第20話 201号室、見合いの小旅行 7
妙なことに巻き込まれたものだ。
そう、アリヤは独りごちた。
単なる好奇心からついてきたが、どうにも面倒なことに首を突っ込んだかなと気づいたときにはもう遅い。
アリヤは隣の部屋にいるだろう皓子のことを考えて、ため息を吐きそうになっては堪えていた。気分は保護者だ。
(どうにも、危機感がなさすぎるんじゃないの)
どうやって今まで何事もなく生きてこれたのか。
呆れ半分、感心半分で思ってしまう。
アリヤにとって、警戒や疑心はあって当然のものだった。
近寄ってくる人物にはまず疑いを持って見てしまうし、なるべくすぐ信用を置かないように心に留めている。
だというのに、皓子はどうだろう。暢気なもので、アリヤに化けて近寄ってきた相手を隣に座らせてのんびりと話そうとしていた。それも夜に。まさかの行動だ。
彼女の考えもあってのことだというのは、わかりはするが、なぜわざわざ夜に一人で誰にも言わずにするのか。
本人曰く、大丈夫とのことだが、問題しかない。馬鹿かと口について出そうになって留めた。
決して、人を疑わないというわけではない。警戒心が微塵もないというわけでもない。
ただ、言うなれば、許容できる度量が異様に広い。
諦観にも似た、まあいっかと流して大抵の物事を受け入れる様子は、アリヤには理解しがたかった。
(面白いは面白いけど、ここまでくると逆に心配になる)
佐藤原と以前話したことがある。
皓子は興味深い観察対象の一人だと。そういう意味では、アリヤもまた皓子を興味深く観察している。
二ヶ月ほど万屋荘で過ごして、皓子に対して得た見解は以上のことだった。
(いや、なんで俺がここまで心配しないといけないんだろ)
寝返りを打って目蓋を閉じる。
しかし、そう思えば思うほどすぐに落ち着くわけでもなく、暗くなった目蓋の裏に、指先を組んで嬉しそうに言う皓子の姿が浮かんだ。切りそろえた肩までの黒髪が月明かりに光るのが印象的だった。
(嫌いって言葉、久しぶりに言ったな……)
なのに、なんでああも嬉しそうだったのか。あの紙の面の下では、喜びに瞳を輝かせてアリヤを見ていたのだろうか。
人との関係を円滑にするために、好きだの可愛いだのそういう言葉はよく言う。だがその逆は滅多にない。
マイナスの言葉を思うに止めず言えば、その評価が自分に向けられそうで煩わしかったからだ。その言葉が口をついてしまったのは、皓子の力もあるのだろう。どうにも気が緩んでいけない。
(……馬鹿らし。やめよ)
あれこれ考えるのなんて、面倒くさいことはしたくないはずなのに。
ああ、つくづく面倒なことに巻き込まれた。布団を深く被って、アリヤは深く呼吸をした。
夜中に目を覚ましたにもかかわらず、朝の目覚めはすっきりとしたものだった。
小部屋の窓からは鳥の鳴き声と梢が風に揺れて鳴る音がした。現代の窓硝子ではない障子を貼った丸い窓は、外の音がよく聞こえる。開けてみれば、離れを囲む自然が見えた。
秋の景色だ。
色づいた木々の葉に、一瞬現実逃避しかけたが、アリヤは着崩れた寝間着を整えて布団を畳み、部屋を出た。
「おはよう、アリヤくん」
「おはようなのじゃ」
皓子たちは早起きだ。
一応、異性だからと寝起きを見ないように注意していたが、ここ二日ほどはその心配は無用のようだった。そもそもこの二人はアリヤに頓着しないので、このように普通に返すだけだ。
ただ、昨夜のこともあったので、アリヤは皓子をじっと見てみた。
顔を向ければ、紙の面をしていても視線や感じはなんとなく伝わったのだろう。皓子が「あっ」と言って軽く手を合わせた。
「昨日は、ごめんねアリヤくん。ちゃんと水茂に言ったから。心配、ありがとうねえ」
「……うん」
のほほんと言われて、出鼻をくじかれた気持ちになる。
反対に水茂は、不機嫌そうに皓子をねめつけている。
「こっこは好かれやすいというのをわかっておらぬのじゃ。まったく、わしが寝ている間に逢瀬とは許さぬぞ」
「だって、水茂ぐっすりだったから。それに、前に寝る子は育つから起こすんじゃないって言ってたし……」
「それはこっこがほんの幼子の頃ではないか。まったく、こっこはこれだから! アリヤ、よくぞ気づいた。この調子で頼むぞ!」
指をさしてきた水茂へ適当に返事をして、和室の長机に腰掛けた。佐藤原のゲーム機が時計がわりに立て掛けてある。
これまでと同じように弁当を受け取り、朝の仕度を終えた後。
水茂は「今日は化け狐の番じゃろ。しかと言ってくるからのう!」とはりきって出て行った。
皓子は、今日も勉強をするらしい。
本日は漢文をノートに書き起こし始めていた。
昨日と同じように部屋に籠もってみてもいいが、夜のこともある。
一応、頼まれたことだし、ここで放置をしたことで何かが起きたら後が怖い。皓子の後ろには人外の神様見習いや元悪魔に一癖二癖以上ある者たちがいるのだ。
よって、アリヤは本日は部屋に戻らずにそのまま席についてくつろぐことにした。
皓子に許可をもらって本をぱらぱらとめくる。
足繁く図書館に通わないアリヤでも知っている話がぽつぽつと入った童話集だった。読みやすくはあるが、ひどく心惹かれるものでもない。
だからといって、皓子が勉強している前で佐藤原のゲーム機を借りて遊ぶわけにもいかない。おそらくアリヤの予想では、皓子はかまわずにしてもいいと言うだろう。だが、気持ちの問題である。
適当な本を読みながら、シャーペンが走る音を聞く。ちら、と皓子の様子をうかがう。
古典で順番が当たるからと言っているが、なんとなく、好きな科目なのだろうとアリヤは思った。字は丁寧で読みやすい。祖母譲りかもしれない。
吉祥の姿を思い浮かべるが、躾が厳しそうだと勝手な感想を抱く。そうして見れば、皓子は姿勢もしゃんとしているし、所作が綺麗だった。
「アリヤくん、どうかした?」
「ん? ああ、見てただけ。気を散らせちゃった?」
質問に質問で返せば、わずかに笑った声で皓子は「ちょっとだけ」と言った。
「見ても面白くないと思うけど……もしかして、古典のノート目当てだったりする?」
「いいの?」
そういうわけではなかったが、見せてもらえるならちょうどいいかもしれない。アリヤの学校でも同じところをしているのだ。
「うーん……ついてきてくれるお礼がわりになるなら」
「皓子ちゃんがいいなら遠慮無く。ノート持ってくる」
面倒に巻き込まれたと思っていたが、今日も変わらずちょっとした幸運がついてまわる。このまま何事もなく終わるかと思ったが、闖入者が現われた。
障子戸の向こう。庭の方向から蛙の鳴き声がした。
ついで朗々とした男の声もする。
「もうし。淡紅……いや、こうこちゃんと松葉はおらぬか。わしは
席を立とうとした半端な姿勢で止まる。皓子も顔を上げてアリヤのほうを見た。
「アリヤくん、開けていい?」
その間も、「もうし、もうし」と張り上げた声がする。諦めつもりはなさそうだ。
それに、アリヤが動かなければ皓子が先んじて動いてしまうだろう。念押しして注意をしておく。
「俺が出るから、皓子ちゃんはそこにいて」
障子戸を開ければ、秋の庭に大きな人型の蛙、田衛門が仁王立ちしていた。
きちんと人間に化けてはいるが、遠目でみれば大きな蛙に見えた。とくに平たい顔と足の開きがそう見せている。
立派な侍姿の田衛門は、アリヤが姿を表すと「おお」と嬉しそうな声をあげた。
「水茂様と交流を持てと言われておったのでな。早速、会いに来たのだ」
「水茂が?」
アリヤの後ろから皓子が顔を覗かせた。田衛門は堂々とした仕草でうなずく。
「いかにも。わしも、ずっとこの場に居るだけならば体がなまるというもの。しからば、同じ
「俺?」
皓子ではないのか。不思議に思えば、田衛門は手招きをした。
コミカルにも見える大仰な手振りでこっちに来いとされ、アリヤは部屋の中と外を見比べた。皓子がアリヤは行くものとでも思ったのか、部屋の中から靴を差し出してきた。
仕方なしに受け取って履き、縁側から外に降りる。
「水茂様から聞いたところによると、其方、武芸に秀でていないと」
「ああ、はあ、護身術程度ですね」
「女子を口説くのは、口先だけではならぬもの。武芸もあってこそよ」
気安い調子でアリヤへむかってにやにや笑いながら田衛門が言う。
「わしは水神ではあるが、子孫繁栄の加護もあつかっておる。ゆえに、恋愛についても一家言あるといってよい」
(過言だろ……)
脳裏で呟いてアリヤは神妙にうなずくふりをした。
皓子を気にしているのか、声を潜めて話す。
「そこでな、水茂様の心証稼ぎのためにわしが一肌脱いでやろうと思ったまでよ。友の幸いは水茂様も喜ばれるに違いない。どうじゃ、名案だと思わぬか」
(迷案だ)
そもそも口説くとかそういうことに困った試しはないし、相手に不足したこともない。さらに言うと、現状、皓子を相手にするつもりもない。
田衛門の前でしたあれは、ただのポーズだった。とはいえ、ここで否定すると皓子に言い寄るに違いない。
アリヤが曖昧に笑えば、田衛門は了承と受け取ったのか柏手を大きく打った。
どこからともなく木刀が出てきて、田衛門はアリヤへ握らせると「では」と足を踏ん張った。
「守るには相手を見極めることが肝心。わしの動きを見て、避け、一太刀入れてみせよ」
いきなり何を言い出すのか。
話題についていけないまま、アリヤに向かって張り手をかましてきた田衛門を慌てて避ける。
水茂の用意したこの着物は、着慣れていないのもあるがなんとも動きづらい。
しかしながら、持ち前の運の良さもあってか、決定的に攻撃されるというまでもなく、どうにか相手の攻めをしのぐことはできた。
また一撃。
咄嗟に体を捻る。頬の横を鋭い風が通り抜けた。
ふんばるために後ろ足を引いて、続けざまに来た手を上体をそらして避ける。
だが、体がよろけてしまった。
さらに追撃がきたので、渡された木刀で防げば、衝撃が体を抜けた。木刀越しに掌底をくらって数歩後じさる。
「おお、受け流すのはそれなりではないか!」
「そりゃどうも」
しかし次第に早くなる攻めの手に、対処が追いつかなくなってきた。手が服をかすめ、髪に触れ、皮膚を弾く。
伸ばされた手を木刀で逸らしたところで、大きく動きすぎた。
躍り出た体が、無防備にさらしてしまった胴に向かって攻撃の手を伸ばしてきた。
きつい一撃がくる。
咄嗟に腹に力を入れて、緊張したとき。
――ぷいーっ!
なんとも気の抜ける音がした。
田衛門がその音に気を取られて大きくアリヤめがけての張り手を外した。
(今なら!)
足に力を入れて踏み込み、一歩。
そのまま相手の足下めがけて二歩。
飛び込んだアリヤの体に相手が反応するよりも早く握った木刀を払った。
ついで、アリヤの襟首が掴まれた。
田衛門は相当な力があるのか、ひょいっとアリヤを立たせると、ふうむと唸った。
「油断したとはいえ、結果は結果じゃわい。松葉、わしが思ったよりも健闘するではないか」
「……どうも」
こちらは息が上がりそうなのに、向こうはけろりとしている。それを見て、田衛門は出来の悪い弟子を叱るようにげこげこと喉を鳴らしながら言った。
「だが持久力が足りぬわい。女子に助けられるとは、いささか頼りないのう」
「おなご?」
振り返り、離れの縁側を見る。着物袴の皓子が葉っぱを持ってひらりと手を振った。
それからまた、葉を紙の面から下の口元に当てたのだろう。そうして吹く仕草をすれば、またあの気の抜ける音がした。
ひとしきり吹いた後で、皓子が右手でピースサインをしてみせた。
なんとも頼もしい女子だ。
その様子を見て、田衛門は「やはり体力から……」と顎髭を撫でている。嫌な予感がした。
「松葉! そのままではやはりよくない。今日は一日わしも暇じゃ。鍛錬するぞ!」
(……俺の幸運、今日はさぼってるのかな)
張り切る田衛門に、アリヤは肩を落とした。
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