第1話 1節 地下で見た星

「おれ、かあちゃんから聞いたもん。地下には子どもを攫って食べる怪物がいるから行っちゃいけないんだって!」

 

 街の子どもたちが固まって駄弁っている。

 このトルマーレには、地下には怪物の住む町が広がっていると昔から言われていた。


「あたしもきいたことある! えすぴりか? とかって名前の怪物で、口が大きくて、キバがあって、大人でも丸のみにされちゃうんだってー! 」

「うわあ、こええ! そしてでっかい黒い翼があって、あちこち飛び回るんだろー?」

「おいらはピンク色のでっかいドラゴンだって聞いた! 炎を吐くんだってさ!」

「それに地下に行っただけで自分も怪物にされちゃうんだろー?」


 口々に怪物についての情報が出てくるが、どれも釈然としないものである。

 遠巻きに会話を聞いていた少年タンザはため息をついた。

 トルマーレの人々は、幼いころより地下に行くことを禁じられていた。恐ろしい怪物がいると言い伝えられているが、実際にその姿を見たものはいない。

 タンザも一度、地下へ行ってみたいと母へ言ったことがあった。

 母は顔を真っ赤にし、「お父さんに叱ってもらいますからね」といった。その後、帰宅した兵士の父から大目玉を食らったことは言うまでもない。

 

 ――――誰もエスピリカを見たことないのに。

 タンザはいつも疑問だった。

 エスピリカとかいう怪物を見た者がいるわけでも、それが街を襲ったわけでもないのに、なぜ地下は、存在するかも分からぬ彼らは忌み嫌われているのだろうか。


 タンザは物静かだが、好奇心旺盛な少年だった。大人の目をかいくぐり、近いうちに必ず地下へ行って怪物がいるかを確かめたいと思っていた。


 *****


 よく晴れた、平日の夕方。

 タンザはトルマーレ城のベテラン兵士二人が奥まった階段を下って行くのを向かっていくのを気に留めた。

 どこを探しても地下への出入り口は見付からなかった。

 では、城内かその付近にそれがあるのではないかと推測していた。

 彼は父を迎えに来たふりをして城内へ入り、何か手掛かりはないかと日々目を光らせていたのだ。


「ったく、あっちまでいちいち見回りに行く必要あるかねぇ。こーんなに平和な国なのによお」

「おい、口を慎め」


 どんどん城の地下階へ進む兵士の後ろを、息と足音を殺して追いかける。こんな場所は、明らかに兵士の家族でも立入禁止だろう。万一見つかったら、父を探して迷ったと子どもらしい言い訳をするつもりだった。


 地下何4階ほどまで降りただろうか。螺旋階段の終わりに、古びた大きな鉄扉が見えてきた。気だるそうな背伸びをしながら兵士の一人が鍵を出し、鍵穴に差し込んだ。

 キィ、と錆びて無機質な音とともに扉は開かれ、二人はその向こうへと消えていく。鍵穴から中をの側も、暗くてよく見えない。そおっと、タンザは扉に手を掛けた。

―――――開いてる。

 ばくばく言う心臓をうるさく感じながら、彼は子どもには重すぎる扉を渾身の力で開けた。


「ふぅ……って、真っ暗だ」


 わずかな隙間に身体を滑りこませることに成功したものの、鉄の扉を閉めると暗闇だった。手探りで、目の前にさらに鉄扉があることは察知できた。


「さすがに…こっちは開くわけないよな…」


 今度の扉は押しても引いてもびくともしない。こちらは兵士に施錠されたのだろう。


「これ以上は無理か……今回も大した収穫なし、か。」


 ため息をつきながら、父の終業時刻が迫っていることに思いを馳せた。タンザの家は代々兵士の家系であるため、彼は毎日のように父から剣術を習っていた。普段は温厚な父であるが、晩の稽古を怠けた日には鬼の形相になる。

 踵を返そうとしたその矢先――――。 


 遠くから、細く細く光が漏れていることに気づいた。暗闇に目が慣れてやっと見つけられる程度の光だった。

 タンザはそこへ忍び寄った。

 多様な石を積み上げて造られた壁を蹴ると、少しぐらつく石があった。またここでも力を振り絞り、子どもが抱えるには大きすぎる石をどかすと―――

 石の形に、オレンジの光が漏れ出てきた。

 幼い子どもがやっと通れるくらいの穴ができ、好奇心旺盛なタンザは迷わず体をねじ込ませた。

 そこは狭い通路のような空間が続いていた。彼は鼻をつまんで口呼吸しながら通路を這い、夢中で目に入った曲がり角を曲がった。


 しばらく進むと、何やら声が聞こえてくる。一匹二匹ではない。何匹も、いや何十匹もの声が聞こえる。曲がり角の最奥に、十字格子の窓のようなものが見えた。

―――これがほんとうに怪物だったら。

 不思議と恐怖は感じず、ひたすら好奇心のみでタンザは動き、ついに格子までたどり着いた。


「………っ!」

―――いた。何匹もじゃない。何人もだ。

 タンザは格子越しに見える光景に言葉を失った。

 見たことのない髪の色、肌の色、瞳の色、そして衣服をまとった人間が数十人。


「あれ、人間なのか……?」


 そう疑いたくなるほどに、彼らはとても美しかった。

 いや、少年タンザには美しいという言葉では片づけられないほどの衝撃が走っていた。


「ねえ、なにしてるの?」


 鈴のような声が、タンザの耳を刺激した。心臓が口から飛び出しかけ、声の主に目をやった。

 が、こちらからではよく見えない。


「近くに出られる場所があるから、こっちに来て話そうよ」


 こっちこっち、と指さして声の主はタンザを導いた。

 タンザは導かれるままに赴いた。数十メートル横に移動すると、またもや子どもがやっと通れそうな穴があった。


 潜り抜け、地に足を付けて立ち上がった途端――――

 タンザの中で、時が止まった。

 目の前にいるのは、人間か?

 透き通るような白い肌、光をまとったかのような銀色の長い髪。タンザと同様、あどけなさの残る顔立ちだが、まさに人ならざるもののオーラをまとっていた。 

 彼、いや「それ」は蒼玉のような瞳でタンザに微笑みかけていた。

 

「ねえ、きみここに一人で来たの?」

「あ、ああ……そうだよ」

「きみ、トルマーレ人の子どもでしょ? どうしてここに来たの?」

「えっと、どうしてって……」


 怪物がいるか確かめに来た、とは言えなかった。


「見廻りの兵士はたまに来て監視窓から覗いてるけど、トルマーレ人の子どもが来るなんて初めてだよ。よくこんな場所を見つけられたね。ぼくもたまにこっそり地上に行くけどさ」


 あ、これ誰にも内緒だよ、と「それ」はいたずらっぽく笑った。


「きみ、名前はなんていうの? ぼくはサフィヤ。ぼくのおじい様はエスピリカの族長なんだよ!」

「エスピリカ……?」

 

 地上でさんざん聞かされた名前。

 キバや翼のある怪物、ピンク色のドラゴン、大人でも一口で丸のみにされる―――


「うん、エスピリカ。地上の人は知らないの? 僕らは不思議な力が使える一族なんだ。昔はトルマーレ人と地上で一緒に暮らしてたんだよ!」

「一緒に……?」

「うん。もう、ずぅっと昔のことらしいけど」

「ずっと昔……地上に??」

 

夢物語のようなことを聞かされ、タンザは頭がついていかなかっった。

昔はトルマーレで一緒に暮らしていた? こんなきれいな人間たちが?? こいつらがキバや翼のある怪物だと恐れられていたのか?


「ねえきみ! 名前は?」

「ああ、おれはタンザ。父さんがこの城の兵士長なんだ」

「へえ! そうなんだ! なんかかっこいいね!」

「ああ、父さんはかっこいいんだ」

 

 なんだかくすぐったいような気持になる。

 二人で微笑み合った瞬間、遠くからサフィヤを呼ぶ声がした。


「あっ、いけない、そろそろも戻らないと。タンザももう戻ったほうがいいよ」


 こっちから地上に出られるから、とタンザの手を引きサフィヤは走った。


「ここから登っていけばお城のお庭に出るんだよ」


サフィヤはまた、やっと子どもが通れそうな隙間を出て、上階へと続く長い梯子を指さした。


「ちょっと危ないから気を付けて」

「ありがとう、サフィヤ。なあ、あの……」

「うん? なに?」

「また、会えるかな」

「もちろん! また会おうよ。今度はこの上のお庭で、ね」


 互いに手を振ったあと、タンザは急いで梯子を登っていった。

 

 サフィヤのいった通り、一般開放された王宮庭園の隅、普段誰も来ない古井戸から地上へ出た。

 外はもうすっかり暗く、三日月がこちらを見下ろしている。


「やっ、やばいっ」


 タンザは全速力で帰路を走った。が、当然先に帰宅していた父から大目玉を食らったのは言うまでもない。




 

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