第22話 西部戦線異状なし

 僕は確かに死ぬ覚悟をしてきた。でもこの最前線に立つ今、とても恐ろしい。今日は今までと違う。いや、でも別に今までだって死にたくなんてなかった。こうして、僕は間違いなく死ぬんだと悟って初めて、心から生きたいと感じてしまう。皮肉なものだ。君と愛し合った日々がどれだけ仕合わせであったか、生まれてくる赤ん坊の顔を一瞬でも見れたならどれだけ癒されるだろうか、こんな死の間際になってそんなことばかり考えてしまうのは僕が弱いからなんだろう。みんな、勇敢に死んでいくのだから。


 家族へあてた手紙では、この戦争に行けることを誉だと言い張った。ルナンの男としてこれ以上の喜びはないと。心からそうだと思っていた。だけど戦場に出てみれば、これ以上ないほどの恐怖が支配しようとしてくる。本当のことを言ってしまったら上官に叱られるだろうけれど、敵軍の兵士も人間だ。殺さなくては殺されてしまう。それでも一瞬の躊躇がある。僕は弱い。魔法の才能にもあまり恵まれていないし、こんな風に殺すことをためらってしまうのも、弱いからなのだと思う。だけど、今起こっていることを見れば、僕の弱さすらもかすんでしまう。


 彼ら――長月隊の連中が挙げてきた報告は本当だった。シナンが大攻勢をかけてくると。ルナン軍はそれを話半分で聞き流した。物資の到着などはぎりぎりだが間に合っていたし、敵としても攻勢に出るタイミングとは思えなかった。ましてや、やつらは所詮劣勢であり、大攻勢に出てきたとしても問題なく駆逐できるのだと。確かに準備はしてきたし、勝てるはずだった。こういう時のために僕らがここに配置されているのだから。だけど、目の前に広がる光景は想像を絶していた。


 繰り広げられているのは戦争ではない。一方的な惨殺だった。シナンの軍勢は新兵器を大量に携えていたのだ。それらは常識からしてありえない水準のものだ。僕らの持つ兵器は軒並み効果を発揮しなかった。魔法はすべてかき消され、やつらの弾丸は僕らの防御魔法を容赦なく貫通した。意味が分からなかった。前線の兵士は次々と死に、大混乱をきたした。前線を維持できなくなり、指示系統もぐちゃぐちゃになった。そして極めつけは巨大な戦艦だ。突如として空に現れたそれはあまりにも理不尽だった。あんなものは見たことがない。ルナンはようやく戦闘機を本格的に実用化できた段階だというのに。そんなものがあるならば最初から使えばよかったんだ。そうなればルナンはすぐさま敗北を認めざるを得なかっただろう。それほどまでに敵の技術力は圧倒的だった。


 上官から撤退の指示が出た。その中でも敵の弾丸は僕らの命をまるで雑草でも刈るように奪っていく。僕は必死で逃げた。無様だ。何が「死を覚悟している」だ。でも仕方ないだろう。こんな死に方は誰も覚悟なんてできていなかったんだ。祖国のために命を捨てる、この状況はそれ以前の問題だ。単なる犬死なんて誰もしたくない。一方的に蹂躙されるだけなんて、何の意味も見いだせない。苦しくて怖くて仕方がなかった。男のくせに情けない悲鳴をとどろかせて戦場を逃げた。


 何人が死んだのだろう。生き残ったのは三分の一以下だろうか。僕らは前線基地から撤退し本部へと向かっている。だけど誰もがあの戦艦がいつ空中に現れるのか、恐々としているのだ。規律はかなり乱れていたが、それを矯正するために味方にいくつかの弾丸が放たれた。こんな時に味方同士で殺し合うなんて、とも思ったけれど秩序を保つためには仕方がないのだ。隊列が乱れればもっと多くが死ぬのだから。僕もけたたましい騒音の中で上官の命令を聞いた。死にたくなかった。だから僕は走った。歩兵にはオーリーボードすら支給されていないのだ。重い荷物が肩に食い込む。本部は歩いて向かうにはあまりにも遠い。しかし後ろからは銃声や悲鳴がこだましていた。選択肢は歩き続けるしかなかった。決して一日ではたどり着けない。それでも歩き続けるしかなかった。そして、休まずに歩き続けた僕らがへとへとになったとき、それは現れた。


 轟音が上空に鳴り響いた。それは戦艦、ではなかった。味方の空軍だ。本部から増援が来たのだろう。疲れ果てた僕らの士気が高まるには十分だった。しかし、冷静になればシナンに抵抗できるとは思えなかったのだ。でも、その時の僕らはその自軍の戦闘機たちの群れにとても期待していた。願いを込めていた。


 なんと虚しい願いだったのだろう。すべてが何の意味もなかったのだ。その空軍は僕らごと爆撃した。そう。僕は死んだ。単なる名もなき兵士として。あっけないものだ。祖国にいた妻も子供も、こんな死に方をしたなんて知らないだろう。味方の爆撃で死ぬなんて。


 

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