闇二抗イシ影ヨ
黒雪姫
第1話 闇
「わたくしは、わたくしは、もう、嫌ですの!」
世界の
「わたくしは、わたくしは、もう二度と、罪のない人間のお嬢さんの命を奪いたくありませんわ……。……あの方々は、これからわたくしが命を奪わなくてはならない方々に、もう地上界にはおられない方々は、まだ、わたくしとそう齢の変わらない幼気な年の乙女なのですよ!」
とても可愛らしい女の子の声がまた、涙声混じりに叫びました。
それは、愛情をたっぷりと注がれて丁寧に作られたお人形さんのように整った顔立ちの女の子の声でした。
「あのわたくしと同じくらい麗しいお嬢さんたちは、フランチェスカ様と、ここな様は、ただ、舌が軽やかなダンスを躍るくらい美味なお料理で沢山の方々をお腹いっぱいの笑顔にして差し上げたいだけですのよ!」
おとぎ話の白雪姫みたいに白い肌の女の子は、精巧に作られたお人形さんのように綺麗だけど表情に乏しい顔を歪め、
「それなのに、それなのに、何故、わたくしは、フランチェスカ様やここな様の燃える命の灯火を消さなくてはなりませんの……? 」
女の子の南の海のように明るい水色の髪はクシャクシャになり、
「もし、フランチェスカ様やここな様を殺めなければならない宿命を背負って生まれてきたのなら、わたくしは……わたくしは……」
女の子のくっきりとした大きな瞳(苺のように赤い瞳孔でした)は、
「フノスお嬢様!お言葉とはいえ、卒爾ながら、申し上げます。 一体、何故そのようなお嬢様らしからぬ不可解で信じがたいことを二つも仰るのですか? 」
女の子なら誰もがうっとりしそうなくらい魅力的な低い声の男の人が、はっきりと聞き取りやすい口調で確かにそう言いました。
「フノスお嬢様、我が敬愛する主君であり、輝く美貌におかれましても、戦場での華々しい活躍におかれましても、
この男の人は、フノスお嬢様と呼ばれた女の子のお世話をするお仕事をしていて、声がかっこいいだけじゃなくて、夜の闇のように黒いローブという種類の服を着こなしていて、女の子ならば、誰もが一目で恋に落ちてしまいそうな、その声に負けないくらい顔立ちも整っていました。 その、魅力的で、滑らかな低い声に相応しい顔立ちをした男の人の顔には、大きな剣で斬りつけられたような傷があります。 そして、その涼しい目の光には、一片の優しさも感じられません。
「まず、フノスお嬢様、貴女様は、ソールとマーニのように光り輝く美貌と、水よりも澄んだ美しいお声をお持ちの偉大なる戦乙女にございます。よもや、フランチェスカやここな等という人間の小娘如きが、真逆、貴女様と比肩する程、麗しいはずがないでしょう。たとえ天と地が逆さになるようなことが起こったとしてもそのようなことはありません」
黒尽くめのローブを身にまとった、とんでもなく格好良くて、一片の優しさも感じられない涼しい目をした男の人が、嫌悪に満ちた口調で付け足しました。
「そして、フランチェスカにここな、こやつらは、年端もいかない小娘ながら、皆のために、美味な饗をこの世に生み出したかもしれません。其の点だけは、貴女様のお褒めにあずかってもよろしいでしょう。
男の人が、
「……………………………………………従者さん、それは違いますわ!」
珍しく嵐の海の波のように激しい口調で言い返したフノスお嬢様の目には、いつのまにか、涙は消えていましたが、そのかわり、言いようのない不安と悲しみが映っていました。
「フノスお嬢様、
「…………従者さん、それはどういうことですの!?」
「よろしいですか? フノスお嬢様、春の陽気よりも穏やかで善良な気質と、貴女様よりは遥かに劣るとは言え、それでも、人間の世界に吐いて捨てるほど存在する
従者さん、とフノスお嬢様に呼ばれた、黒いローブを全身に纏った男の人が、平坦な口調でフノスお嬢様に尋ねました。
「はい。貴方の言う通り、エルフ族のお姉さまですわ。確か、フランチェスカ様やここな様と親睦を深めておられたエルフのお姉様は、ミーシャ様と仰ってよ」
「然し、フランチェスカとここな、こやつらは、愚かにして恥知らずにも、その美麗なるエルフ族の淑女、ミーシャ殿の前で
「まぁ、
「では、お教えしましょう。まず、美麗なるエルフ族のミーシャ殿が空腹ならば、舌がとろけるほどの饗を数え切れないほどご用意し、ご堪能いただくことは、至極当然の理にございましょう。この世のご馳走がフノスお嬢様のものであるのと同じようにね」
「ええ。そうですわね……」
フノスお嬢様が控えめに頷きます。
「それにもかかわらず、フランチェスカとここなは、『どちらがより美味な料理でエルフ族の淑女殿を愉しませて差し上げる名誉を得るか』などという下らぬ争いを行い、
「……………………そう、ですわね」
「つまり、フランチェスカとここなは、ミーシャ殿が、目の前におられるのであれば、即座に全てのご馳走をお捧げするべきだったのです。
従者さんが、虚ろな表情で、顔をしかめながら、問いかけました。
「
「ほう、成る程」
「フランチェスカ様やここな様は、このお屋敷でわたくしが食べている豪奢なお料理と同じようなメニューを、一人でも多くのお客様に楽しんでいただきたいだけですわ……」
「然しながら、フノスお嬢様……」
「それゆえに、つい、お客様の取り合いをなさっただけよ! 」
「ほう、成る程。」
「フランチェスカ様やここな様は、お二人共、腕によりをかけて作った……ふわふわの卵がお口の中でとろけるオムライス……色とりどりで見た目も鮮やか!ドレッシングのいい香りが一口食べるだけでお口の中に広がるサラダ、サクサクとした歯触りとお口の中で溢れ出す肉汁がお口の中で広がるポークカツレツ……これらの頬が落ちるようなお料理にお客様が舌鼓を打ち、美味しい笑顔になられる光景を目にする度に、心が弾み、浮き立ち、頬がほころんでしまわれます。」
「然しながら、フノスお嬢様……下らぬ理由で見苦しくも言い争うのは、実に愚かでは?」
「……確かにつまらない理由で意地を張り合うのはよくありませんわ。
でも、それは、フランチェスカ様やここな様が、出来立ての美味なお料理と同じくらいホットな思いで、お客様の晴れやかな笑顔を願っておられるからでしょう。 ミーシャ様だって、それは、きっと、わかっておられます。お二人は、愛らしいお嬢さんでありながら、既に立派なコックさんよ。お客様のために、香り高いご馳走を生み出し続けるフランチェスカ様やここな様から、命の灯火を消さなければならないなんて、わたくしは、わたくしは、嫌ですわ!」
フノスお嬢様が、表情を強張らせて、激しく首を横に振りながら、そう、叫びました。
「ほう、成る程。フノスお嬢様! やはり、貴女様ともあろう御方が、また、いつもの悪いご病気を罹ってしまいましたか?」
従者さんは、ご主人様のその言葉を
でも、従者さんの顔立ちの黄金比率が整った顔には何の感慨も浮かんでいません。
「わたくしは、決して病気ではありませんわ」
「……ご病気ではないとは? ……
「そう、なのでしょうか?」
「それにも関わらず、偉大なる戦乙女でありながら、不必要な情に絆されて、フランチェスカめやここなめに死の裁きを下すことを拒否なさるなど……近頃の貴女様の御心は根元よりご病気としか申し上げようがありません」
「従者さん! フランチェスカ様やここな様には、命を奪うまでの咎はありませんわっ! 」
「フノスお嬢様!私は卒爾ながら、お尋ねいたします。フノスお嬢様は、フランチェスカめやここなめには、命を奪うまでの咎はないと仰りましたが⋯⋯何故、そのような奇妙なことを仰るのでございましょう」
「 フランチェスカ様が、心を込めて作ったサラダは、シャキシャキのお野菜、カリカリのベーコンとパンチェッタ、温泉卵に、舌が幸せを感じる自家製ドレッシングがふんだんにかかった健康的で満足感たっぷりのメニューでしたから、ミーシャ様が心と飢えを満たしていましたわ……」
「成る程。卒爾ながら、お尋ね致します。それが、いかがなさいましたか?」
「ここな様の愛情がたっぷり詰まったクリームコロッケは、カリッとした衣にふわふわの食感、お口の中でしたがとろけるようなコクのあるクリームがたっぷり詰まっていました。一口食べれば、それだけで、ミーシャ様の心とお腹が温まりましたわ……」
「成る程。大変な非礼を承知でお尋ねすることをどうかお許し下さい。それが、いかがなさいましたか?」
「 フランチェスカ様は、お客様のにこやかな笑顔のために、舌が躍る程に濃厚で、お口の中に美味しさが広がるようなソースをいつも手作りなさっていますわ」
「幾度も大変、申し訳ありません。フノスお嬢様、それがいかがなさったと仰るのですか?」
「ここな様は、お客様の笑顔がお好き過ぎて、ホカホカのクリームコロッケやサクサクとした歯触りが病みつきになるポークカツレツを沢山、お作りになっては、お客様に振る舞い、必ず、そのお客様を
「ほう、成る程」
「 このように、フランチェスカ様に、ここな様のお料理が、誰かを救うのであれば⋯⋯わたくしには、このお二人の命の灯火を消すことなんて……できませんわ⋯⋯」
フノスお嬢様は、捨てられた子猫のように訴えかける瞳でそう言いました。
「ほう、確かにそうかもしれません。貴女様の仰ることには相変わらず一理あります」
言葉の内容に反して随分と感情に乏しい口ぶりで従者さんが首を縦に振りました。
「
「そ、そんな……」
「……いずれ、そう遠くはない将来、フランチェスカめはまだ齢が幼くとも五つ星の
従者さんが目を細め、刺々しい口調で付け加えました。
「た、確かにフランチェスカ様は、芯が強い性格をしてらっしゃるので、そうかもしれませんわね。でも、ここな様は、ここな様は、大丈夫でしょう?!」
フノスお嬢様が、苦々しい口調で、問いかけました。
「……ここなめも、フランチェスカめと同じでございます。いつか、あの者は、お客様にご馳走を振る舞うはずが、あろうことか、お客様をご馳走にしてしまう悪しき魔人となるのです。そして……フランチェスカめやここなめが覚醒して、世界に猛威を振るえば、罪無き者たちの血が大地に流れることでしょう」
従者さんが、両手を組んで握りしめます。
「そ、そんな……」
「……フランチェスカとかいう小娘も所詮は人類の端くれにございます。人類共は、いいえ、原罪を背負いし生まれながらの咎人ネフィリム共は、取るに足らないちっぽけな小人であった祖先と同じ過ちを繰り返すでしょう……」
従者さんが、無表情ながらもわずかに口角を下げ、目を見開きました。
「従者さん、フランチェスカ様やここなさまの種族は、確かに人間です。でも、フランチェスカ様やここな様には、夜空に輝くお星さまと同じくらい沢山の人たちをおいしい笑顔で一杯にしたいという素敵な願いがありますわ」
「フノスお嬢様、一体、それがどうしたのですか?」
「それは、それは、フランチェスカ様やここな様が、お二人とも、エルフ族の皆さんと同じく澄み切った御心を、かつて邪剣ミストルティンに胸を貫かれて、無念にも命を落としたバルドル様のような
「ほう、フノスお嬢様は、それが、奴らにも気高い愛の精神があるという証拠だと仰るのですか?」
「……はい、そうですわ! わたくし達戦乙女と同じくらい気高い愛の精神を宿しておられるフランチェスカ様に……ここな様は……世界の敵になんか、なられませんわ⋯⋯」
フノスお嬢様は訴えかけるような目で、従者さんを見つめました。
「我が愛しのフノスお嬢様、私めは、よもや貴女様ともあろうお方がお忘れになられたとは愚考いたしません。私たちの
「……人という存在が……悪魔と比肩するほどに……罪深い種族だからですわ……」
「そのとおり。御名答にございます。さすがは私が敬愛するフノスお嬢様だ。 嘗て、光の存在は、愛と優しさに囚われるあまり、人の罪を裁くことさえ、蔑ろにしました。これでは、かつて人類共の毒刃に倒れ、大地に血を流した生きとし生ける生命に褒め奉えられるべき超越者たちが、浮かばれますまい。それ故に……」
従者さんの影が揺らめきました。
「それ故に……我らは……此処に居るのです……。 我ら誇り高きベルセルクの使命は、フノスお嬢様のような花さえも恥じらいし
人類共の
この咎深き世界にて居場所を喪い、屍と化した数多の生命が大地に流した血の復讐を果たすために……!
それこそが、その崇高な使命を成し遂げることこそが、我々という崇高なる異能戦士の存在理由なのです……」
「……………………………その通りですわ」
フノスお嬢様は、暫く黙ってから、ようやく口を開き、渋々従者さんの言葉を肯定しました。
「それでは、お嬢様、我々ベルセルクや貴女方戦乙女の貫くべき胸の
フノスお嬢様は、しばらく黙って考えていましたが、やがて唱えだしました。
「……私たちは、人間を断罪せし者……」
フノスお嬢様は、胸が締め付けられるような感覚を覚えました。
(けれど、フランチェスカ様とここな様は、わたくし達戦乙女に、断罪されるべき大罪を背負ったお嬢さん達では、決して無いはずですわ……)
フノスお嬢様は心のなかで声を上ずらせました。
「……人間はこの世界の平穏を乱し、過ちを繰り返す罪深き存在……。
……さらさらと吹く風が狂飆へと変えられし刻、
……天使が歌を忘却せし刻、
……虹が七色の光を喪いし刻、
……罪なき者たちの血が大地に流れし刻、
……光の存在が愛と優しさに囚われ、人の罪を裁くことさえ
……我等は一筋の光も射さぬ闇より生まれ、その優美にして気高い姿を、黄昏よりも昏き闇に現し、漆黒よりも黒き闇に紛れ、如何に有象無象なる者とて容赦などせず……この世界に集いて、過ちを繰り返す咎深き
唱え終わったフノスお嬢様は、眉毛を下げると、俯いて、また、黙りました。
「………………………………………………………」
(……フランチェスカ様は、ここな様は、亜人種族の乙女の慈しみに付け込んで意地悪をしたり、亜人種族の乙女の
胸が一杯になったフノスお嬢様が、心のなかで呟きました
「いつもにように、一言一句、間違えずに言えましたね。やはり貴女様は
従者さんの低い声が、ちょっとだけ高くなりました。
「聡明なるフノスお嬢様、貴女様も至極当然ながら、ご存知のように、かつて、
「………………………………………………そう、ですわね」
「奴らは、ほんの僅かばかりの優しさを他種族に向けてはいましたが、それは、他者に奉仕できる程に
従者さんの肌が紅潮しました。
「…………………………フランチェスカ様は、ここな様は、小人さんの子孫かもしれませんけれど、それでも、それでも、心の底から皆様の幸せを願っておられますわ………………………」
少しのあいだ、口を閉ざしていたフノスお嬢様が、口を開きました。
「ええ。今はそうでしょう。まだ、己が小人の血を引く一族の生まれであることを知らないのですからねぇ。……己の出自の
「そう、なのでしょうか?」
「……その刻、奴らは覚醒するでしょう。背中には、四枚の羽根が生え、
従者さんが肩をすくめました。
「事実、フランチェスカとかここなとかいう小娘の祖先は、小人という卑しい種族である己に自尊心の欠如を抱えており、あろうことか、天界から追放された堕天使めの耳障りな
従者さんの顔が余計に青ざめました。
「……堕天使との、つまり、従者さんのお顔に
フノスお嬢様は、美しい声を震わせながら、従者さんの言葉を、
「フノスお嬢様、我が顔の古傷は、古の戦いの証でございます。この痛みは、我が名誉にございます」
「そう、名誉なのですね。貴方は相変わらず雄々しい御方ですこと」
「我が愛しきフノスお嬢様、お褒めの言葉、心より感謝いたします。
ところで、悠久の昔、まだ世界が出来上がって間もない頃に、身の程知らずにも女神に歯向かった
その小娘は、己の醜悪さに劣等感を掲げ、
そこで、堕天使めは、ほんの
その刻の様子は以下のとおりでございます。
まず、
・堕天使めが、契約の証として、小人の小娘と唇を交わしました。
・母親としか唇を交わした経験のない小人の小娘は、最初こそ恥じらいを感じていたものの、やがて、恥じらいは心から消え去りました。
・ 嘗ては、不格好な胴の短い小人の小娘でしかなかった者の肉体が、妖しげに輝く光に包まれ、もはや醜悪な小人ではなくなっていったのです。
・ そして、その妖しげな光が粒子となった途端、昨日まで小人の小娘であった面影は、どこにもありませんでした。
・奴は 、すらりとした長身と背に生えた四枚の立派な羽根。そして天に近い背丈や背中の羽根に相応しい……それは、
「つまり、堕天使の闇の力の効果によって、小人のお嬢さんから、艶冶で美麗な巨人のお姉様へと進化を遂げたのね……」
「そのとおりでございます。不格好な小人の小娘から、見目麗しい巨人のレディへと進化を遂げた途端、己の美貌に酔いしれるあまりに、酷く
「……ネフィリム……?」
「ネフィリムとは、古代の民の言葉で『天から落ちてきた者』を意味する名前にございます。小人ごときがこのように
従者さんが、口をすぼめ、
「それは、それは、でも、あくまでも遠い昔のお話よ。今のあの子たちが……少なくともフランチェスカ様が……ここな様が……わたくしたちの敵となるような、良くないサインは現在のところはまだ、ありませんわ……」
ソワソワした目つきで、控えめに首の後ろを擦りながら、フノスお嬢様は言いました。
「ほう、確かに現下のところはありません。ならば奴の背に忌まわしき羽根が生え、覚醒しないよう、永遠の眠りに就かせてやるのが、
「そう、なのかしら?」
フノスお嬢様が、親指でそっと耳に触れながら、そう訊くと、
「そう、なのでございます。尤もあのフランチェスカやここなとやらもいずれは生きとし生ける者に牙を剥く可能性を秘めた
「どうか、どうか、あの娘の、フランチェスカ様とかここな様の生命を奪わなくても済む方法はありませんの?」
「ございません。千に一つも万に一つもね……」
「そう、なのですわね」
フノスお嬢様は、肩を落として、うつむきました
「土は土に、灰は灰に、
「たしかにそうかもしれませんわ……」
フノスお嬢様が、俯きながら、従者さんの言葉に頷きました。
「それでも……」
フノスお嬢様が顔を上げました。その輝く澄んだ瞳は、また、泣いてしまいそうです。
「それでも、それでも、わたくしは……わたくしは……例え、ネフィリムの血族であろうと……」
「フノスお嬢様、ネフィリム共がどうなさいましたか?」
「わたくしは⋯⋯例え、ネフィリムの血族であろうと⋯⋯わたくしのこの光り輝く美貌、わたくしのこの皆様のお耳をくすぐる澄み切った美声、それらと同じくらい
「フノスお嬢様!貴女様のお言葉に逆らうようで大変お心苦しいのですが……」
「わたくしはね! フランチェスカ様やここな様のことを遠くから見つめていると、なんだか胸が膨らむような感覚を覚えますの……」
「な、なんと!?」
従者さんの無表情な整った顔が、少しだけ、毒気を抜かれたように見えました。
(此処まで、恐れ多いフノスお嬢様の御心を焦がそうとはな…… やはり、フランチェスカやここなは、今まで我々がこの世から消してきた愚かな奴等とは違うのかもしれないな……)
従者さんが心のなかでつぶやきました。
「わたくしの胸が此処まで膨らむのは、フランチェスカ様も、ここな様も、ネフィリムの血族とはいえ、お客様の笑顔を何よりも愛する澄んだお心と、優れた腕が自慢の可愛らしいお料理屋のお嬢さんたちだからでしょう」
どこか 遠くを見つめて、フランチェスカやここなに思いを馳せるフノスお嬢様の胸は、みんなを明るく照らすお日様のようにあったかいものでいっぱいでした。
「……人間の命は、わたくし達、戦乙女に比べれば、美しく咲いても、すぐに散ってしまう花のように、儚いもの。 ならば、その儚い生命がまだある限り、フランチェスカ様やここな様には、お客様を美味しい笑顔で溢れさせて頂きたいのよ……」
「成る程。畏まりました。
従者さんの無表情な整った顔が、ちょっとだけ口角を上げました。
「従者さん、ようやく、わたくしの、この胸が膨らむような気持ちをわかってくれましたのね……」
「はい、何度も申し上げるまでもありません。 例え、ネフィリムであろうとも、胸のうちに、貴女様の清らかなお声や美貌と同じくらい美しい真心を宿しているのであれば、その真心を大切になさりたい……。 奴等の命は、高貴な戦乙女であるフノスお嬢様と比べれば、どんなに美しく咲いても何れは花が散ってしまうように儚いもの……。ならば、奴らの生命がまだある限りは、奴らのお陰で、心が満たされる人々をお増やしになりたいのですね……」
「ええ。その通りですわ。わたくしは、フランチェスカ様やここな様のお料理が全ての種族の人たちの心を満たすことができるとわたくしは信じていますのよ!」
「それでは、わたくしも貴女様と同じく奴らを野放しにしておけば、何れはそのようなこともあると信仰することに致しましょう」
「心の底から、感謝致しますわ、従者さん!」
「それゆえに、それゆえに、大変、心苦しいのですが……卒爾ながら、申し上げさせていただきます」
「ま、まさか……!?」
フノスお嬢様の、まるで、愛情を込めて、丁寧に、精巧に作られたお人形さんのような美貌は、酷く
従者さんがこれから放つであろう言葉に、フノス御母様は何か
「フノスお嬢様、この世界で何度も繰り返される悲劇に、幕を下ろすことができるのは、何かを変えるために何かを捨てるという確固たる決意ができる御方だけでございます」
従者さんは、さっきまでと変わらない様子ながら、相変わらず魅力的な低い声でそう言いました。
「はい、その通りですわ……」
お
「フノスお嬢様、かつて、人間共を撫愛したいと願っておられた偉大なる女神フレイヤ様、即ち、偉大なるフノスお嬢様の母君は、娘である貴女様にうり二つの
「そう、ですわね……」
「 女神フレイヤ様は、ある時期に、人間を愛するため、地上界に赴きになられたものの、その
従者さんの表情に乏しかった整った顔に、人間への静かで激しい怒りが満ちていました。
「他者に愛されることを願い、他者のぬくもりに飢えたあらゆる他種族の乙女達が、人間共の理不尽な嫉みで迫害されている地上界の現状にね」
「やはり、現下の地上界は、忌まわしき力が支配しているのですね⋯⋯」
「フノスお嬢様の仰るとおりでございます。なんと言っても、女神フレイヤ様の宝石よりも煌めく瞳には、度し難き邪悪なる人間共が映りました。奴らは、自分達と手を取り合おうとする乙女達の美しさを
「そう、なのですね⋯⋯」
「 事実、 ……人間共は、我々の
「で、でも、フランチェスカ様に、ここな様は、心の優しいお嬢さん達よ! あの方々は、亜人種族の乙女たちを、舌が踊るくらい美味しい笑顔でいっぱいにしてくださろうとなさっていますわ……」
「フノスお嬢様!
「そ、それは……理不尽に迫害されている亜人種族の乙女達を救ってさしあげたくても、その場に居ることが出来なかっただけではありませんこと……!?」
フノスお嬢様の美しく澄んだ声は、哀しみと苦悩に満ちていました。
「成る程。フノスお嬢様は、『その場にいなかったので、同胞に虐げられ、苦しんでいる亜人種族の乙女達を救いたくても救えなかった。だから、目溢しをすべき』と仰るですか? そのように甘い態度を取れば、厚かましく浅ましい人間共は、図に乗り、つけあがるに決まっております」
従者さんは、人間に対する冷ややかな殺意を、普段通りの言葉に込めました。
「……我が敬愛するフノスお嬢様! 何より、人間共の蛮行によって、理不尽に傷つき、虐げられた亜人種族の乙女たちの、そして、お母様の報われる刻は、一体、いつ訪れるのでしょう……?」
「……わたくし達の使命にして、宿命にして、誇りにして、
(嗚呼、フランチェスカ様、ここな様、わたくし達は、きっと、そう遠くはない未来には、お友達になっているはずですわ……。わたくし、今はただ、それを祈ります。何故なら、お友達になるために、生命ある者は、生命ある者と出逢うのですから……)
「我が敬愛するフノスお嬢様!やはり、貴女様は、戦乙女としての宿命、誇り、
従者さんは、光を反射し淡く光る妖しげな水晶玉を取り出しました。
「それでは、早速、こちらの水晶玉をご覧いただきましょう」
大きさは、メロンと同じくらいの水晶玉です。
従者さんは、その水晶玉を台座に置くとこう言いました。
「フノスお嬢様、ご存知の通り、こちらの妖しく輝く水晶玉は、御母様の記憶を映し出す特別な力を宿すかけがえのないもの代物でございます。
即ち、こちらの水晶玉は、 偉大なる女神フレイヤ様が、今まで幾度も、人間共の支配する腐り果てた世界で
「従者さん、わたくしは、それは、その、とどのつまりは、まさか、そんな⋯⋯」
「……フノスお嬢様、こちらの水晶玉は、人間共の
「……胸が張り裂けそうなこの世界の実情をはっきりと映し出す水晶玉ですのね」
フノスお嬢様は、つばをごっくんと飲み込むと、瞳を大きく見開きました。
「 そのとおりでございます。やはり、フノスお嬢様は、賢しい御方だ。知恵を司る古の神々もフノスお嬢様の叡智には驚かれることでしょう」
「そう、なのでしょうか?」
「フノスお嬢様、こちらの妖しく輝く水晶玉に映るのは、この間違った世界において実際に起こった我々のような誇り高き異能戦士の胸に迫る悲劇の物語にございます。 大変、好ましいことに……ご存知の通り、貴女様のような美しさにおいても強さにおいても
「そう、ですわね……」
「こちらの妖しく輝く水晶玉は、フノスお嬢様が、その玉のような手で触れられますと、フノスお嬢様の叡智に溢れた脳内に直接、先ほど申し上げました通りの悲劇の物語を焼き付けることができます」
「そう、なのですね⋯⋯」
「その悲劇の物語を焼き付ければ、フノスお嬢様は、愚かしい人間の小娘への情に絆されることなどなくなり、フランチェスカめやここなめの息の根を容易く止めることが可能となります」
「そう、なのでしょうか?」
「即ち、戦乙女としてさらなるステージに上ることができるのです」
「そう、ですのね⋯⋯」
「それでは、フノスお嬢様が、その玉のような手で、こちらの水晶玉に触れられますと、得られる効果について、おさらいしておきましょう」
「……おさらいですか?」
「はい。全て記憶しておられるでしょうが、念の為におさらいをさせていただきます。
まず、フノスお嬢様が、この水晶様に玉のような手で、触れられますと、得られる効果は三つございます。
・まず、一つが、世界に裁きを下すためには、必要のないあらゆる感傷は断ち切られ、戦いに関する心の迷いが振り払われます。
・次に、美しさだけでなく強さにおいても、
・最後に、フノスお嬢様の胸の内に秘められし闘志は消えない炎のように無限に燃え、罪深き世界に感じるべき当然の義憤に精神を委ねることができます……」
従者さんは、とても魅力的な低い声をよく響かせました。
フノスお嬢様は、胸が締め付けられる想いに、心の空白を埋めながら、声にならない声で叫びました。
(それは、それは、つまり……わたくしは……再び……感情を持たずに、生命を蹂躙するだけの……可憐な乙女でありながらも、誰よりも残酷な殺戮人形になってしまうということね……。
嗚呼、従者さん! 過ちを繰り返すのは、極一部の悪い人だけですわ。
人間の街では、自分以外の誰かを受け入れ、手を取り合い、愛そうとするフランチェスカ様やここな様のような方々が、悲しみの涙に濡れたこの世界を、笑顔で満たそうとなさっているのに……。
限られた数の悪い人のために、数多の
それならば、わたくしは自ら生命を絶ってしまおうかしら……?
御母様、従者さん、本当にごめんなさい。)
フノスお嬢様の美貌は、普段から白い肌なのですが、いつもよりもずっと酷く青ざめました。
「フノスお嬢様の両腕には、この腐り果てた罪深き世界を一瞬で滅ぼすことのできる大変、素晴らしい選ばれた
さぁ、こちらの妖しく輝く水晶玉にほんの僅かでも、触れてご覧なさい。
貴女様の選ばれた
「フランチェスカ様に、ここな様の命の灯火まで、消さなければいけませんのね……?」
「はい、御名答でございます。……フノスお嬢様、確かにフランチェスカめやここなめは、今まで我々がこの世から消してきた愚かな奴らよりは、遥かにマシな小娘どもでしょう。
それでも、私は
やはり、奴らには、死の制裁を下すべきにございます。
例え、その場にいなかったからと言って、同胞の蛮行を阻止しなかった罪の言い訳にはなりません。
ましてや、下らぬ言い争いでミーシャ殿の目を穢す非礼を仂いた者であれば、この世界と一緒に滅びるのが道理というもの。フノスお嬢様は、今宵……」
(嗚呼、従者さん、どうか、どうか、わたくしのこの胸を、これ以上、締め付けないでくださらないかしら……)
「フノスお嬢様は、今宵……悠久の昔、天界に女神が現れ始めた頃より数えましても、最モ貴キ究極ノ創造主となられるのです」
「従者さん、そ、それってつまり、わたくしは⋯⋯」
「そう、フノスお嬢様は、下劣で、下等で、野卑で、全てにおいて蔑まれるべき人間共が、最後の
「そ、そんな……わたくしが、し、新世界の神だなんて……」
(フランチェスカ様、ここな様、わたくしは、なんだか心臓がますますドキドキしてきましたわ。貴女達のこれからの安否だけが……わたくしの……わたくしの……)
フノスお嬢様は、血の気が引く感覚に囚われ、妙な心臓の鼓動はさっきよりも激しくなりました。
「虹や花よりも美しき偉大なる新世界の支配者・フノスお嬢様!そう、
「そう、ですわね……」
( 嗚呼、何と、眩しい光なのかしら……?。何と、憎たらしい輝きなのかしら……? この光を浴びれば、浴びるほどに、わたくしの
フノスお嬢様は、胸がソワソワするのを感じました。心臓の鼓動がもっと速くなり、フノスお嬢様は、艶のある自分の長髪を触り始めました。
女の子なら、誰だって、気持ちを落ち着けたい時は、無意識に髪の毛を触ってしまいますから。
「ほら、ご自分の美しいお
「……………………………………………………」
フノスお嬢様は、心臓がドキドキしていて、しゃべれないこともあり、心の叫びを隠すかのように、何も言わず、感情のまるで、こもっていない顔で頷くと、自分の美しい脚を眺めました。
(な、な、なんですって!? この水晶玉の妖しい輝きを眼に焼き付けるたびに、わたくしは悪いことが起こりそうな予感がしましたが、その予感は当たっていましたのね。嗚呼、フランチェスカ様に、ここな様……わたくしは、いつか、貴女達の愛情に満ちたご馳走できっと舌を躍らせたいのに……)
「……こちらの妖しく輝く水晶玉は、何と、輝けば輝くほどに、例え、貴女様の御心が一時の気の迷いに囚われておられようとも、貴女様の華奢な肉体を引き寄せる性質がございます」
(そんな……そんな……わたくしの……わたくしの……わたくしの……美しい脚なのに……どうして……わたくしの……言うことを……聞いてくれないのよ……? )
「実に喜ばしい!ただでさえ、美しさにおいても、強さにおいても古今無双のフノスお嬢様が、覚醒なされば、瞬きよりも早くこの腐り果てた世界に集いし、罪深き人間共は一匹の例外なく滅び去るに違いありません……」
従者さんの言葉は、やっぱり、人間への敵意に満ち溢れていました。
フノスお嬢様は、心の中でこう呟きました。
(従者さん、貴方は、いつも、わたくしが幼かった日からずっと、そうですわね。わたくしへの
フノスお嬢様は、自分の美しい脚を見て、焦燥に駆られ、水晶玉をじっと見つめながら、切に願います。
(嗚呼、お願い!水晶玉さん、どうか、どうか、これ以上は、輝かないでちょうだい!わたくしが……わたくしが……貴女に触れてしまったら……)
まるで、フノスお嬢様の儚い願いを嘲笑うかのように……水晶玉は妖しく輝きます。
一歩。
二歩。
三歩。
四歩。
五歩。
水晶玉の妖しい輝きが、フノスお嬢様の華奢な肉体を、照らすたびに、フノスお嬢様は、少しずつ、水晶玉に近づいていきます。
(……わたくしの美しい脚が、わたくしのほっそりした脚が、これ以上、このキラキラ輝く水晶玉に近づいてしまえば……わたくしの指は、きっと、水晶玉に触れてしまいますわ。また、わたくしに秘められた戦乙女の血が、目覚めてしまうのね……)
フノスお嬢様は、心の中で悲しみを込めて呟きました。そして、フノスお嬢様は、自分の美しい脚が水晶玉に向かって歩いていくことに、身震いしました。
六歩。
七歩。
八歩。
九歩。
あと、ちょっとでフノスお嬢様は、水晶玉に到着してしまうことでしょう。
(……わたくしは、もうすぐ、この水晶玉に指先から触れてしまうのね⋯⋯脚ばかりか、すらりとした手まで⋯⋯思い通りにならないなら、なんと歯がゆくて、もどかしくて、心が波立ち、気持ちがワサワサする運命なのかしら?)
そう、 フノスお嬢様のきめ細かな白い手もまた、人間であれば、こめかみが痛くなるほどにまぶしく輝く水晶玉に指先から触れようとしていました。
( どうやら、これから、わたくしは、感情も慈悲も持たず、世界に裁きを下し、一切合切を骸に変えるだけの戦乙女になってしまうのね。
フランチェスカ様やここな様がお客様に対して胸の内に抱いた夢を、決意を、破ってしまうのね……。
それならば、わたくしは……せめて、
わたくしは、この宝石のような瞳に、哀しみばかり、映してしまうのは、もう、嫌なのですから……)
フノスお嬢様が、目を閉じれば、瞼の裏から、また、銀色のしずくが溢れ、まるで、雪のように白い肌を濡らしました。
まぁ! なんて悪戯好きな運命なのかしら……!?
どんなにフノスお嬢様の清らかな心が抗っても、ひどく小刻みではありますが、フノスお嬢様の華奢な肉体は、あの、妖しく輝く水晶玉の直ぐ側まで近づいて、そっと触れようとしています。
(嗚呼、わたくしは……自分の、美しく、しなやかで、洗練された身体さえも、思い通りにできないのね……)
「ほう、フノスお嬢様、この水晶玉よりも輝く瞳を瞼の裏に隠して、涙を流しておいでですか……? やはり、もうすぐに、新世界の創造主になられるフノスお嬢様は、感涙にむせいでおられ るのですね。今、この
従者さんの仮面を被ったような表情に微かな感情が顕になりました。
どうやら、従者さんは、普段の無表情な顔を僅かに緩めるくらいには、喜んでいるのでしょう。
フノスお嬢様が完全なる戦乙女に覚醒すれば、この世界が破滅してしまうことを。
(フランチェスカ様、ここな様、わたくし達は、例え、どんなにお友達になりたくても、決して、手を取り合うことは叶わない宿命なのですね……。わたくしは、貴女達のお客様への想いとお料理に懸ける情熱は、わたくしの胸にジンときましたわ。わたくしは、まだ、貴女達に出逢ってもいませんのに……)
とうとう、賽は投げられました。 フノスお嬢様は、 妖しく輝く水晶玉に玉のような手をかざしました。
フノスお嬢様が玉のような手を水晶玉にかざした刻、水晶玉はさらに輝きを増し、お屋敷中が、段々、七色の光に包まれていきます。
「嗚呼、何て、眩しい七色の光なのでしょう!
瞼を閉じているのに、目の奥がチクチクと痛いですわ!」
フノスお嬢様は、水のように美しい声を上ずらせました。
確かに、フノスお嬢様は、まだ、目を閉じてはいましたが、その眩い七色の光は、例え目を閉じていたとしても、瞼の裏側まで差し込んでくる程に強烈だったのです。
「あと、10秒後、フノスお嬢様は、戦乙女として覚醒し、この腐り果てた世界を一瞬で壊してくださるでしょう」
従者さんが、密かに鳥肌を立てながら、呟きました。
事実、 水晶玉の光が、お屋敷の壁という壁に、乱反射しています。
これは、フノスお嬢様のような優れた戦乙女が、あと10回数える間に、この水晶玉に触れ、覚醒しようとしているサインなのです。
「ほう、実に素晴らしい光輝ですな!」
従者さんはあまりの眩しさに目を細めます。 従者さんの冷ややかな口調が、いつもよりは少し柔らかくなりました。
「刻は満ちた。美しさにおいても強さにおいても並ぶ者無きフノス様は、これより、真の戦場を舞う戦乙女になられるのだ」
5秒が経ちました。
(やはり、これもわたくしの戦乙女としての宿命ですわね……)
感情が高まったフノスお嬢様は、心の中で呟きました。
8秒が経ちました。
妖しく輝く水晶玉から放たれた七色の光は、より大きくなり、お屋敷の外にまで、広がり、空さえも、赤、オレンジ、黄色、緑、青、藍色、紫に染まっていました。
そして、何よりも、フノスお嬢様の身体すら、七色に輝き始めました。
「こ、これは!? 未だ嘗て、一度もこれほどまでに際立ってきらびやかなものなど存在しなかった。嗚呼、なんと魅了されるほどに美しいのだ……。 ただでさえ、ソールとマーニのように光り輝く美貌のフノスお嬢様が、私の目の前で、七色の光に包まれておられるとはな。この虹のような光の燦爛とした輝きは、実に、この腐り果てた罪深き世界を滅ぼし、新たなる楽園を創造する偉大なる女神たるフノスお嬢様に相応しい」
従者さんの魅力的な低い声は、震えていました。
そして、9秒が経ちました。
嗚呼、フノスお嬢様の玉のような手は、今にも水晶玉に、触れてしまいそう……。
ついに、10秒が経ちました。水晶玉は、さっきまでの七色の光が、物足りなく感じるくらい赫奕と輝きました。
きっと、お屋敷の外どころか世界中の空を七色の光で染めてしまうに違いありません。
フノスお嬢様は、全身が粟立つのを感じました。
フノスお嬢様の美貌は耳まで赤くなっていきます。
フノスお嬢様は、たっぷりと息を吸い込み、吐き出しました。
そして、口の中で何かもごもごと何かを言っています。
やはり、とても透き通った美しい声ですが、うまく聴き取れません。
一体、何を言っているんでしょうか?
これから、滅ぼそうとしている人間の世界にも沢山いる大勢の心の優しい人たちに、『ごめんなさい』と『さようなら』を告げているのでしょうか?
それとも、理不尽な運命に怒っているのでしょうか?
従者さんの言葉がそれを確かめました。
「我が愛しきフノスお嬢様、ご自分の背負った宿命と誇りの偉大さに感動して何かを仰っているのですか?」
フノスお嬢様は、とても透き通った美しい声を振り絞りました。
「……エターナルフォースブリザード!」
その
「フ、フノスお嬢様、これは、一体、何事でしょうか!? さては……フノスお嬢様に秘められた大いなる魔力は……やはり、ごく僅かな量を解き放つはずが、世界中に解き放たれてしまう程に膨大すぎて、水晶玉に触れた途端、暴走なさいま……」
何かを言いかけた従者さんが、いえ、お屋敷のすべてが、周囲の大気ごと一瞬で凍結しました。
「わたくしをいつも慕い、
フノスお嬢様は最高位の戦乙女ですから、例え、全ての生命を凍えさせてしまう美しくも無慈悲な、白銀の世界にいても、肌を刺すような寒さなんか平気です。
「わたくしはね、貴方に聴こえないように、氷結系魔法の最大奥義・エターナルフォースブリザードを詠唱させていただきましたの……。 ほんの少しの間、貴方の御心と同じくらい冷たい氷結の世界でじっとしていてくださいね。 わたくしは、戦乙女として、世界をいったん滅ぼし、全てがわたくしの思うがままになる世界を創り直さなくても、人と人のぬくもりでみんなの心がぽかぽかするような世界なら、そのままでよろしいと思いますわ。 確かに人間は、わたくし達戦乙女にとって、取るに足らない存在かもしれません。 貴方が懸念している通り、人間は、 息を吐くように裏切り、嘲り、欺き、傷つけ、奪い、殺すかもしれません。 けれども、そのような人間は夜空の星がまたたく回数よりも少ないわ。 大多数の人間は、繋がりや出逢いを愛し、誰かと仲良くしたいと願い、他種族の乙女ともお友達になろうとしてくださるようなわたくしの声と同じくらい澄み切った心を宿しておられます。だから、わたくしは信じています。 人間にだって、わたくしの声と同じくらい澄み切った心があるならば……きっと、その澄み切った心で、互いを癒し合い、この悲しみの涙の雨に満ちた世界に、晴れやかな笑顔をあふれさせることができるはずですわ……」
フノスお嬢様は、物思いに耽り、
フノスお嬢様の右手には封印されていた〈咎深キ世界二凍エル死ノ冷気ヲ齎ス決シテ止マナイ吹雪〉を意味する
フノスお嬢様は、
「いつものような必要最低限の護衛やお供でさえ、誰一人、わたくしの側に居ないだけでも、いつもと違うのに、お母様の
フノスお嬢様は、たった一人で猫車に乗り込み、二匹の猫に声をかけました。
「わたくしは少しの間だけ、心を癒したいの。どうか、わたくしを静寂の森まで連れて行ってくださいませんこと? あの
続く
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