魔法少女なんてなりたくない

モンブラン博士

第1話 祖父と孫

森の奥深くに建てられた三角屋根が特徴的な木造建築の一室で、ひとりの少女が切り株を模した形の椅子に腰かけ、黙々と分厚い本を読んでいる。


柔らかな焦げ茶色の髪をポニーテールに赤ワイン色の縁の細い眼鏡。殆ど外出していないせいだろうか、肌は透けるほどに白く、着ている白のチョッキと区別がつかない。


頭には小さな三角帽子をお洒落としてちょこんと乗せており、まるで蝙蝠の翼を思わせるかのような黒いマントを羽織っている。


視線を下に向け、余所見をすることもなく、一心不乱に本のページをめくる作業に集中している。


眼鏡のガラスに映るのは大量の文字の羅列。


凡人には到底理解不能な呪文のような文字列を少女は口元に微笑を浮かべながら、実に楽しそうに読んでいる。


「こんなの難しくてわかんないよぉ!!」


本を置いた少女は絶叫して、パタパタと足をばたつかせる。


先ほどの意味ありげな冷静な微笑みは何だったのか。


単なる虚勢だったのだろうか。


椅子は少女よりも高いため、どれほど足をバタつかせても決して足が地面に届くことはない。


少女はうーんと大きく伸びをしてから、頬を膨らませた。


「こんなに難しい本、読んでもわかるわけないじゃない……おじいちゃんの馬鹿!」


餅のように両頬を膨らませ、不満を露わにする少女。

部屋に大量に積まれた書物はすべて祖父のものであり、用事で出かける間、読書でもしていなさいという心遣いをして彼女の祖父は出かけたのだが、それが裏目となった。立派な赤縁の眼鏡をかけて知的な印象を漂わせているにもかかわらず、少女は読書が大の苦手であった。


今は家にはいない祖父を愚痴っても反響するのは自分の声ばかりで面白くもない。


仕方がないのでデザートとして残しておいたキャラメルを食べることにした。


白い皿に置かれた小さく四角い甘い幸せ。人差し指と親指でつまんで、ぱくり。


「ん~!!」


あまりの美味しさに少女は右頬を抑えて舌鼓を打った。


見方によっては虫歯にでもなったのかと言いたくなる仕草ではあるが、彼女はキャラメルの味に満足しているのだ。


口の中に入れた瞬間に舌の上ですっと消えてなくなる薄茶色の塊。

その儚さに少女の目の端に涙が浮かぶ。

がっくりと大袈裟に肩を落として一言。


「あーあ。こんなことなら食べなければよかった!魔法でキャラメルを増やせたらいいのに」


後悔先に立たず、覆水盆に返らず、食べたキャラメル皿には戻らず。

少女の名はキャラメル。


伝説の魔法格闘家、ミスタープティングの孫娘である。




楽しみにしていたキャラメルを食べてしまったので、キャラメルは何もすることがなくなってしまった。


部屋にある本はどれも難解で挿絵もないので、読書にしては苦痛でしかなく、外で遊ぶにしてもこの森の周辺に同年代の子供はいないのでひとりで遊ぶしかない。


ひとり遊びというのは最初は楽しくとも時間が経つにつれて寂しさがつのってくるものである。


なぜ寂しいだけの遊びをしなければならないのかとキャラメルは何かの用事で出かけていった祖父を恨みたい気持ちになったが、そのようなことをしていったいなんのメリットがあるというのだろうか。


否。


きっと自分がますます惨めに思うだけで得な要素は何もない。

ましてや大好きな祖父を恨むなど心の優しい彼女にとってできるはずもなかった。

置き時計の時を刻む音だけがカチカチと静まり返った部屋に響いていく。

キャラメルは切り株の椅子から祖父がいつも愛用しているふかふかの安楽椅子に移動して、腰を深くかけてから体を預けた。

柔らかな感触は、まるで雲の上で寝ているような感じがして、彼女は自然と瞼が重くなる。

くりくりとした大きな黒い瞳がゆっくりと閉じられていく。

うつらうつらとなっていき、完全に閉じられた瞼は窓から入ってくるそよ風に長い睫毛をそよそよと揺らし、小さな口から静かな寝息を立てて少女は完全に夢の世界へと旅立っていった。

キャラメルは布団を体に羽織ることもせず、そのままの状態で眠り続ける。

体を椅子にうずめ気持ちよさそうに眠っている。

どのような夢を見ているのかはわからないが、時折口元に笑みを浮かべているところからきっと楽しい夢でも見ているのかもしれない。

夢の詳細は彼女自身にしかわからないが他人によって夢の内容を暴かれるのは不愉快に思うだろうから詳細な記載は控えておくことにしよう。

読書を放棄して居眠りの時間に突入したキャラメルはそのまま時間を気にすることもなく欲望のままに眠り続けた。


こっくりこっくりと頭を動かし何も考えることをせず完全に無防備の態勢でだらしなく椅子に座って眠り続けて、ようやく目が覚めた時には時刻は六時を回っており、開かれた窓からはオレンジ色の美しい夕日の光が差し込んでいた。


彼女は大きく伸びをしてからレディらしく誰もいないのに気にする必要もないながら手で押さえる仕草をしてからあくびをしてまだ眠り足りないのか、瞼をごしごしとこすって目の端に浮かんでいる涙をふき取る。


もう少し眠りたいが、そろそろ夕食の準備に取り掛からなければならない。


自分もお腹が空いてきたし祖父が帰って来た時に何もしていないのであれば文句を言われるかもしれないと危惧したのだ。


そのうえ無断で愛用の椅子で爆睡していたと知ったらどれほどの雷が落ちるのか予想することさえできなかった。


その光景を想像し一瞬だけブルブルッと寒そうに体を震わせてから名残惜しそうにゆっくりと椅子から立ち上がる。


星のマークがついた可愛らしい魔法の杖をキュロットスカートのポケットから取り出して軽く振ると、何もないところからふんわりとした白いエプロンが出現した。


手に取って頬ずりしてみると洗い立ての良い香りが漂ってくる。


蜘蛛の糸で編み込んだかのように繊細で軽いエプロンの感触に喜んだ後はそれを装着して調理開始だ。


マントは料理には邪魔と思ったのだろうか、さすがに外して丁寧に畳んで椅子の上に置いておいた。


水仕事を考慮してか長袖の白いチョッキの袖を腕まくりして準備は整った。


料理をしたいという意思はわいているのだが、問題は今日の夕食のメニューを何にするかということであった。


彼女の頭の中に様々な選択肢が浮かんでは消えていく。


年のおじいちゃんのために分厚いステーキを焼いて中濃ソースとニンニクをたっぷりと添えてスタミナを回復させてあげる?


肉汁がじゅわっとあふれだすハンバーグも捨てがたいし、お野菜をたっぷりと使ったサラダも用意すれば栄養のバランスもばっちりかな。


でも私はずっと部屋で読書をしていて退屈だったから、その意味を込めて今日はあえて手抜き料理でもいいかも。


買い置きのパンを焼いて苺ジャムとバターを塗って食べるとか。


熱々のホットチョコレートでも入れて飲んだら甘くて気分は最高かもしれない。


だけど甘いものばかり食べるのはどうかとおじいちゃんが文句を言うかもしれないし。


本当孫とおじいちゃんで好みが違うのは問題よね。


同じメニューが好みなら悩む必要なんてないのに。


腕組をして口の中で様々なメニューをつぶやき候補を決めようとするが、口で呟けば呟くほどにどの候補も捨てがたくなってくる。


こうしている間にも時間は過ぎ去っていき祖父が帰ってくるであろう時刻も近づいていく。


徐々にではあるが精神的に追い詰められてきた彼女は、開き直って頭に思い浮かんだすべてのメニューを作ることに決めた。


これなら迷う必要もなく量も質もカバーして自分も祖父も喜ぶことができる。


そこから彼女の行動は早かった。


ジャガイモの皮を剥いたり調味料を用意したりハンバーグやステーキに使う肉を解凍したりと常人ならば時間も手間もかかりそうな工程を魔法の杖を振るだけで難なくこなしてしまう。


腐っても彼女は偉大な魔法格闘家の孫らしく、格闘はともかく自分が使えると思った魔法を覚えるのは容易だった。


彼女に限らず人間というものは興味のないものは習得が遅くとも好きなものに関しては抜群の上達と習得の速さを発揮することができる。


同時並行でサラダ、ステーキ、ハンバーグを作りながらデザートも手抜きなく作っていく。


今晩のデザートは甘酸っぱい香りと味が嬉しいアップルパイだ。


パイ生地を練り上げ大きくカットしたりんごをパイ生地の中に投入していく。


りんごを二個も贅沢に使ったアップルパイをオーブンに入れて完成までわくわくと胸をときめかせる。


ふと時計を見ると時刻は七時を回っていた。


料理は完成し、主食としてのバターとジャムを塗ったトースト、おやつとしてのアップルパイも完成し切り分けまで終わった。


一連の作業を終えたキャラメルはふうと息を吐き出して手の甲で額の汗をぬぐう。


渾身の腕を披露した彼女の料理を祖父は喜んでくれるのだろうか。


「もう!おじいちゃん早く帰ってきてよね!せっかくのごちそうが冷めちゃうじゃない!」


キャラメルは迷っていた。祖父が帰宅するまで待つか。それとも自分だけが先に食べるか。


このまま待ち続けていたらせっかくの料理が冷えて台無しになってしまうだろう。


しかし、ひとりで食べるのは味気ないし、やはり大好きな祖父と一緒に食べたい気持ちも捨て去ることができなかった。


「ああ、もう!お願いだから早く帰ってきてよっ!」


涙目で時計を睨むと、ガチャリと玄関の扉が開く音が聞こえた。祖父が帰ってきたのだ。


キャラメルの祖父、ミスタープティングは青のモーニングコートを着込んだ紳士だ。


黒いステッキとサンタクロースのように長く伸ばした白髭、澄んだ青い瞳からは優しそうな印象を与える。


彼の容姿で最も目立つ部分は帽子である。


黄色く美味しそうなプリンを模した帽子を常にかぶっているところから、偉大な業績も含めてミスタープティングと彼は呼ばれている。


「キャラメルや。今、帰ったよ」


「遅すぎるわよ。せっかくのごはんの味が台無しになっちゃう!出かけるときはもう少し早く帰ってきてよね!」


腰に手を当てプンプンと怒りだすキャラメルは、先刻まで安楽椅子で寝ていて自分が怒られる側になるかもしれなかった事実をきれいに忘れていた。


プティング老人は顎髭を撫でて穏やかに笑ってから、音を立てずに椅子に腰かけた。


「いただきます」

「いただきます!」


食材に感謝をして料理を食べる。


にんにくのスライスがたっぷりとのせられたステーキをナイフで切って、フォークで刺して一口食べてみる。


よく噛んでから再び口に運ぶ。祖父が食べる様子を眺めながら、キャラメルは心配そうな顔でたずねた。


「おじいちゃん、どう?口に合わない?」

「そんなことはない。ちと、肉が固いがね」

「ハンバーグも食べてみて!」

「どれ……」


孫の勧めに乗ってハンバーグを口に含むと肉汁が溢れだし、舌を満たす。


それからサラダ、ジャムを塗ったパン、食後のデザートとしてのアップルパイを食べ終わり、プティングは白い口髭をナプキンで拭った。


「ご馳走様。美味しかったよ」

「おじいちゃんが喜んでくれて良かったぁ!」

「じゃが、年寄りにはちとカロリーが高すぎる……」

「何か言った?」

「なんでもないよ。わしは疲れたから眠ることにするよ。君も夜更かしせずに早く眠るんだよ。睡眠不足は美容の天敵というからね」

「おやすみなさい、おじいちゃん」


後ろ手を組んで悠然と寝室に向けて歩き出した祖父は、不意に振り返って言った。


「今度は君のために面白い本を買ってこよう。


魔術の辞典では退屈で寝てしまって、キャラメルまで食べたくらいだからねえ」


「おじいちゃん、知ってたの!?」


孫の問いに祖父はにやりと笑って。


「わしの千里眼に見抜けぬものはないよ。それから、明日は気を付けるんだよ」

「どうして?」

「明日になればわかるよ」


行動の全てが筒抜けだった事実にキャラメルは驚いたが、それ以上に祖父の言葉が気になった。


明日はいったい何が起きるのだろうか?


小首を傾げて考えるが、さっぱり理解できなかったので、彼女は考えないことにして寝る用意をして寝室へ向かった。


「明日になればわかる」の一言が気になりキャラメルは眠ることができなかった。


昼間に眠り過ぎたのも理由の一つだが翌朝に何が起きるのか、彼女は心配だった。


キャラメルは祖父は神羅万象を見通しているという噂を聞いたことがあった。


単なる噂と一蹴することもできるが、彼女は祖父が色々な物事を的中させていることを知っていた。


たとえば、先ほど彼女が読書が退屈で寝てしまい、好物を全部食べてしまったことなど。


その場にいないにもかかわらずぴたりと当てて見せた事実のため、彼の「気をつけるように」という忠告が耳に残っているのだ。


両開きの窓を開けると、夜空には星々と薄く白い雲、それから丸く大きな満月が光っていた。


少し冷たい風を吸い込み、キャラメルは深呼吸をする。


森の中に建てられた家なので空気はいつでも美味しいが、夜の空気は格別だった。


少し心が落ち着いたところで再びベッドに腰かけて、思案する。


眠れないのだが何をしたらいいのかわからない。


かといってこのまま何もせずに時間が過ぎるのを待つというのはあまりに芸がない。


仕方がないので寝室を出て洗面台まで歩いていく。


顔を洗えば気持ちがかわると思ったのだ。


クリーム色のパジャマを着た小柄な少女は薄暗い中を歩いていって、バシャバシャと水音を立てて顔を洗う。


冷たい水が顔にかかるたびに頭も一緒に冷えていくようで、冷静になった気分だ。


「明日のことは明日わかるのだから、ジタバタしてもしょうがないわよね」


どこか達観した言葉を口にして、その台詞のおかしさに少し噴出したキャラメルは今度こそ本当にすっきりしたのか、再び寝室に戻ると泥のように眠ってしまった。


翌朝。朝日の光で目が覚めたキャラメルは、いつもと同じように大きな伸びをして体をほぐすと、窓辺に行って窓を開放する。


爽やかな朝日が降り注ぐ、いつもと変わらぬ朝。


「何よ。おじいちゃんったら、大袈裟なんだから。何も起きないじゃない」


フッと安心して笑ってから隣の部屋に行くと、祖父の姿が見えない。


下の食卓へと降りるが、そこにも居なかった。


どうやら早朝から用事で出かけたらしい。


「朝から何の用か知らないけど、忙しい人。でも、その分私はゆっくりと食べることができるわね」


にっこりと笑ってから杖を振るって山型の食パンを生成して、それを焼き上げてからマーマレードをたっぷりと塗りたくる。朝は活動するので甘いものでエネルギーをチャージしたいというのが彼女の持論だった。


「ん~!美味しいっ!」


爽やかな酸味と甘みが口の中で交響曲を奏で、キャラメルの喉や胃を満たしていく。

美味しく焼けたトーストを半分まで食べたところで、玄関の扉のベルがガラガラと音が鳴る。こんな早くに来客かしらと少し不満を出しながら応対しようと玄関に行って扉を開けると、ひとりの男が立っていた。


頭にターバンを巻き、黒い髭を生やしたスーツ姿の異様な男だ。


「あなたは一体……?」


キャラメルが尋ねると男は赤く目を光らせ、口を開けた。


その喉からキャラメルへ発射されたのは灼熱の炎だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る