第25話 病み上がりと噂話
あれから熱は順調に下がり、翌日には学校へ登校することが出来た。
皓子の通う高校は、山の中腹に位置しており、万屋荘から自転車でおよそ30分ほどの距離にある。
早くも夏の兆しが訪れているのか、じわじわと照る朝日に苛まれながら校門を抜けて、駐車場に自転車を置く。
昇降口に移動し、下駄箱で靴を履き替えて教室に上がれば、皓子の席に座った忍原とその隣の席でノートを書き写している諏訪の姿が見えた。
「おはよう」
挨拶をすれば、忍原が席を退いて皓子を迎えた。
「おはよ、こっこ。元気そーじゃない」
「うん。もう元気」
「そ。なら良いわ。昼に話しましょ」
ぽん、と肩をたたいて諏訪の後ろに忍原は回る。どうやら諏訪が映しているのは忍原のノートらしい。仁王立ちで「ちょっと遅いわよ」と忍原が言いながら、諏訪の頭を指先で小突いている。
忍原のみ別のクラスなのだが、ことあるごとに互いのクラスを行き来している。こうしていると、ただの仲の良いカップルだ。クラスの面々も見慣れているのか、それに対する反応はほとんどない。
皓子もとくに気にせず鞄を置いて机に道具をしまう。担任が教室に入ってくるのを見た忍原は、諏訪から自分のノートを取って早歩きで出て行った。
そうしていつも通りに授業も始まる。
皓子の体感としては四、五日ぶりの授業を四苦八苦しながらこなしていけば、あっという間だ。今日は問題をあてられることもなく、平和な授業であった。
チャイムが鳴った昼休み。小体育館下のピロティへ忍原と諏訪と共に向かう。
皓子の高校には体育館が二つあり、一つは大体育館で一階建ての大きなもの。もう一つは小体育館という通称の二階建てのものである。小体育館の下は柱を残した吹き抜け構造をしており、夏場は風通しも良く絶好の穴場なのだ。皓子たちの他にも距離を開けて弁当を広げる生徒もちらほらといる。
皓子たちが食べるために確保しているスペースは、忍原と諏訪一押しのベストスポットらしい。人通りもほとんどなく、夏場はとくに涼しく居心地が良い。
定位置についてそれぞれ弁当を広げ、他愛ない話をしながら昼食を摂る。自分で作った弁当は、ここ数日口にしていた吉祥の弁当と比べるとまだまだ及ばない技量の差がある。
食事を進めながら、昨日のことや土日に出かけた話を聞いたところで、忍原が話を振ってきた。
「そういや、こっこ。例の顔の良い新入りとはどうなの?」
「どうって、とくに……」
(アリヤくんとは、とくに……とくに、あったなあ)
水茂との小旅行に付き合ってもらい、いろいろ苦労をかけ、お見舞いにゼリーをもらった。脳内で浮かび上がるエピソードに、皓子はのんびりと思い返した。
忍原は、皓子が言葉を止めたのを見て、身を乗り出す。心なしか瞳が輝いているようにも見える。
「何かあったのね。話しなさい」
「うーん……」
「話しにくいことか?」
諏訪が皓子に助け船を出してきた。吉祥つながりの情報や、万屋荘の詳しい内情は話せないことになっている。言おうとしても口にできないのだ。
ただ、今回の件はそうでもあるしそうでない部分もある。アリヤとの話を大まかに話すくらいなら多少は問題ない。とくに風邪の見舞いは万屋荘の秘密に関わることでもなんでもない。
皓子は、諏訪に首を振って、否定する。
「んーん。ふつうに住民として仲良くなったと思うよ。昨日だって、ほかのみんなと同じように見舞いもしてくれたし」
「こっこのとこって、仲良い人が多いよなあ。で、どんな経緯で見舞いにきたん?」
「そうよ、話しなさいよ」
二人して楽しそうに聞いてくる。その様子はからかい混じりだ。
そう言われても、契約上、遠回しで伝えることしかできない。皓子はできる限り言葉を選んで、吉祥との契約に触れない範囲で説明をする。
「住人の手伝いを一緒にしてくれて、その件でちょっとお出掛けして、そこで私が風邪をもらったから心配してくれた……かんじ、かな?」
「……思ったより心躍る話題じゃないな」
「ときめきを感じないわね」
批評した二人が、あからさまにがっかりした。
「えー、じゃあ俺がせっかく下調べしたやつ、使えない?」
携帯端末を取り出した諏訪が、画面を指でなぞってファイルを開いてみせる。「ほら」と皓子に見せたものは、気合いが入ったデータ文書だった。
顔写真に家族構成、出身校に学校での様子と交友関係といった情報が細かに記載されている。校内の噂だとか情報はどこから得たのだろう。
「これ、プライバシー的に、いいの?」
「御束アリヤの会っていう本人公認ファンクラブからいただいてきた。あとあっちの口の軽いクラスメートあたりからとか色々。めちゃくちゃ有名だったから、超楽だったぜ」
「高校でファンクラブって、現実にあるんだ……認めてるんだ……」
「設立経緯が、御束の校内秩序と風紀を遵守するためだってよ。鉄の掟があるんだとさ」
「すごいねえ」
半ば感心した声が出てしまった。
こんなに情報が出回ってしまうとは、見目が良すぎるというのも考えものだ。だからあれだけ注目されても、アリヤは慣れた様子で気にしないのだろう。
諏訪の端末を借りて、アリヤのプロフィールをざっと目を通す。
御束アリヤ。
5月22日生まれ、17歳。一人っ子。
部活は科学部、趣味はとくになし。この部分に注釈で『隔日で走る程度にはジョギングが好きらしい』とある。
身長は179cmとある横には、まだ伸び盛りとコメントが。ほかにも、好きな科目に食べ物や色、好みの服装とアリヤの好みについての羅列が続いていた。
それから、校内のオフショットと称した写真がいくつかある。目線があり適当にポーズしている様子から、隠し撮りではなさそうだ。
ただ、アリヤが実は面倒くさがりという文字は書いていなかった。うまく隠しているのだろう。
「宗教のご神体にされそうになったとか、軽貨物で運ぶくらい贈り物があるとか、嘘っぽい話もあったけど。まー、すげーのなんの」
「なんか、違う世界の住人みたいよね」
「あ、あはは……少女漫画みたいなヒーローだなあって思うねえ」
忍原の感想に、皓子は思わず苦笑いが出る。
違う世界の住人といえば、万屋荘にいる他の人々が真っ先に浮かんでしまったが、こうした情報を見聞きすればアリヤだって別世界の住人のようだった。昨日メッセージをやり取りしたときの気安さとは別人みたいに感じる。
「こだくん、スマホ返すね」
「おう。こっこ、着信きてっぞ」
「え? なんだろ。ばばちゃんかな」
脇においていた通知ランプが灯る端末を操作する。
なんとも出来すぎたタイミングで、当の本人からの通知があった。
『今日、時間空いてる?』
なにかあったのだろうか。特に予定はないと返せば、既読だけついて終わった。
皓子が不思議に思いながら端末を下げれば、忍原が目をすぼめてこちらを見ている。
「こっこ……例の、御束ね?」
「う、うん? そうだけども」
隠し事をしても情報に強い幼馴染たちはすぐに嗅ぎつけるだろうし、バレるだろう。素直にうなずけば、忍原は諏訪を小突いた。
「木立、そのうちにね」
「あいあーい」
弁当を片付けて諏訪が軽い調子で返事をした。忍原はそれを一べつして腕を組み、皓子をいぶかしげに見てきた。
「住民として、仲良くねえ?」
「うん。よくしてもらってる」
「ま、あんたがいいならいいけど」
ぼやき気味に忍原が言ったところで予鈴が鳴った。
「やば、次、ローリーの英語じゃん。ローリー好きだけどリーディングはなあ」
「将来海外行くときに備えてマスターしときなさいよ」
「そのときは福に任せてえ……」
「おんぶにだっこな男はお断りだわ」
忍原と諏訪が立ち上がり、おって皓子も片付けて言い合う二人の後をゆっくりとついて歩く。
皓子の力ゆえか、夫婦漫才のようにかけあう二人の後ろをついていても勘ぐるような視線は飛んでこない。
にわかに騒がしい廊下を歩いて、皓子はふと思った。
(アリヤくんの日常は、きっとこの比じゃないくらい、騒がしいんだろうなあ)
もう少し愛想のよいメッセージを送るべきだっただろうか。
そんなことを考えながら、教室に戻り皓子は席につくのだった。
***
メッセージが返ってきたことを確認して、アプリを閉じて端末をズボンのポケットに押し込む。誰にも見えないように、そつなく隠してから一つ息を吐いた。
(……うーん、やっぱり意識されない)
広々とした明るい食堂ホール。
硝子張りの展望となっている食堂を利用する生徒は多い。
昼食を誘われるより前にさっさと席をとって食事を済ませれば、視線はきても煩わしく声をかけられることはない。しつこく声をかけないようにとアリヤが認めたファンクラブが活躍してくれているらしい。
アリヤが高校を入学してしばらくして設立したファンクラブは、大変に低姿勢で言葉を尽くして説明をしにきたことで出来たものだ。自分が普通に過ごす分に問題ないなら好きにすれば、と返したら感涙にむせんでいた。
一番謎だったのは、高校内部に留まらず、なぜか家族まで存在を知っており、父のマロスが入会していたことだが、それはさておき。
(気楽は気楽で良いけど……なんかこうも続くと、癪に障るというか悔しいような)
まったく、これっぽっちも、砂粒さえも意識されない。
(なんだっけ、おもしれー女、だっけ)
佐藤原との交流で培われたサブカルチャー知識で、思うようにならない意外性のある異性をそう呼ぶらしい。
皓子はアリヤの容姿を見て感心こそすれ、なんのアクションも起こさないとは。
自意識過剰ではあるが、そう思うだけの自覚もあった。なので、からかいまじりに声をかけても肩透かしをくらう現状に、なんだか楽しくなってきたのだった。
もちろん、アリヤの通う高校内にもそのような人はきっといるのだろう。
それはアリヤも承知している。
ただ、皓子の特性もあって肩肘張らない空間で過ごせることは、やはり貴重だと思えた。
あとは単純に、前回の水茂の件から、果たして彼女はこれで大丈夫なのか、という好奇心と心配がないまぜになってきたというのもある。
だから声をかけてみたり、メッセージを送りあったりして、からかって、試して、様子を楽しむようになってきたのだが。
ううんと、自然と唸り声が出た。なんとはなしに時間つぶしに外を眺める。
窓の外では、ぽつぽつと雨が降り始めていた。しだいに叩きつけるようになってきた雨脚は、ひどく強い。
(あ、ついてる。予定より早く帰れるかも)
ぐずぐずしていると、何かと声をかけられて面倒なのだ。とくに天気がいいと出かけないかと持ちかけられる。
そして、自分で好きで被っている猫なので、雑に対応することもできず、愛想良く会話することに労力を割く羽目になる。
経験から学んだことだが、アリヤの外見から期待していた言動がないと、ひどくがっかりさせたり逆に嫌悪へ感情が傾いたりしてしまう。そして相手に襲われる確率が上がる。
ジョギングをして走る力をつけることになった、嫌な切っ掛けである。
それでも、人の目を気にせず、ありのままに振る舞えたらよかったのだが、残念なことに親譲りの根の真面目さが祟ってしまった。
――人を傷つけてはいけないよ。相手を思いやる子になりなさい。
父に言い含められて育てられた。それに感銘を受けた母からも同様に。
これでもアリヤは、家族を大事に思っている。アリヤのせいで身内まで悪く言われるということがないように振る舞う必要があった。
身の危険にせまる火遊びは可能な限り避けているし、割り切った相手としか遊んでいない。もとからやめればいいのにと言われたらそれまでなのだが。
仕方ないのだ、ささやかな反抗期なのである。
予鈴が鳴る。
移動を始める生徒たちの流れにのって、片付けを初める。寄ってきたクラスメートに適当に返しながら、アリヤは教室へと足を向けた。
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