第31話 ダークナイト

 ゲートを抜け、俺は内心で安堵する。魔力はそこそこ使ったが、まだ余裕もある。ツクヨミの目を潜り抜け隊員たちを生き残らせることができた。なんとか上手くやれたらしい。あの場所がどこかは分からないが、アイツらならきっとしぶとく生きるだろう。ツクヨミをチラリと見やるが特に違和感はない。1つ大きな仕事を終えてほっと胸を撫で下ろした。だが、今日は連戦だ。気を抜いてはいられない。ゲートを抜けた先は司令部だ。しかし、親父の姿は見えない。いるのは伝令の若い兵士だけだ。


「おい、そこの雑兵。司令官はどこじゃ?やつ一人とここで落ち合う約束だったはずじゃが」


「それが……」


 ひどくおびえているのか、魔素が大きく揺れている。彼は一呼吸空けたあと付け加える。


「長月司令官は先ほど息を引き取られました」


 親父が死んだ?言葉だけでは実感が湧いてこない。あの親父が……?腕を切り落とされたのは確かにかなりの傷だ。だが、すぐに治療を受ければ命を落とすとは思えない。とっさに思ったのはハッタリだということだ。確かに支柱である親父がいなければこの戦線を保つことは難しいだろう。


「嘘だったら殺すぞ?」


「う、嘘であれば良いと我々も何度も思いました。ですが事実です。司令官がいれば、ルナン軍はこのような惨状になっていなかったでしょう」


「ふむ、確かに状況は悪いらしいの。しかし、よもやあの程度でくたばるとはな……凡たる者はここまで弱いか……」


 俺はただ突っ立っている。声は聞こえても何も響いてこない。


「司令官は弱くなどありません!仇を討たせていただきます!」


 伝令がそう叫ぶと司令部に複数の兵士がなだれ込んできた。そうだ。このツクヨミこそ親父の仇なのだ。


「シヴァ。こいつらを殺せ。それで代わりじゃ」


 俺は考える。どうすべきなのか。ここで彼らを殺して何になる。でも殺さなくては、ルナンが滅びるとまではいかずとも、多くの人間が死ぬ。彼らをどうにか生かす作戦は……だめだ。思いつけない。くそ。そう考える間にも兵士たちは魔法武器で切り掛かってくる。侍の国らしい戦い方だ。親父も銃などは好かんとよく言っていた。ツクヨミはいつの間にか姿を消している。透明化か何かだろうか。すべてを俺に押し付けるのか。これが代わりの試練か。目まぐるしく訪れる理不尽に、それでも大きく絶望していない自分に驚いた。これも仮面か何かの効能だろう。周りの魔素も自分の感情も、意識しなければ全く揺れなくなってしまった。


 迫る太刀を躱しながら考えを巡らせる。ルナンはいまどんな状況なのだろう。親父が死んで、シナン軍との戦いはどうなっているのだろう。親父……別れの言葉一つ交わすことができなかった。本当に死んだのだとすれば、俺のせいかもしれない。感情が揺れて魔素の流出が早まってしまったのかもしれない。そんなことが頭を騒がしく駆け巡っている。このまま死ぬ方がましだとさえ思う。


 人数が増え、刃を躱しきれなくなってきた。この場を切り抜ける策は思い浮かべられない。冷静な思考ができないほどには心も思考も乱れていた。もうだめだ、やるならせめて正々堂々と……俺は闇と光の刀を両手に構える。

 

「司令官の仇だ!去ね!外道が!」


「無念を、今ここで晴らす!」


 罵声の波が鼓膜を揺らしている。俺だって仇を殺してやりたいさ。本当に……。ここにきて初めて親父は尊敬されていたんだなと実感する。家の中では尊敬できる人間だと思ったことはなかった。軍に入ってからは親父のすごさを実感する機会は確かにあった。だが、やはり俺の中では親父は親父だった。息子を落ちこぼれと罵り、自由を認めない頭の固い男だという先入観から抜け出ることはなかった。こうして死んでしまってから初めて気が付くのだから本当に人生は皮肉だ。結局俺は何一つ救えていない。もはや俺には何も残っていない。


 そして俺は感情を無にし、ひたすらに切り伏せ、切り捨てた。殺して殺して……殺す。次々と援軍が入ってくるが、それはもう人だと思えなかった。流石にさばききれず幾度となく切りつけられた。だが、何も感じない。それは俺の纏っている魔力が強化されたのか、それともこのローブによるものか、ただ単純に感じていないだけなのか。もうどうでもいい。俺にはどうしたらいいのか分からなかった。もうやめてくれ。


 どれくらいの時間が経っただろう。あらゆる色の魔素が宙を舞っている。魔素の揺らぎを抑えると、苦痛も息切れもすぐに消えていく。これだけやって、スイッチひとつで息ひとつ切れなくなるとは……俺も人間を辞めてしまったようだ。これは、本当に自分がやったことなのか。ほとんど全ての実感が乏しい中で、虚脱感と虚無感だけに体を締め付けられている。そうか、魔素揺らぎが消えるとこうなるのか。俺が幼少期に求めていた境地……虚しいものだ。


「終わったようじゃな。よくやった。帰るぞ」


 現れたツクヨミはなんの感慨もなさそうに告げる。コイツを殺せるくらいに強くなってやる。それには何の意味もないとわかっていても。それまでは信頼と力を得てやる。この涅槃の中で。


「ああ。帰ろう」


「帰ったら最後の試練がある。ま、今日の中で一番簡単な仕事じゃな」


 まだ何かあるというのか。どこまで俺を利用し弄ぶ気なのか。だが、今の俺ならどんなことでもどうでもいい。いや、ここまできたからにはやってやる。罪を背負うしかない。力をつけて贖うしかない。


「なんだって良い。さっさとゲートを出せ」


 顔は見えないが、ツクヨミは少し笑ったように思えた。何がおかしいというのだろう。おそらく気のせい……か。そして、出されたゲートを潜ると塔へと戻った。今日は死神と十字架と太陽はいない。道化とツクヨミと俺だけのようだ。


「やあやあ!お帰りなさいシヴァさん!試練を無事に無事に、乗り越えてきたようですねぇ!コングラッチュレイションズ!」


「最後の試練があるんだろ?内容は?」


「おやおや!そう焦らずとも!なあに、簡単明瞭、明瞭至極なお仕事ですよ!ボタンをおひとつポンと押すだけなのですから」

 

 ボタンをひとつ押すだけ?なんのボタンだ、と問う前にツクヨミが付け加える。


「ルナンの本国へ核魔導兵器を落とす。お主にはそのボタンを押してもらう。史実とは少し違うがミサイル式じゃな」


「核魔導兵器?なんだそれは」


「実は実はですねぇ。魔素というのはもっと細かな粒子から構成されているんですよ。そして、その粒子たちの起こす核分裂を利用した……」


「要は大勢死ぬ遠隔爆弾のようなものじゃ。リベリカが作ったことになっておる。数十万は死ぬじゃろうが、戦争を終わらせるため、これ以上の余計な犠牲を増やさぬために必要な犠牲じゃ。割り切れ」


 一発で数十万もの命を奪えるだと……そんなものがすでに手中にあったというのか。それじゃあ一体なんのために俺たちは命をかけて戦ってきた。こいつらの掌の上で戯れあっていただけだとでも?親父はなんのために死んだ?


「そんなものがあるならもっと早く使っていればよかったんじゃないのか?それこそ、どれだけ余計な犠牲が出たと思っている?」


 声に怒気を混ぜる。これは怒るべきだと理性が判断しての怒声だ。感じたわけではない。心の底から感じることができない。これじゃまるで俺が道化だ。


「開発できたのがつい最近でな。悪気があるわけではない。研究と実験に必要な犠牲じゃ」


 必要な犠牲、余計な犠牲……どこまでも命を愚弄しているようにしか思えない。自分たちは絶対的な力を持ち、不老にさえなれる。あまつさえ死んでも転生できる。その特権を使って自分たちの目的を達成するために、必要な犠牲だと言って命を弄ぶ。こいつらは平和のためと謳ってはいるが、本当にそれが平和につながるのか?自分たちの快楽を満たすための単なる建前じゃないのか?


「さあ、こいつを押せ」


 そう言うと、大きい手持ち鞄のようなものが2つに割れ、中からいくつかの複雑な魔法陣と目立つスイッチが現れる。これを俺が……数十万人のルナンの命がたったこれだけで失われる。俺がこれを押すだけで。なんという重みだろうか……手が震え始める。


「できんのか?なんだって良いと言っておらんかったかの?それともここで死ぬか?」


 確かにそうだ。なんだってやってやると思っていた。だが。俺の想像を遥かに超えている。こんなこと、人ひとりが負うべき罪の重さではない。そこまでの死を背負って俺は生きられるのか。そんなことをした上でどうして生きなくちゃいけない?どうしたらいい。こいつらにこれ以上の横暴を許さないことが、俺にできる最大限のことかもしれない。なんにしても、ここで俺が手を汚さなくても、結局、運命は動かせない。こいつらにはまだ勝てない。俺はまだ弱い。どうしようもなく。


「これを罪だとでも思っておるんじゃったら、お主はバカじゃな。これは正義じゃよ。いや、正義だ悪だなどくだらん。どんな事象にも正義の面と悪の面がある。それだけじゃ。光が強ければ闇も濃くなる。英雄は敵から見れば虐殺者じゃ。これを押せば、お主は英雄でもあり、虐殺者でもあることになる。だからどうした?其の2つは矛盾などせん。お主が自分を罪深いと信じるかはお主の裁量じゃ。ワシは少なくともこの涅槃の行いを一切恥じてはおらん。自身の行いもな。お主がどう思うかは勝手じゃがの」


 深く息を吸う。覚悟を決めるしかない。道が修羅であっても、俺は罪を背負って生きる。彼女は言った。苦しくても辛くても生きろと。生まれてきたのは誰かの願いだと。だからきっとカンナは生きている。この世界でなくとも。いつか俺が会う時には、逃げた自分じゃなく、向き合った自分で在りたい。それだけだ。生きる理由はそれだけで十分だ。


「押すぞ」


 拳を握りしめると手の震えはおさまった。ボタンを拳で叩くようにして押す。すると俺の魔力が流れ、魔法陣が起動した。回路を赤い光が伝わり、多数の魔法陣が同様の光を放ったのちに消える。これで発射されたのか?もうすぐ数十万の人間が死ぬのか?なんの実感もない。それが……どうしようもなく怖い。この怖さから逃げないこと。それが俺にできる唯一のことだ。全てを直視して、生きることだ。


「これでお主も涅槃の一員じゃ。シヴァ。基本は自由に行動してもらって良いが、指令には従ってもらう。ログアウトしない限りは行動は筒抜けじゃがな。きな臭いことがあればすぐに分かる。余計なことは考えるな」


「いやはやいやはや!素晴らしいですねぇ!新メンバー!嬉しい限りですよぉ!シヴァさん!ともに世界をより良い方向へ導いていきましょう!ふふふふ!胸が躍りますねぇ」


「よろしく頼む」


 俺は心にもない返事をする。この仮面があってよかった。それすら奴らの策略かもしれないが。


「ところでツクヨミさん、ワタシのことはジョジョと呼んでくださいよ!シヴァさんはなんで既にシヴァ呼びなのですか!ずるい……ずるいですよ!」


 ガヤガヤと騒ぐ道化を無視して、俺は与えられた自室へ戻った。今日はどっと疲れた。本当に。本当に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る