第2話 魔王城で死す
「おっと! あぶねえな!」
キーンという不快な音が、白銀のプレートメイルに身を包んだ男の耳に張り付く。鎧ごと彼の首を斬り落とそうと銀色の磨かれた斧が鋭く伸びて来たのだ。男は両手に渾身の力を込め、数々の修羅場を一緒に過ごした相棒の
「しぶとい人間だ……」
剣を挟んで男と睨みあっている魔族が、あきれたようにつぶやく。紫の禍々しい色をした体色で骸骨のような顔をした魔族だ。目の前にいる魔族は魔王軍の親衛隊を率いる破滅将軍グアルディア。
二メートルほどある大きな体に背中には蝙蝠のような翼が生え、頭には二本のねじれた角が生えている。感情がわからない不気味な骸骨のような顔に目だけが薄っすら赤く光り君が悪い。
「グッ……」
キーキーという金属のすれる音がし、男の両手に持った剣にグアルディアの力が伝わる。さすが魔王軍の将軍というところか、斧を押す力は強く、男が気を抜くとすぐに押し込まれそうになる。男の体勢が低くなると、味方の死体や敵の死体から、流れでた血の鉄に似た臭いが漂い彼の鼻にしつこくまとわりついて来る。
「もう貴様しかおらんぞ。いい加減に諦めたらどうだ? うん?」
明るくはっきりした声でグアルディアは男に問いかけてくる。表情は見えないがおそらく彼を笑って見下しているのだろう。グアルディアの後ろには魔族の親衛隊が様子をうかがっているのが見える。将軍が男を倒したら手柄を奪うために彼に襲い掛かろうというのだろう。男は部下たちを見て鼻で笑う。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「なっ!?」
渾身の力を込めて男が剣を押し返すと、グアルディアは勢いよく後ろに後退していく。
足と地面がすれて埃がまう。グアルディアは吹き飛ばされそうになるのをなんとかこらえ、体勢を崩して尻もちをつこうとするところをなんとか踏ん張っていた。
「キースが後ろで戦ってるんだ! 俺はここをどくわけにはいかないんだよ!」
黙ったまま男をジッと見つめるグアルディアに、彼は魂を震わせて叫ぶ。男は
男の後ろにある扉の向こうでは、勇者キースと仲間たちがが魔王シャドウサウザーと戦っていた。彼の役目は魔王の間へ続くこの廊下に陣取り、援軍を食い止めること。他にも同じ役目の仲間が、他に四人いたが彼以外は全員倒れていた。
「だから俺が最後までここを…… 守らないと…… キースが魔王を倒してくれさえすれば妹が……」
グアルディアを睨み付け牽制しながら、ロッソは神聖守護者大剣の鍔をつかもうと右手を動かす。
床にささった守護者大剣は幅五十センチ長さ一メートルの白い刀身で鍔も三十センチくらいあるので大きな十字架が立っているように見えた。
「チッ…… 体力の限界か……」
鍔をつかもうとした男の右手の震えが止まらず。うまく鍔をつかめない。
「目もかすんできやがったな…… 邪魔だ!」
右手で兜を外した男は、震える右手を左手で抑えつける。必死に震えを抑えてなんとか右手で
グアルディアは必死な男の姿を見ながらゆっくりと戦斧構えた。
「よく頑張ったな。だが貴様の体力はもう限界みたいだな」
「そう…… かもな。でも、俺がここで死んでもキースのやつが魔王を倒してくれるはずだ」
「フン。シャドウサウザー様は簡単に人間の勇者には負けんよ。貴様はよくやった。私が直々にその墓標に名前を刻んでやろう。さぁ名乗るが良い。赤い髪の戦士よ!」
グアルディアが手を前にだして男に名前を名乗るように促す。
「名前か…… 知りたきゃ教えてやるよ。俺はロッソ…… ロッソ・フォーゲルだ」
大きな声でロッソは名乗りをあげるのだった。名前を聞いたグアルディアは小さくうなずくと、静かに戦斧を構えたまま歩き出した。
「よくやったか…… 確かにな。俺にしては上出来だな…… 図体がでかいだけで特徴のない俺にしたらな……」
ロッソはグアルディアが言う通りの、特徴的な赤い髪を持つ二メートルに近く身長の大柄な体格をした青年だ。
小さい頃からロッソは父親の畑を手伝い、妹と両親と四人で小さい村で暮らし。魔王軍との戦いが始まっても戦線から離れた辺境の地で家族四人は幸せに暮らしていた。
だが、村が魔王軍に襲われ両親はロッソと妹をかばい殺されてしまった。妹と二人なんとか生き残ったロッソは魔王軍に復讐を誓ったのだ。
彼は祖国アクアーラ王国の軍に入り、自ら志願して魔王軍との戦闘に参加することになった。体が大きく力があったロッソは、重装歩兵として数々の戦をこなし、いつかキースと会えることを願っていた。軍隊に入り活躍を認められたロッソはキースと出会った。
キースはロッソのことを気に入り、十三人目の仲間として招き入れた。体が大きい以外の特徴がなかった彼は、仲間と敵の間に立ってキースの盾となることしかできなかった。そして、最後の戦いでもそれは変わらない。
「
ロッソが叫ぶと微かに光る白い光の壁が、彼の周囲に展開された。守護者大剣は聖女をの護衛を務めていた伝説の騎士が使用した大剣で剣としても有能だが、使用者の闘気を魔力に変換して光属性の魔法障壁を展開できる魔法道具としても優秀だ。
「なっ!? こんなもの!」
魔法障壁にぶつかり足止めをくらったグアルディアが悔しそうな声をだし、必死に戦斧で壁を怖そうと何度も斬りつけていた。魔法障壁はグアルディアの攻撃にビクともしない。
「おい! お前らも手伝え!」
顔を横に向けグアルディアが、周囲にいた部下に命令する。魔物たちが一斉にロッソが作り出した魔法障壁へと攻撃を加えるのだった。
「フン…… まぁせいぜい頑張れよ」
ロッソは必死に自分が作った魔法障壁に攻撃を加える、グアルディアたちの姿に自然と頬が緩む。
「
しゃべっていたロッソはめまいに襲われ膝をついてしまった。
「クッソ! 足に力が入らない!!」
守護者大剣に手をかけたまま膝をついたロッソは、必死に起き上がろうとするが足に力が入らず踏ん張れない。がくがくと震える膝にぼやける視界がロッソに自分の限界を痛感させてくる。
「ふぅ…… もう潮時か。ここまでか……」
小さく息を吐いたロッソは起き上がるのをあきらめ、地面に腰を落として守護者大剣をせもたれにして座り込んだ。
「頼むぞ。キースが魔王を倒すまでもってくれ……」
ロッソの役割は魔王の間への扉を死守し、増援を魔王の元へ送らせないことだった。体力もなくなり後は時間をかせぐだけの彼はしずかに悪あがきの準備を始める。
「えっと…… 短剣がまだ……」
前を向いたロッソは左手を静かに腰へと伸ばし、ベルトにつけていた道具袋を引っ張りだし、膝に置いて調理用に持っていた短剣を探す。障壁が壊された時に敵が、一斉に魔王の部屋へかけていく。その際に彼の横を通る魔物たちを短剣で足を斬りつけ嫌がらせをしてやろうと思っているようだ。
「おっと!?」
袋の中に入れていた木の笛が、袋から出て地面に落ちそうになる。ロッソは慌てて笛を手で押さえた。笛は木を黒く塗った二十センチほどの長さで先端に口がつける穴があり横にして使う。
「笛か……」
ロッソがつかんだ笛を見てさみしそうにつぶやく。彼の趣味は笛で演奏をすること。魔王軍に殺された母親が死ぬ前に教えてくれたものだ。お世辞にもその演奏はうまいとは言えないが、村に残してきた妹のシャロは彼が吹く笛の音が好きと言ってくれた。優しくほほ笑む妹の顔が彼の脳裏に張り付く。
「ごめんな。シャロ…… お前のために笛を吹いてやることはもうできそうもないや……」
唇を震わせ涙声になるロッソだった。しばらくの間、ロッソは握りしめた笛を静かに見つめていた。
どれくらい時間が過ぎただろうか…… 意識を失いそうになるのを必死にこらえながら、ロッソは笛を見つめている。彼の目の前には魔王の間へと続く扉がたたずんでいた。
「うおおおおおおおおおおおおお!!!」
「壊せ!!!!!」
「クソガアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
ロッソの耳に届く魔物たちの罵声と、障壁を攻撃する音が激しくなっていった。我に返ったロッソが振り向くと白い光の壁に蜘蛛の巣のような白い細かい線が入りひび割れているのが見える。
「…… 終わりだな……」
握ったままの笛を道具袋にしまいロッソは短剣を掴んで取り出した。
「神様…… 俺はあまり出来た兄ではありませんでした。泣いて寂しがる妹を残して軍隊に入りました。そして必ず帰るという約束も破りそうです。でも…… でも! せめて…… 平和になった世界で妹が健やかに過ごせるように……」
短剣を握りしめて目をつむり、神に最後の祈りを捧げるロッソだった。そこに……
「ウギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
魔王城の床がゆれるほどの、大きな誰かの叫び声が響く。声に驚きロッソは目を大きく開く。壁を叩いた魔物とグアルディアの動きも止まり魔王の間の前は静寂に包まれた。
「チッ。なんだよ…… 人がめずらしく神妙に祈ってるんだから最後まで祈らせろ……」
にやりと笑ってロッソは扉を見つめつぶやく。少しすると大きな音がして数メートル先の魔王の間へと続く扉が開かれた。目の周囲がぼやけているロッソは目を凝らし開いた扉を見つめている。
「おせえよ。バーカ」
扉から出てきたのは青く金色で縁どられた、美しい”王者の鎧”を身にまとうキースだった。
キースはロッソを見つけると目つきをきつくし、彼の後ろにいるグアルディア達を睨み付けていた。ゆっくりとキースがロッソへと近づく。ロッソは驚きと嬉しさで、握りしめていた短剣を落とす。
切れ長で青く輝く綺麗な瞳と白く綺麗な肌をして端正な顔つきをしたキースは、王都で外を歩けば勇者ということではなくその美貌で女性が歩くのを止めて振り返るほどだった。
「ロッソ……」
キースはロッソの手前で立ち止まり、ほほ笑んでロッソの名前を呼び手を差し伸べる。彼の右手の甲には剣の形をした勇者の刻印がみえていた。キースがロッソをみる表情は、すがすがしい笑顔で満足感に満ち溢れていた。その表情からは目的が達成されたことがうかがえる。
「そうか…… お前は魔王を倒したんだな。よかった。これで俺も…… 故郷へ帰れる…… なっ!? キッキース!」
ロッソの手をつかまずキースは彼が床に落とした短剣を拾った。彼は体を起こし蔑んだ目でロッソのことを睨み付ける。そのまま左手でロッソの肩をつかみ強引に体を引き寄せると、右手に拾った短剣でロッソの腹を突いた。さすがの勇者の実力か、料理用の短い短剣であってもロッソの鎧は簡単に砕かれ彼の腹を深くえぐり突き刺さった。突然のことに驚いたロッソは、キースの顔をジッと見つめていた。キースはロッソの顔を見ながらまた笑う。
「全て終わったよ…… 役割を与えられし転生者よ…… お前はもう用無しだ…… 死ね……」
かすかにキースがロッソの耳元でつぶやくのが聞こえる…… 視界からキースが消え、ロッソの目の前には魔王城の天井が見えてくる。キースはロッソの腹から短剣を抜き、雑に彼を地面に投げ捨てたのだ。
キースの言葉にロッソは腹の痛みよりも頭の痛みが強くなる。そして思い出した。ロッソは自分が日本に居たことを、日本に居た彼は今と違い細身で体も丈夫ではなかった。
「そうだ…… 俺は日本人……
ロッソは日本のサラリーマン緑野颯だった。彼の頭に日本での生活と自身が死んだ時の光景が急によみがえってくる。三十歳のサラリーマンだった颯は食べ歩きが趣味で、いくつもの居酒屋やレストランを知っていた。十歳下の妹の誕生日に一番いいレストランで、食事をごちそうしようと並んで歩いていたらトラックが突っ込み、颯は妹をかばってトラックにひかれて死んだのだ。
膝をすりむき血を流しながら、駆け寄って来る妹の姿が日本で彼が見た最後の光景だった。その後、真っ白な空間で浮かんだ光の玉に、この世界へ転生することと告げられた。転生する時に彼はこう願った。
「転生するなら…… ちゃんと妹をちゃんと守れる…… 強さをくださいって……」
二度目の死が間近に迫ったロッソの目から涙がこぼれていく。そして……
「うっああ……」
背中に衝撃とキースに刺された腹が、焼けるように熱くなり激痛がロッソを襲い声をあがえる。叫び声を出したくても激痛でロッソは叫ぶこともできずうめき声をあげ、腹を抑えたまま魔王城の高く黒い天井をずっと見つめていた。段々とまぶたが重くなりロッソは静かに目をつむった。
まっくらな闇と薄れゆく意識の中でロッソの耳に、グアルディアの怒号が聞こえたような気がした……
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