【完結】迷宮のマッドハウス

湊 マチ

第1話 ホールランドの世界

広大なホールランドの空を見上げると、まるで天と地を繋ぐかのようにそびえ立つ世界樹が視界に飛び込んでくる。その枝葉は雲を突き抜け、根は地の底まで張り巡らされていると言われている。この世界樹が、無数のダンジョンを生み出す源であり、多くの冒険者たちが富と名誉を求めて挑んでいく場所でもあった。


「やっぱり、すごいな……」


ユウは、グランドポートの大通りで立ち止まり、あまりにも巨大な世界樹を見上げながら呟いた。街は常に活気に満ちていて、行き交う冒険者や商人たちの声が絶えず響いている。今日もまた、新たな挑戦者たちがダンジョンへと足を踏み入れていく。


「準備はできてるか?」


横に立っていたリナが、少し鋭い目つきでユウに問いかける。長い耳が特徴的な獣人のリナは、常に周囲の状況に気を張り巡らせているようだった。自分の感覚を頼りに、少しでも危険を察知しようとしているのだろう。


「もちろん。後はゼンとカイを待つだけだな」


ユウは軽く肩をすくめて答えた。彼らは今日はじめて、大規模なダンジョンに挑戦する予定だった。世界樹迷宮と呼ばれるそのダンジョンは、ホールランドの冒険者たちの憧れの地であり、そこに眠るという財宝は誰もが狙っている。


「もし上手くいけば、一攫千金だな。でも、下手すれば――」


「骨になるだけさ」


リナの言葉は、どこか冗談めいていたが、その表情は冷静そのものだった。冒険の危険性は言うまでもないが、それ以上にこの世界では信頼が簡単に裏切られることも多い。特にダンジョンでは、プレイヤー同士の争いも日常茶飯事だった。


「そうならないように頑張るさ。俺たち、いいチームだろ?」


その時、黒いローブをまとったゼンが静かに現れた。その後ろからは、軽快な足取りでカイが続いてやってくる。


「遅れてすまない。ちょっと情報を集めていたんだが……どうやら、最近世界樹迷宮で行方不明になったパーティがいるらしい」


ゼンの言葉に、ユウは顔をしかめた。


「行方不明?死んだのか?」


「それが、噂によるとマッドハウスに巻き込まれたらしい」


「マッドハウス……」


その名前を聞いた瞬間、ユウの胸が一瞬にして冷たくなった。マッドハウス――それは、ダンジョン内で特定の条件が揃うと発動する恐ろしい現象だ。プレイヤー同士が殺し合うことで始まり、閉鎖された空間での生存競争を強いられる。


「もしそれに巻き込まれたら……生きて帰るのは簡単じゃないだろうな」


リナが静かに呟く。その目は鋭く、いつも以上に警戒を強めている。


「まあ、そんなのに巻き込まれなければ問題ないさ。俺たちはパーティだろ?裏切りなんてないさ」


カイが軽く笑いながら肩をすくめる。しかし、その無邪気な言葉にもどこか不安が漂っていた。ホールランドでは、ダンジョン内での信頼は脆いものだ。極限の状況に追い込まれれば、誰もが他人を裏切る可能性がある。


「それにしても、マッドハウスか……そんなのには巻き込まれたくないな」


ユウは剣を握りしめ、目の前に広がる世界樹迷宮を見つめた。この巨大な迷宮に挑むことで、彼らは何を得るのか――それとも、何を失うのか。


「さあ、行こう。俺たちの冒険はこれからだ」


ユウの声に応じて、リナ、ゼン、そしてカイが一斉に動き出す。彼らはまっすぐに世界樹迷宮へと向かい、未知の冒険に足を踏み入れた。


だが、その先に待ち受けるものは、決して甘いものではなかった。


---


「マッドハウスの噂をもう少し調べよう」とユウが提案したのは、迷宮の入り口に辿り着く寸前のことだった。ゼンの話を聞いたことで、ただのダンジョン探索が思った以上に危険なものに思えてきたのだ。


「マッドハウスなんて、よくある怖い話だろ?」カイが軽く肩をすくめて言う。しかし、リナはその言葉に眉をひそめた。


「怖い話だとしても、油断はできないわ。もしそれに巻き込まれたら、どんな仲間だって信用できなくなる」


リナの言葉には重みがあった。彼女は鋭い感覚を持つ獣人であり、感情の動きに敏感だ。自分の直感が告げる警告には従うべきだとユウも感じていた。


「ここに来るまでに、いくつか気になる情報を手に入れた。少し話を聞きに行こうか」ゼンが静かに提案した。


---


彼らは、グランドポートの大通りを離れ、裏通りに向かった。冒険者たちが集う居酒屋の片隅で、ゼンが目をつけていた男がいた。細身で目つきの悪いその男は、明らかに何かを隠しているような雰囲気だった。


「お前たち、何か用か?」男はうさんくさい笑みを浮かべ、ゼンたちをじっと見つめた。


「マッドハウスについて、噂を聞きたいんだ」ゼンが静かに言う。


「マッドハウスか……その話を聞きたい奴は、命知らずか、何も知らない愚か者だけだ」男は小さな声で呟いたが、すぐに目を光らせた。「だが、もし本気で知りたいなら、少しばかり情報をくれてやるさ。ただし、タダじゃないぞ」


カイが呆れたように笑う。「まあ、こういう奴に何か頼むなら、代償はつきものだな。で、何が欲しいんだ?」


「簡単なことだよ。ダンジョンで手に入れた珍しいアイテムを一つ。もちろん、お前たちが生きて帰れたらの話だけどな」


ユウは一瞬考えた後、頷いた。「それでいい。情報をくれ」


男はしばらくユウを値踏みするように見つめた後、低い声で語り始めた。


「マッドハウスってのは、ダンジョンの中でプレイヤーが他のプレイヤーを殺すことで引き起こされる特殊な現象だ。ああ、普通の死とは違う。ダンジョン自体が反応して、その場に閉鎖空間ができる。そして、その空間に閉じ込められた奴らは――」


男は一瞬言葉を切って、さらに低く囁いた。


「誰が敵で、誰が味方なのか、分からなくなる。プレイヤー同士の疑心暗鬼が加速して、最後には仲間を殺さないと生き残れなくなるんだ」


「……それが本当なら、相当厄介なことになりそうだな」ユウは冷静に言葉を返したが、その胸には一抹の不安が広がっていた。


「何か特徴はあるのか?」リナが真剣な眼差しで男に問いかける。


「発動前に感じる異様な気配があるって話だ。何とも言えない不気味な空気が漂ってくる。あとは、空間が歪むような感じがするらしい。まあ、気を付けるんだな」


男はそれ以上話すことはないとばかりに、そっけなく席を立った。


---


「どうする?情報は得たが、実際に起こるかどうかなんてわからない」カイが少し苛立ったように言った。


「気を引き締めていこう。もし本当にマッドハウスが発動するなら、俺たちのチームワークが試されることになる」ユウは静かに決意を固めた。


リナもゼンも、その言葉に静かに頷いた。


---


ユウたちのパーティは、グランドポートから世界樹迷宮への道を歩きながら、さっきのマッドハウスの噂について話し合っていた。もし、あの噂が本当なら、ダンジョン探索は想像以上に危険なものになる。それでも、何か対策を講じなければ、ただの無謀な冒険になりかねない。


「他のパーティとも連携した方が良いんじゃないか?」ユウが提案すると、リナが鋭い眼差しを彼に向けた。


「本気で言ってるの?他のパーティは競争相手よ。協力なんて、何か裏があるに決まってる」


「それは分かってる。でも、今回のダンジョンは普通の探索とは違う気がするんだ。マッドハウスが本当に発動したら、俺たちだけじゃ対処できない可能性が高い。それに、プレイヤーキラーがいたら……」


リナは一瞬黙り込んだ。彼女もその危険性を感じていることは分かっていたが、慎重な性格から、他人を信用することには消極的だった。


「まあ、連携するのも悪くないだろう」カイが肩をすくめながら言った。「俺たちの敵がプレイヤーキラーなら、人数が多い方が有利になるはずだ。ゼン、お前もそう思わないか?」


ゼンはいつもの冷静な表情で答えた。「確かに、他のパーティとの協力は選択肢として考慮すべきだ。特に、情報交換をすることで、予期せぬトラップや危険を避けることができるかもしれない」


ユウは頷いた。「決まりだな。他のパーティに協力を持ちかけてみよう」


---


世界樹迷宮の入り口には、既に数組のパーティが集まっていた。それぞれが装備を確認し、ダンジョン攻略に向けて準備を進めている。ユウたちは慎重に周囲を見渡し、連携を持ちかけるべき相手を探し始めた。


「まずは、あの連中に声をかけてみようか」


カイが指さした先には、4人組のパーティがいた。彼らは装備も整っており、実力もありそうに見える。ユウは慎重に彼らに近づき、リーダーらしき男に声をかけた。


「すまない、少し話をしてもいいか?」


男は鋭い目でユウを見つめたが、少し笑みを浮かべながら答えた。「なんだ、連携を求めてきたのか?」


「そうだ。このダンジョンのことを調べていたんだが、どうやら『マッドハウス』の噂があるらしい。もし本当に発動したら、俺たちだけで対処するのは難しいかもしれない。情報を共有し合って、互いに協力するのはどうだ?」


男はしばらく黙ってユウを見つめていたが、やがて頷いた。「いいだろう。お前たちがどこまで信用できるかは分からないが、確かに今回はただの探索じゃなさそうだ。俺たちの名前はガイア。こっちはメンバーのリディ、シスカ、そしてアランだ」


「俺はユウ。こっちはリナ、ゼン、カイだ。よろしく頼む」


握手を交わし、両パーティは協力体制を築くことになった。ガイアたちもまた、マッドハウスの噂を耳にしていたという。彼らはこれまでにもいくつかのダンジョンを攻略してきたベテラン冒険者たちで、経験豊富なガイアを中心にしたチームワークが売りだった。


---


「それで、何か分かったことはあるか?」リナがリディに問いかけた。


「まだ何も具体的なことはわからない。ただ、ダンジョンに入るとすぐに、妙な感覚を覚えることがあるって話を聞いたわ。それがマッドハウスの前兆かもしれない。私たちも気を付けた方がいい」


「妙な感覚、ね……確かにそれは厄介だな」


リディの話に耳を傾けながら、ユウは心の中で慎重に計画を立てていた。もしマッドハウスが発動した場合、他のプレイヤーが敵になる可能性がある。そのため、いつでも素早く対処できるよう、状況に応じた対応を考えておく必要があった。


「それじゃあ、いよいよ行こうか」ガイアが声をかけ、両パーティは迷宮の中へと足を踏み入れた。


迷宮の入口は暗く、冷たい空気が流れ込んでくる。まるでこの先に待ち受ける危険を暗示しているかのようだった。ユウは仲間たちを振り返り、慎重に歩みを進めた。

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