第4話 一階の人たち 下

 やがて、ゆっくりとドアが開けられた。

 大慌てで仕度したのだろうが、それでも身ぎれいにしたラフな服装の妙齢の女性が立っている。ショートの髪のきりっとした女性が愛想笑いを浮かべている。


「どうもぉ、田ノ嶋麻穂ですぅ。うっわ、まじで顔いいな」


 ぼそっと小声で付け足された言葉は、皓子の耳に届いた。アリヤも聞こえていたのだろう、サービスよくきらきらしい顔面で挨拶を始めた。


「どうも、はじめまして。御束アリヤです。父がお世話になっております」

「はあーああ、いいえぇ……溶けそう」

「楽しい人だね」


 こそっとアリヤが皓子に言う。

 田ノ嶋は反応が愉快な人というのは、皓子も同じ認識だ。明るくて、喜怒哀楽がはっきりしている。それでいて決めるところはバシッと決める大人の女性で、良くしてもらっている分、好感度も高い女性だ。


「これ、飛鳥さんから預かりました」


 アリヤが風呂敷包みを差し出すと、宝物を賜ったような動作で田ノ嶋は受け取った。


「謹んでお受け取りいたしました。わー、絶対めっちゃ美味しそうなやつがいっぱいでしょ! いい匂い! 大事に食べるうー」


 頬ずりをして包みを抱えた田ノ嶋に、皓子は続けて封筒を差し出した。


「こっちは、佐藤原さん……元、大小町さんからで、先週のギャラだそうです」

「は? 佐藤原って大小町? で、ギャラ……あー、ああー、うん、うんうん、ありがとう織本ちゃん」


 笑みを消してげんなりとした顔になった田ノ嶋が、指先でつまんで封筒を受け取った。まるでばっちいものを触るような仕草だ。


「織本ちゃんじゃなくて、佐藤原のせいだからね。決して、本当、織本ちゃんがあれってわけじゃないから。あいつに拒否反応出ちゃうだけだから」

「大丈夫です、わかってますから」

「んあーん、織本ちゃん癒やし……私の二代目になって」

「それは、ちょっと……ばばちゃんからも怒られちゃうし」

「だっよねえー。言ってみただけ」


 田ノ嶋が大仰に溜息をついた。

 それにアリヤが首を傾げてたずねる。


「二代目?」

「ああ、それはね」

「織本ちゃん、シッ!」


 答えようとしたところで、田ノ嶋が素早く遮った。それから、わざとらしく「おほほ」と笑う。わかりやすいごまかし方である。

 だが、田ノ嶋のその遮りもむなしく、田ノ嶋の隠し事は部屋の中から暴露された。


『きゅんきゅんきゅきゅーん! マホマホ、出動だっきゅん!』


「えっ」

「お゛あっ」


 可哀想なくらい身を跳ねさせた田ノ嶋は、傍目にも分かる動揺ぶりで、ぎこちなく部屋の中を振り向いた。


『この世にはびこる悪を退治するきゅん! 魔法少女マホマホ!』


 部屋へと繋がる廊下にふよふよと浮かぶ丸い物体。

 フェルト生地を合わせてできたような、丸い子犬の顔をしたアップリケ。

 そこから可愛らしい甘い声が発せられている。固まる田ノ嶋の周りを飛んで、急かすようにその頭にぶつかった。


『あっ、管理人きゅん? いつもマホマホがお世話になっていますきゅん。さっ、そんなことより急ぐ』

「だっしゃーい!!」


 なおも言いかけるアップリケを鷲掴みして、田ノ嶋は部屋の床に投げ捨てた。肩で息をして、ゆっくりと振り返る。


「きゅ、急用でえーす。またねっ」


 半音高い声で言って手を振ると、素早く引っ込みドアが閉じられた。

 少しの間をおいて、向こうから「イケメンとの癒やしの時間が! この駄目マスコット、略して駄スコットが!」という叫びと共にどたんばたんという物音がした。それから、きゅんきゅんと泣く声がした。

 思わず、皓子は後じさってしまった。


「……楽しい人だね」

「うん。すごく楽しい人だよ」


 先ほどとやや意味合いの変わった調子で言うアリヤに、皓子は肯定した。


「えーと、その、正義の味方? 的な?」

「うん、そう。魔法でなんとかするやつ。でも、田ノ嶋さんは指摘されたくないみたいだから、あんまり言わないであげてね」

「そうなんだ」


 なおもドアの向こうで喧噪が聞こえる。部屋の中、それこそ奥に入ればそこまで聞こえないだろうに、それすら惜しむほど憤っているらしい。

 田ノ嶋麻穂は、本人曰く引退した元魔法少女だ。

 プロデュースしているのは、203号室の佐藤原である。

 宇宙の娯楽番組として、適当な地球侵略者から地球を護るショーとしてスカウトされたそうだ。社会人になり、一度引退したというが、どうにもこうにも佐藤原の母星で大ヒットしてしまったらしい。

 そのため、就職してからも活動をさせられているようで、秘密保持の目的として万屋荘に入居している。

 皓子も田ノ嶋との付き合いは四年ほどになるが、契約の際に話を聞いたことから事あるごとに二代目にならないかという勧誘を受けている。もっとも、吉祥が割に合わないと言って断っているため実現はしていない。


「賑やかなところだね」


 褒め言葉だろうか。にこりとして「ありがとう」と言えば、虚をつかれたふうにアリヤは一瞬目を丸くした。そしてすぐにまたにこりと表情をつくろった。


「みんな良い人たちだから、気に入ってくれると私も嬉しいなあ」

「少なくとも退屈とは縁遠そうだ」

「うん、きっとそうなるよ」


 賑やかな面々と過ごせば、時間なんていつもあっという間だ。万屋荘に住み始めてからは、皓子は何度もそう思った。


「そろそろ準備も終わったと思うし、御束くんの部屋に案内するね」


 言ってから、101号室へと足を進める。大家部屋の隣にある101号室は、万屋荘の入り口直ぐだ。

 表札はマロスが使っていたのをそのまま流用するため、御束のままである。ドアノブを握れば、鍵はしていない。もうすでに中に居るのだろう。

 ノブを回して中へと入る。

 万屋荘の部屋は大体どの部屋も一緒の間取りだ。

 玄関スペースから廊下が伸び、側面には脱衣所と洗面所へと繋がるドアがある。そこから突き当たりにスライドドアで隔てたダイニングキッチン、さらに奥にドアが付けられたワンルームの洋室がある。ちょっと広い目の1DKだ。

 中に入れば、少しだけアリヤは感心したような様子だった。

 思ったよりも状態が良いことに、気分がよくなったのだろう。万屋荘の築年数はさほど経っていないから、綺麗なほうだと皓子は自負している。

 何より、吉祥が呪いをかけているため、物持ちは普通の家よりも遙かによくなっているのだ。

 スライドドアを開けると、六畳ほどのダイニングの中央に置かれた長机を囲んだ椅子に対峙して吉祥とマロスが腰掛けていた。

 吉祥は皓子たちの姿を見るや否や、眉をしかめて文句を言った。


「遅い。ちんたらしすぎだよ」

「ただいま、ばばちゃん」


 ふん、と鼻をならした吉祥の隣に行くとマロスがアリヤを手招きした。二人して椅子に腰掛けたところで、マロスは碧眼をきらめかせてアリヤに質問した。


「どうだい、アリヤ。面白いところだろう?」

「……まあ、うん」


 アリヤの返事にますます顔を輝かせたマロスは、気安くアリヤの肩をたたいて笑った。すぐに「やめろ」と手を外されていたが、おかまいなしだ。


「契約書だよ。よく読んでサインしな」


 吉祥はアリヤの方に書類とペンを置くと、腕を組んだ。

 アリヤは書類を手にしてじいっと読んだ後、ペンを手にさらさらと記名した。ペンを置いて、書類を吉祥へと渡す。

 途端、書類は吉祥の手の上に浮かび、じわじわと端から火の粉を上げて吉祥の手のひらに沈み込んだ。


「昔取った杵柄さね。アタシとの契約は絶対。違反をすれば、手痛いしっぺ返しがくる」


 脅すように言う吉祥に、アリヤが眉をひそめる。マロスが不機嫌そうに表情を変えたのを見て、皓子は口を挟んだ。


「ごく普通に暮らすだけなら、問題ないから。ただ、ここでのことを言いふらせないように縛っただけなの。もう、ばばちゃん」


 また言い争いに巻き込まれたならたまらない。吉祥は言葉が足りないのだ。


「あいつの息子だから、釘をさしておいただけさ。お優しい天使様が余計なことをしないようにね」

「ばばちゃんってば! ごめんねマロスさん、御束くん」

「いや、吉祥の言うことも確かだ。うちのアリヤはちょっと緩いところがあるからねえ、父さん悲しい」


 そっぽを向く吉祥はツンとした態度を崩さない。だから誤解されるのだ。面倒見がいいのに、損な性格をしている。

 だが、マロスも本当は理解しているのだろう、苦笑して皓子の謝罪を受け取ると意味ありげにアリヤを見た。


「まあ、ここで世間に揉まれて、成長するといい。なんだったらお家に帰ってきてくれていいからね、アリヤ」

「いや、いいから。そういうの」


 むすっと返事をするアリヤは年頃の少年らしく見える。案内途中で見た様子とはまた違う家族への対応だろう。良い家族関係を築いているのだとわかり、少しだけ羨ましくなった。自分の父親とは違う家族像だ。


「荷物はどうする?」

「自分で運ぶ」

「父さんも手伝おっか」

「重たいのだけ手伝って。あとはするから」

「ご飯は? 引越祝いするか?」

「しない。人前でそういうの恥ずかしいからやめて、父さん」


 あれこれ世話を焼くマロスに、アリヤは気まずそうにこちらを見た。完璧超人のイケメンに見えてもまだまだ子どもっぽさが見え隠れする姿は微笑ましい。

 思わずにこにこしていたら、余計に気まずそうに視線をそらされた。ついでに、抱き寄せようとするマロスの腕を照れ隠しに叩き落としていた。


「転移門はここの壁にそのままにしているから、好きに使いな。使わなくなるようだったら直すからね、ちゃんと言うんだよ」

「オーケイ、吉祥。我が宿敵ながら、その義理堅さは尊敬している。息子を頼む」

「契約上、守ってはやるだけだ。勘違いするんじゃない。皓子、帰るよ」


 けっと言い捨てて、吉祥は立ち上がるとスタスタと部屋を後にした。


「あっ、待ってばばちゃん。それじゃあ、ごゆっくり。またね、御束くん」


 ぺこりと挨拶をして、皓子も部屋を後にした。

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