬礼したのち、笑顔で王を迎える。王も爽やかな笑みを返し、実に楽しげな談笑が行われていた。


 道を開け敬礼し続けるタンザに気が付き、トルマンは彼に近付いた。


「やあ、タンザ。見廻りご苦労だ」

「はっ、何も異常ございません」

「ふふふ、君はお父上に似てほんとうに真面目な若者だ。せっかくの祭りだ、そんなに畏まる必要はないぞ」


 今日は無礼講だ、と温和な王は微笑んだ。


「はっ。陛下、先ほどの剣舞、御見事でございました」

「元兵士長のご子息からお褒めに預かるなんて光栄だ。君のお父上の剣術こそ見事なものだったよ」


 タンザの父オニキスは、すでに兵士長を引退していた。


「お父上は元気かな?」

「はい。今は街の子どもたちへ剣を教えております」

「そのようだな。実に素晴らしい。君たちのような兵士が今後も増えると思うと非常に頼もしい。楽しみだよ」


 王は気さくに微笑むと、また他の民と交流するため向こうへ渡り歩いて行った。


 タンザは敬礼を解きひと息ついた。

 彼は、王に声を掛けられると内心穏やかではなかった。あの日、エスピリカの少年と会ったことを知られているのではないかと。



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