第3話 一階の人たち 上
階段を降りたところで、ちょうど訪れる先の相手たちと鉢合わせした。
103号室に住む、
現代社会では珍しく、一家総出で和服を愛用しており、本日も洒落た格好である。ちょうど一家で買い物をしてきた帰りなのだろう。手には近くのスーパーのロゴが入ったビニール袋が提げられていた。
お互いに「あっ」と声が出て、被った。
皓子たちが階段を降りきったところで、一家の大黒柱である
平均的な男性よりやや低めの背丈、穏やかそうな雰囲気の世流は、その容姿に似合わないハスキーな声をしている。この人からこんな声出るのかと、初対面では皓子も驚いたものだ。
「やあ、皓子さん。そちらは?」
「今日からうちに入居する、マロスさんの息子さんです。祖母に頼まれて案内をしていたところで」
そう答えたところで、世流は顎に手を当てた。
皓子の後ろにいるアリヤ、というよりアリヤの周囲をじろりと細い目で見ている。どうしたのかと尋ねるより前に、世流は納得したように言った。
渋染めをした着流しの袖が揺れる。
「君かー! どうりで!」
「あの、俺が何か」
「いやいや、なるほどなるほど。君、ほどほどにしておかないと後々苦労するよ。君自身は大丈夫だとしても周囲に迷惑が行くこともあるからね」
「は、はあ」
アリヤから視線がくる。説明を求められているな、と解釈して皓子は手のひらを世流へと向けた。
「世流さんは、すごい霊能力者の方で」
すぐに、「いやいや」と世流の訂正が入った。世流は真ん中分けの黒髪を掻いて困ったように言った。
「違うよ、皓子さん。僕は、しがない物書きで、副業でそういったことも請け負っているだけだからね」
「そんなことないわ。ダーリンはとっても素晴らしいもの。こっこの言うことはあっていますわ」
遠慮がちな世流をたしなめるように言ったのは、世流の妻であるノルハーンだ。
地味な世流と比べると、正反対の派手な美女である。
プラチナブロンドは陽の光があたると輝き、紫の瞳はばさばさとした長い睫毛に縁取られている。背も高く、体つきも女らしい。一見不釣り合いに見えるが、相思相愛の夫婦だとノルハーンの態度からすぐに分かる。
昨年、待望の子どもを授かったばかりの新婚であるが、この一家も普通ではない。証拠はノルハーンの持っている物体である。
ノルハーンが抱っこ紐で抱く娘のスーリとは別に、大事に抱えているのは唇お化けといっても差し支えない人形だった。
赤い唇と舌だけの頭部から水色の体にドレスを着ている、奇抜なもの。
それは、ノルハーンが話すたびに連動しているかのように頭部の唇が動く。よくよく観察すれば、その唇からノルハーンの声が漏れているのがわかるだろう。
「控えめなダーリンもいいけれど、もっと自信をもってくださいな。わたくしの旦那様は素敵だって、言いふらせるくらいに」
「やだな、ノル。僕はそういうのあんまり好きじゃないんだよぉ」
寄り添うノルハーンに世流が困ったような声を出す。
「あん、つれない人……この世界に来て困っていたわたくしを支えてくれたのは、ダーリン、貴方なのに……」
「ちょ、ちょっとノル。初対面の子もいるから」
世流一家はかかあ天下だ。とはいっても、奥さんが旦那にメロメロで、それにたじたじになっている旦那という円満家庭であるが。
微笑ましいなと思うが、こうなると世流一家の惚気は長い。皓子は舵取り修正を図るべく、話題を戻した。
「ええと、その、御束くん。103号室の世流さん。旦那さんの中さんと、奥さんのノルハーンさん、娘のスーリちゃんです」
「どうも、御束アリヤです。よろしくお願いします」
さっと紹介すると、アリヤも皓子の意図を察したのか続けて挨拶をして軽く頭を下げた。
世流は咳払いをして気を取り直すと、微笑んだ。
「ご丁寧にどうも。僕は先ほど紹介にあったとおり、世流中、物書きです。それで、彼女は妻のノルハーンで」
「サタアワミード皇国第一皇女ノルハーンでございます。今は愛する我が夫、中の妻をしておりますわ」
優雅に礼をしたノルハーンが微笑む。礼は、ひざをふんわりと曲げたものだった。
上品なその仕草を見て、アリヤがおずおずとたずねた。
「外国の方ですか」
「いえ、異世界の者ですわ。縁あってこちらの世界に永住していますの。万屋荘という居場所があって、わたくしも夫も、この子もとても助かっています。貴方も、ここが素敵な居場所になるとよいですわね」
さらっと笑んだまま言って、ノルハーンはまたぴとりと夫の方に身を寄せた。
「……織本さん?」
また視線が向かってきた。
アリヤが半眼で見てくるが、あはは、と皓子は曖昧に笑うしかない。
「属性渋滞してるよねえ」
「いや、俺が言いたいのはそんなんじゃなくて……ああいや、その、すみません」
言葉を濁したアリヤが決まり悪そうに世流一家を見れば、一家は気にした様子もなく返した。
「まあまあ、気持ちはわかるから大丈夫だよ。ああ、そうだった、さっき僕が言ったことだけど。御束さん、大分人に好かれるだろう?」
「ええと、まあ、はい」
「それで、君、来る者拒まずで相手してきたんじゃない?」
「……そう見えます?」
ちら、と皓子をうかがうように見られた。それは肯定しづらいだろう。
世流の言うことは、アリヤが大変モテて遊んでいるでしょ、と言っているようなものだ。気にしていないと受け取ってもらえるよう、皓子は視線を合わせないでおいた。
「あ、ごめんね。デリカシーに欠けちゃったか」
「はは」
「うん、それで、君に会いたい子たちが良くないものを飛ばしているから、道すがら色情霊が多くてね。まあ、君はどうも平気っぽいし、水茂様の守護に入ったから大丈夫ではあるけれど……まあ、何かあってからじゃ遅いからね。同じところに住む者同士、注意だけはさせてもらうね」
言い切ったところで、ノルハーンの胸にいるスーリがぐずり始めた。
「あらやだ、ダーリン。この子、おしめ変えなきゃ」
「おっと、じゃあ、そういうことで。これからよろしくね」
軽い調子で締めくくると、夫婦揃って103号室のドアの向こうへと入っていった。パタン、とドアが閉じる。
静かだ。
さわさわと風がそよいで草木が鳴る音や鳥の声がするが、アリヤは黙っている。
なんだか居づらい。皓子は取りなすべく、わざと明るい声で言った。
「え、えと、御束くんは、格好いいもんね。そういうの、不思議じゃないかな」
「……織本さんもそう思うんだ?」
「あ、あーっと……まあ、御束くんの顔でモテないのはおかしいと思うよ」
「ふーん」
アリヤは少しだけ考えた感じだったが、皓子が様子を見ていると気づくと、ふわりと微笑んだ。
「まあ、大丈夫って言っているなら、いっか」
「わあ……」
「それで、次で最後?」
(御束くん、やめないつもりだろうなあ……これ)
ニュアンスでなんとなく察してしまった。流し目で皓子を見下ろしたアリヤは、にこにこと感情が読めない笑みで皓子を促した。
止めていた足を動かして、102号室の前へと移動する。
田ノ嶋と書かれた表札、ドアのポスト口には無造作に封筒がいくつも詰め込まれている。一見不在かと思えるが、おそらく昨夜遅くか朝早くに帰宅して、確認するより先にベッドに潜り込んだのだろう。早朝のとき、そんな田ノ嶋の様子を何度か見たことがあったので容易に想像することができた。
もしかしたら眠っているかもと思いつつも、チャイムを鳴らす。届け物もある。渡さなければならない。
一回、二回。
それでも反応が来ないため、もう一度さらに鳴らしてドアを叩いた。
「田ノ嶋さん、田ノ嶋さーん、織本ですー。お届け物とご挨拶にきましたー」
すると、しばらくして駆け寄る音がした。おそらくドアの向こうに立っているのだろう、インターフォン越しに声がした。
『織本ちゃん? ごっめん、寝起き! ちょっと出れないわ』
「お休み中、ごめんなさい。あの、翔くんからと佐藤原さんから渡すものがあって」
『えっ、飛鳥くんから? ああー、ご飯ね! それに佐藤原? 誰? いや、ちょ、ちょっとまって……んあっ、はっ、光のイケメンいるじゃん!』
どたばたと騒がしい。慌てて準備をしているのだろう。
アリヤは相変わらずにこにこと仮面のように笑顔を浮かべている。
(なるほど、光のイケメン。言い得て妙だ)
うなずいていると、視線が合った。皓子はなんでもない、と曖昧に笑ってごまかした。
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