第24話 帰宅と風邪ひき


 万屋荘、201号室。

 見覚えのある立派な造りのお座敷。その部屋の上座、社を正面にして皓子たちは立っていた。

 帰ってきたのだ。

 そのことを実感したのは、外からの雨音といつの間にか戻った自分たちの格好に外れた紙の面。それから、とどめとばかりに振動するアリヤのズボンポケット内にある携帯端末の着信音からだ。

 ぬるい体温に、そういえば手を繋いでいた、と皓子が手を離す。

 ついで、は、と我に返ったアリヤがポケットを探って端末を取り出し画面を確認した。それから指先をさっと動かして眉根を寄せる。あまり嬉しい内容ではなかったようだ。

 だが即座に表情を取り繕ったアリヤは、皓子たちのほうを向くとにこりと微笑んだ。言外の質問の封殺だ。

 水茂はといえば、疲れ切ったのだろう。皓子の腕の中でうとうととしはじめている。


「水茂?」

「うぬぬ……どっとくたびれたのじゃ」


 言いながらあくびを噛む水茂に、労りの意味で頭を撫でてふかふかとした座椅子に下ろした。


「こっこ、わしはしばし休むのでまた遊ぼうぞ」

「うん、待ってるね。おつかれさま、水茂」

「うむ。こっこもおつかれさま、なのじゃ……ついでにアリヤもな」


 勝手知ったる部屋の内部だ。物置につながるふすまを開けて中から布団を出しておく。あとは水茂がするだろう。「じゃあね」と互いに声をかけて、水茂の部屋を出た。

 ドアノブを開けて外に出れば、生憎の空模様で、大雨だった。

 来たときにはそうでもなかったはずだが。あちらの一日が半刻とのことだから、四日分の約四時間で天気が変わったのだろう。

 じっとりとした湿度が、ああ帰ってきたんだなと思わせた。

 水茂も言っていたことと動揺に、皓子もどっと疲れたような気がして伸びをする。アリヤも同じように首をだるそうに動かしていた。アリヤの場合は田衛門とのこともあるし、きっと皓子よりも疲れているのだろう。


「アリヤくんも、おつかれさま」

「本当にね」

「ついてきてくれて、ありがとう。助かっちゃった」


 改めて礼を言えば、「んー」となんとも言えない声が返ってきた。

 久しぶりにアリヤの顔を見れた。気怠げそうだが、それでもなお美しく整った顔面に、そういえばこんなお得な顔立ちだったと改めて思った。

 ぱちりと目が合う。

 アリヤもまた皓子のほうをまじまじと見返していた。検分でもするように、顔のすみずみまで見られているようなのぞき込まれているような。

 近い距離のままで、どちらともなく黙って立ち止まる。何か言いたいことがあるのかと待てば、しばらくしてアリヤが言った。


「やっぱり、顔見えてるほうが安心するね。皓子ちゃんがちゃんと見える」

「そうだねえ。それなりの顔でも、安心させられてなにより」

「いや、そういう意味じゃなくて」


 きょとんとしたアリヤが優しく否定した。にこりと微笑む。


「顔をきちんと見ることができて、嬉しいなってこと」

「ああーそういう。ふふ、私も。反応がわかりやすくて楽だもんねえ」

「……そういうことでいいや」


 またゆっくり歩き出したアリヤについて、皓子も歩き出す。階段を降りれば、雨粒が飛んできた。風も出てきたらしい。


「そういえばさ。あのとき、俺がいない間は、本当に何もなかった?」

「うん、なにも。話してただけ。思ってたよりも、いい御方だったよ。仲良くなれたと思うから、嬉しいな」


 穂灯とのことだろうか。それならば平気だと即座に否定をすれば、アリヤがちら、と皓子を見て息を吐いた。


「……たとえばだけどさ」

「うん?」


 一階に降りた。そのまま歩いて101号室前につく。

 ポケットから鍵を探ったアリヤが取り出しながら、呟くように言う。


「これから、お礼にお茶を一緒にして欲しいな。俺の部屋で、と言ったら?」

「付き合うけども。あ、お礼なら、なにか持って行ったほうがいいかな?」


 残念なものを見るような目をされた。


「皓子ちゃん、あのね。これでもし迫る目的だったとしたら、どうするの」


 諭すように言うアリヤに、皓子は理由があるのだ、と胸を張った。


「だって、わかっているから。それに、アリヤくんはなんとも思っていない相手には何もしないでしょ? 面倒だなって思っちゃうんじゃない?」


 付き合いこそ長くはないが、最近打ち解けてきた自信がある。何より、アリヤの態度は優しいが、男女のそれを皓子に勘違いさせるものではない。

 飛鳥が田ノ嶋へ抱くような恋慕やノルハーンが世流にぶつける愛情とはまた違うように感じる。見本が近くに居れば間違いようがないと皓子は思えた。

 そう言ってみせれば、アリヤが黙る。当たりだ、と皓子はさらに安心させるべく続けた。


「心配、ありがとう。大丈夫だよ。もし、私がそれで困ったとしてもアリヤくんにはなんの責任もないから、気にしないで」

「……うん。それは、そうだけど」

「じゃあ、また。お礼もまた水茂と考えるから楽しみにしててねえ」

「ああ、うん。また」


 ひらひら手を振って別れる。

 ずいぶんとあたりは薄暗くなってしまっている。雨模様のせいだろう。だが、優しい気遣いにくすぐったいような暖かい気持ちになった。

 なんだかんだで、水茂の用事も終え、さらには吉祥に商売相手も紹介でき、春夏秋冬の季節も味わえた小旅行だった。

 いい気分転換にもなったなあと感想をのんびりと抱いて、皓子は足取り軽く大家部屋のドアを叩いた。






 ところが、その暖かな気持ちは、気持ちだけに収まらなかったらしい。

 帰宅して、心情的には久しぶりの自分のベッドに戻って眠った次の日の朝。体が妙に熱く、だるかった。

 違和感をもち体温を測ったところ、案の定、熱が出ていた。三十八度と思ったよりも高く出た熱に、ぼんやりと又三郎が言っていたことを皓子は思い出した。


(かまいたちは、病気を運ぶ……だったっけ……)


 妖怪や化生の知識は水茂や世流から聞き及んでいる。たしかそんな伝承があった。又三郎当人も、「風邪引いちまったら悪いな!」などと言っていたし、そのせいだろう。

 笛を一度、草の葉のまま一度鳴らしたから熱が高くなったのかもしれない。

 のろのろと部屋から出て、居間に顔を出す。吉祥が朝の番組を見ながらお茶を飲んでいた。


「ばばちゃん」


 声を出せば、思った以上にしんどそうな声が出た。吉祥が皓子を見て片眉を上げる。


「アンタ、菌をまき散らすんじゃないよ。部屋に戻って寝てな」


 そう言いながらキビキビと動いて、冷蔵庫からペットボトルのお茶を渡された。


「薬はあとで運んでやるから、さっさと戻るんだよ」

「はーい、連絡お願い……すりリンゴ食べたいなあ」

「あとでやるから、お行き」


 しっしっと手で追いやられて部屋に戻る。背後で学校へ電話を掛ける吉祥の声が聞こえた。

 ベッドに這い戻って、携帯端末を探って幼馴染たちに連絡を送る。ノートの依頼である。せっかく予習していたのに、残念である。

 簡単に書きこめば、忍原は吉祥と同じように「さっさと寝て早く直しなさいよ」という言葉が、諏訪は「ノートはまかせろー」とゆるい返事が書きこまれた。


(持つべきは頼りになる友……)


 感謝のスタンプを贈って、皓子は端末を伏せて置いた。お茶で喉を潤してから、ベッドサイドに置き、横になる。

 そうすれば、あっという間に意識は微睡み落ちていった。



 ふと目が覚めれば、何かが顔に当たっていた。

 ベッドの上、皓子の右側に上等な紫布の風呂敷包みが置かれていた。寝転がったままで横を向いて、触ってみる。結び目をほどけば、中からこんもりと詰め込まれた果物が転がり出てきた。


(あ、水茂か)


 水茂が好きな山の果物詰め合わせセットである。アケビにヤマモモ、イチジク。季節を問わない果物がまぜこぜになっており、現実の山に行って取ったわけではなさそうだと思わせた。

 また軽く結んで、ベッドサイドに置こうとそちらを見れば、お盆にコップと薬、皓子が頼んだリンゴがおろして小さな器に入っている。

 皓子が寝ていたから、吉祥が置いていったのだろう。場所がないため起き上がって机のほうへ風呂敷は移動させた。

 体調は朝起きたときと比べると、大して変わりは無い。

 時間は、と端末を拾って指を滑らせれば、昼前。思ったよりも眠っていたようだ。それにいくつかメッセージが送られているのも確認した。

 メッセージはもっぱら幼馴染二人からであったが、佐藤原から『熱が出た状態でもやはり機能しますね』という不穏なものもあれば、田ノ嶋からの『怪我ならともかく神様由来の体調不良は無理。己の不甲斐なさやるせなし!』という勢いを感じる言葉もあった。

 田ノ嶋の魔法少女的な力は、主に物理方面の気合い注入による治療なのだ。なお、こういった体調不良で一番役に立つものを持っているのは飛鳥なのだが、本人不在のため頼ることはできない。


(この情報源は水茂からかなあ……)


 トークアプリで水茂が発信したのだろう。確認してみれば、万屋荘のグループ欄に未読の件数がいくつか付いている。このグループは主に飛鳥からの食事主催連絡であったり、佐藤原によるモニタリング募集などと住民の意見交換板として使っている。

 ぼんやりする頭で画面をタップすれば、予想通り水茂が呼びかけをしていたようだった。心配要らない、ありがとう、と簡単に打ち込んでまた端末を伏せてベッドに置いた。

 そのままベッドサイドにあるリンゴを口にして、水の入ったコップで薬を流し込む。

 それからまたうつらうつらとおぼつかない調子でベッドに入り込み、目を閉じる。ともすれば、また意識は溶けるように落ちていった。


 次は、吉祥の怒鳴り声で目が覚めた。

 一つ隔てたドア越しでもその怒りはよく聞こえた。よほど腹に据えかねることでもあったのだろうか。

 ぱっと開いた目で、手探りにベッド上に転がる端末を取って時間を見る。夕の四時半。またずいぶんと長く寝てしまったらしい。

 起き上がると、ひどく寝汗を掻いている。だが、調子は朝よりも良くなっていた。

 のそりとベッドから足をおろして、ドアまで行く。そろりと居間のほうを開けてうかがい、皓子は聞くんじゃなかったと熱っぽい息を吐き出した。

 吉祥は電話の応対をしていた。それも、どういうわけだか言い合いに発展しているようだった。


「――どの面下げて、顔を見せる気だい。この件に関しては、アンタに譲ることは一つもないね」

大門だいもん、金だけ寄越しな。それがアンタにできるせめてものことさ。アタシ相手に取り返しが付くと思わないことだ」


 大門。

 皓子の父の名前だ。

 漏れ聞こえた内容が父を想起させて、皓子はドアノブを握る手に力が自然と入るのを感じた。

 嫌いではないが、好きというには距離が遠く隔たっている。皓子はいまだに、大門との関係を整理しきれていない。

 吉祥に育てられてからは折に触れて思い出したかのように連絡が来るだけの関係を、なんといえばいいのだろう。

 ぼんやりと聞いていれば、やがて「ふんっ!」と盛大な鼻を鳴らす音をさせて吉祥は受話器を叩きつけて連絡を切ったようである。

 物がぶつかった音がして、少しして居間から声がかかった。


「皓子。そこで立ち聞きするなら、もっとバレないようにおやり」


 ばれていた。

 そろりと部屋から居間へと出ていけば、吉祥がじろりと皓子を見た。頭から足先まで視線が向けられてから、吉祥は眉を上げた。


「その調子なら平気だね。なら、アタシは買い物に行ってくるかねえ。卵が今日は安いんだ」


 言うなり吉祥は、台所から買い物袋をとり、お気に入りのバッグ片手にさっさと玄関へと歩いて行った。


「冷蔵庫に粥があるから、食欲があるなら食べておきな。皓子、欲しいものは」

「ないよ。ありがとう、ばばちゃん」


 本当に、口先はつっけんどんだがこういうところが優しい。吉祥の思いやりに笑って見送る。

 居間の机にも、普段置いていないミカンも置いてあるし、予備の常備薬も出していた。さらには佐藤原謹製のあのスプレー缶も用意されている。風呂に入るのも億劫なときには、本当に便利な代物である。

 さっとスプレーで身ぎれいにして、くうくうと皓子の腹が訴えを上げたので冷蔵庫から器に取り分けられて保管されていた粥を取り出して温める。

 思った以上に空腹だったのか、出来上がった粥をぺろりと食べ終えてまた薬を飲んで一息ついたとき、チャイムが鳴らされた。


(しまった……服)


 寝間着のままである。

 どうしようか困って、とりあえず誰が来たかだけ確認するかとドアスコープを覗きに玄関へ向かう。


(あれ、アリヤくんだ)


 夏の学生服を着たアリヤがコンビニの袋片手に立っていた。皓子がなかなか出てこないため、携帯端末に何か打ち込んでいる。


(そうか。スマホ)


 早足で自室へと戻り、ベッドに放り投げていた端末を拾う。見れば、アリヤからメッセージの通知があった。

 内容は、『ちょうどよくゼリーが当たったから、あげる。玄関のとこにかけておくから、あとで取って』とのことだ。

 端末片手に玄関へ引き返し、ドアスコープを覗く。もうそこにアリヤの姿はなかった。

 ドアを開けて外のドアノブを見ると、メッセージのとおり、有名チェーン店のコンビニロゴが入ったビニール袋が掛けられていた。中にはいくつかのゼリーが入っている。

 袋を外して、居間へと戻りながら着信履歴を確認する。

 万屋荘のグループトーク欄で、アリヤが『それなら、なにか見舞い持って行こうかな』と発言していた。さらには皓子宛にも、ゼリーが当たったから、というくだりよりも前に『大丈夫?』という心配のメッセージも入れられていた。


(あああ、申し訳ない)


 慌てて、返事を送る。


『ごめんね、今気づいた。寝て元気になったよ。ゼリーありがとう』


 打ち込めば、それほど待たずに返事が来た。


『いえいえ。粗品ですが』

『大変ありがたいです。嬉しいです』


 返事の代わりにピースサインのスタンプが来た。案外とノリが良いのか、単純に付き合ってくれているのか。

 熱で思考が緩んでいるせいだろう。つい、皓子は気安く文字を打ち込んだ。


『アリヤくんはいい彼氏さん像そのもの……』

『そりゃそう見せておけば、一番面倒が少ないからね』

『彼女さんと過ごすのに?』

『彼女は作ってないよ?』


(うん……?)


 はて。

 皓子は画面の文字に首を傾げる。つまり、食事に出掛けたり遊んだりしてはいるが、あれは彼女とかそういうものではない。


(……うん、なるほど。これまでの遊びって言葉は、彼女じゃなく文字通りの遊び相手、かあ。大人の世界を感じる)


 感心しながら想像してみる。色っぽいお相手と都会の街を歩くアリヤの姿。お似合いである。なんなら映画やドラマのワンシーンで登場しそうなぐらいだ。


『なので皓子ちゃんが遊びたかったら歓迎するよ。楽しいから』


 皓子の軽口に合わせたのだろう。リップサービスも大変に上手だ。こうしてコロッといく女性が出来上がるのだなと、皓子はさらに感心してしまった。


『それ、ばばちゃんも喜ぶ大安売りだから、自分を大事にね』


 笑いながら返事を送れば、段ボールに入った犬のスタンプが来た。それにさらに適当なスタンプを返せばさらに送られてくる。

 んふふ、と皓子が笑い声をこぼしていれば、お尻に衝撃が走った。

 スパン! と景気の良い音がした。


「なーにニヤニヤしながら携帯いじってんだい。夕飯は?」

「食べるぅ」


 お尻がひりひりする。

 いつの間にか帰ってきていた吉祥は、振り抜いた黄金の右手を戻して、ずんずんと冷蔵庫のほうへと歩いていく。

 皓子はお尻をさすって、端末の画面を見る。スタンプ合戦は打ち止めだ。もう一度、お礼の言葉を打って、アプリ画面を閉じた。

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