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タマハガネ

第1話

寂しくなったもんだな」

 そう呟いてみた。妻も子供たちも寝静まっているから、誰かが返事する訳でもないが。一人リビングでパソコンと向き合いながら、そう思わざるを得なかった。


 長男が大学へと進学した。北海道の学校に行くらしい。幼い頃から勉強を無理に強いたことはなかったし、将来のことを口うるさく言うこともそこまでしてこなかっただけに、意外だった。進学も、行きたい大学も、行きたい学部も全て奴自身で決めたと妻から聞いて、成長ということがどういうことなのかを実感した気がした。

 三月の末に、奴はたくさんの荷物と一緒に発っていった。本棚には大きな空間ができ、タンスの一番上は空になって、乾燥剤だけが残った。元々長男の部屋だった空間は入ると少し寒い。親にベタベタ甘えるタイプではなかったし、むしろ自分の時間を大切にするタイプで、そこまで深い交流をしてきた訳でもなかったが、いざいなくなってみると、寂しいというか物足りない気持ちになるのは不思議なものだ。


「小さいころのビデオでも見るか」

 そう思い立った。デスクトップの「ビデオ」フォルダを開いて、古い順に並べ替える。妻と結婚して間もない頃から今までの思い出が積み重なっている。日付のところを見ながら、マウスのホイールを回していく。

「……お、これだな」

 十八年前の動画を見つけた。きっと奴が生まれて間もないころのビデオだ。ダブルクリックをして、動画ファイルを開く。画面をフルスクリーンにした後に、再生ボタンを押す。

 動画は、程なくして始まった。奴がはじめて立ったときの映像だ。動画を回す直前のことも、ありありと思い出せる。あれは土曜日の昼下がりのころだったか。妻が血相を変えて、寝室で寝そべって本を読んでいた私の元へ駆け込んで来たものだから、一体何事かと思ったものだ。「息子が立った」と聞いたときは私も仰天して飛び起きた。急いでカメラを準備して撮影を始めたけれど、気が動転していた上に、カメラレンズ越しではなく直に息子の姿が見たいと思ったものだから、映像の方はブレブレでピントも合ってなくてお粗末極まりないものになったんだったな。

 そう思い出したところで、私は映像の異変に気づいた。

 映像は、長男が子供用の小さな椅子の手すりにすがりながら、危なっかしく立ち上がる様子。そしてそれを見守りながら甲高い声で応援をする妻と柄にもなく大きな声で発破をかけている私の声が入っている。擦り切れるほど繰り返し観た内容そのままだ。しかしよく観察してみると、観ているだけで酔ってしまいそうになるほど手ブレしていた映像は、長男の雄姿をしっかりと中央に収めて、鮮明にピントを合わせていた。さらに画質もよくなっており、色調も窓から差す日光をモロに受けて画面がひどく暗くなってしまっていたのが、きちんと調整されてハッキリと見えるようになっている。長男が震える脚を踏みしめて立つその姿が生き生きと映し出されている。

「どういうことだ……?」

 私はビデオの表示をもう一度確認する。日付は確かにあっているし、タイトルもその日付をそのまま使っているから異常はない。私は右に目線を滑らせて「種類」の欄を確認する。

「……mp99?」

 拡張子の表記は本来ならmp4となっているところが、mp99と記されている。一体何事かと頭をひねったが、ある伝承を思い出して合点がいった。付喪神の伝説である。


 付喪神とは、長い年月を経たモノが魂や自我を持つようになった存在のことである。唐傘おばけがその代表としてあげられるが、他にも日用品や紙なんかが変貌するとも言われている。古くは平安末期からその存在が語られており、いまでも様々な作品にその存在は登場する。人に害を及ぼしたり復讐を行ったりする場合もあるが、反対に、大切に扱ってもらった人に恩返しをするという善い側面もあるという。

動画ファイルが付喪神になるという話は聞いたことがないが。


 改めて動画を再生する。あの頃の景色がそのままそっくりパソコンの画面に映し出されている。私はそれを、胸に熱いものを感じながらじっと観ている。長男が手すりから手を離し、一人でほんの一瞬だけ立ったとき、ほんの少し画面がにじんだような気がした。目元を拭ってみたが、私の目が潤った訳ではなさそうだ。

「奴を見守ってきたのは俺たちだけじゃない訳だな」

 そう独りごちつつ、私は温かいコーヒーを淹れに席を立った。他の動画もじっくりと観るつもりだ。

 何気なく目をやったカーテンの隙間から、真ん丸のお月様がのぞいていた。

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