第13話 戦場のピアニスト

 どうして、こんなことになった?突然のことで、何が起こったのか理解が追いつかない。目の前に広がる情景は現実のものとは到底思えなかった。近所の家屋はほとんど灰になっている。無論、俺の家もそうだ。駆けつけたばかりで息を切らしながらも、声の限り叫ぶ。


「母さん!」


 今日も普段と変わらない、普通の日だった。補習を受けた帰り道。そこで突如鳴り響いた、けたたましいサイレンの音が異常を知らせた。空にはいくつもの煙が上がっている。そして俺は戦慄を覚えた。巨大な戦艦が空中を飛んでいくのが見える。ありえない。あんなものルナンの軍事力では作れていないはずだ。であれば敵軍か?それだってあまりにも突飛すぎる。ルナンが戦争を繰り広げているのはあくまで海を挟んだ西方のシナンだし、いきなり本土への奇襲などうまくいくわけがない。その上ここは国のほぼ中央に位置している都市圏だ。頭がおかしくなりそうな混乱の中、俺は無我夢中で家に戻った。その方角で火の手が上がっているのが見えたからだ。


 そして、たどり着いた時にはこんな状態だった。まだ何も理解が追いついていかない。瓦礫の山になっている家の残骸たちを必死でかき分けて進みながら、再び声を張りあげる。


「おい!母さん!」


 何度も周りを見渡しながら口にする。周りの喧騒、悲鳴、緊急の避難を知らせる警報がうるさい。くそ。考えろ。母さんは間取り的にどこにいた?この時間なら、夕食を作っていた頃だろうか。そう。だから台所の辺り。粉々になった、かつて俺の家だったものを魔法を使ってどかしながら、早足で近づく。きっとこのあたりの筈だ。


 母さんはそこに居た。台所のあった位置。まさにその場所で、肩から下のほぼ全身が瓦礫の下敷きになっている。叫びながら近寄るものの返事がないのは気絶しているせいだろうか。体が魔素へと崩壊していないので、死んでいるわけではない。揺らぎも微かに見える。生きてはいる。でも微かだ。


 近づいて体の位置を正確に把握した後、土魔法で瓦礫を持ち上げる。もともと扱いが苦手なのに加えて、焦りや緊張も相まって、随分と手間取ってしまった。そして……母さんを抱き抱えて理解する。もう母さんは死ぬ。やけに軽い母さんの体は、下半身から崩壊し始めていた。


 「か、かあさん……」


 魔素が揺れて視界も揺れる。母親の死。それは予期していないことだった。こんな事態になるなんて、誰も予想していなかったに違いない。どうやって、あんな戦艦がこんな都市部まで来ていたのか。また戻りそうになるそんな思考の渦から離れる。違う。今はそんなことじゃない。人は死ぬと頭ではわかっていた。だけど、それが自分の周りの人間だなんてこれっぽっちも思っていなかった。戦争なんだと知っていたのに、何も……本当のこととして考えていなかった。俺は消えていく母親の体から目を逸らす。悔しかった。俺は無知で、あまりにも弱い。


 「トバリ……無事、かい?」

 

 「ああ、無事だよ……」


 俺は言うべき言葉が見つからない。母さんのことは正直に言って、そこまで好きでもなかった。いつも親父の言いなりになって、俺の話なんてまるで聞いてくれなかった。いじめられて寂しかった時も、助けの手を差し伸べてくれた記憶はない。


「強く、なったわね」


 俺は勢いよく首を振る。

 

「俺がもっと強ければ母さんも助けられたかもしれない」


「辛い思いをさせて、今まですまなかったね」


「…………」


 唐突な母からの謝罪に、なんと返したらいいのかわからない。わからないことだらけだ。この世界は。それでも、母さんのせいでないことは分かっている。むしろ、母さん自身も、家族や地域内での立場が悪くなったかもしれない。落ちこぼれの俺を生んでしまったことによって。俺が謝るべきなんじゃないだろうか。そんな存在をよくここまで養ってくれたと感謝すべきなんじゃないだろうか。


「あたしが、弱いから悪いの……トバリの、せいにしてきた」

 

 ただ浮かんできたものを置いていくように、母さんは途切れながらつぶやく。あまりにも弱々しいその姿は、もうそのまま消えてしまいそうなほどに儚げだ。


「母さんは、俺のことを、どう思ってたんだ」


 俺は思い切って尋ねた。ずっと気になっていたこと。

 

「あたしは……」


 俺はなんで最後にこんなことを聞いてしまったんだろう。もっと言うべきことがあったはずなのに。感謝や謝罪、たくさんの言葉があったはずなのに。


「ごめんなさい……よく、わからないの……たくさんの、感情が、浮かんで……」


「ごめん。いいんだ、母さん。俺は感謝してるよ。今まで育ててきてくれて。だから……」


 言っている途中、母さんはキラキラと舞う粒子になって空気へと溶けていった。抱えていた手には何も残っていない。今まで周りを揺らしていた魔素はほとんど散り、微かな残滓となった揺らぐまとまりも、しばらく残ったあとに消えていく。俺は気づけば、必死でかき集めようと手を動かしていた。無駄なことなのに。

 

 最後になんと答えて欲しかったのかは、今もよくわからない。母さんの最後にたくさん浮かんだという感情。そこにどんなものが含まれていてほしかったんだろう。素直に、愛していてくれたのか、そう尋ねればよかったのかもしれない。だけど、怖くなってしまった。答えを知ることが。だからこんな曖昧な質問で誤魔化してしまった。本当にこんなにすぐ死んでしまうなんて。後悔がどんどん浮かんでくる。何もかもが、ゆらゆらと揺らいでいた。


 ――

 

 「トバリくん!」


 あれから、どれくらい時間が経っていたのだろうか。聞き慣れた声が鼓膜を揺らす。それは幻聴か、妄想か。


 「トバリくんってば!」

 

 気づけば目の前にはカンナが立って、顔を近づけて俺の目を覗いていた。あたたかい魔素の揺らぎと、頬に当てられた手の感触が、本物の彼女だと確信させる。


「どうして、ここに?」


「どうしてって!トバリくんが心配だからに決まってるじゃん。早く学校へ行くよ」


 カンナは手を引いて歩き始める。夢にいるような不思議な心地のまま聞き返す。

 

「学校?」


「今流れてる放送!避難場所になってるの」


 耳を澄ませてみると、確かにそんな趣旨の放送が流れている。ずっと流れていたのだろうか。全く耳に入っていなかったようだ。


 「母さんが、死んだんだ」


 歩きながら、なんの脈絡もなく口に出していた。ただ、聞いて欲しかったのかもしれない。もしくは、何か、言って欲しかったのかもしれない。


「そう……」


 カンナはそれだけ言うと口ごもる。何も考えられない。魔素の揺らぎもコントロールできていないだろう。ただ思いつくままに口からこぼれ出てくるものが、果たして形をなしているのか。わからない。わからない。何も。


「目の前で、消えていった」


 言葉をこぼしていく。なんとかうまく拾い上げようとして、また手からこぼれる。そんな言葉の断片たち。


「聞いたんだ。最後にさ。俺のことを、どう、思ってたかって」


「うん……」


「母さん、言ったんだ。よく、わからないって」

 

 カンナは何も言わない。

 

 「いろんな……感情が、浮かんで、きたって」


 俺はなぜか泣いていた。母さんが目の前にいた時も、さっきまでも、涙は出なかったのに。なぜだろう。


「私は……」


 手を強く握られ、立ち止まる。見つめられた目には、俺の心の底まで降りてくるような不思議な光が宿っている。目と目がしっかりと合うのがわかる。逸らしたい欲求に抗って、吸い寄せられるようにその瞳を見つめてしまう。なんでカンナはこんなにも強いんだ。


「私は好きだよ」

 

 そう言うとぎゅっと柔らかい感触が俺の体を包む。抱きしめられた俺はただ立ちすくし、涙が頬を伝っていくのを感じていた。暖かい何かが胸の辺りに込み上げてきて、声が出そうになる。

 

「私には君のお母さんがどう思ってたかはわからない。でも。これだけは言える」


 聞こえてくる声に返事はできない。ただ咽び泣いているだけだ。情けない。

 

「トバリくんが生きていること自体が、生きてほしいって誰かの願いの証明だって」


 生まれてきてよかったんだろうか。誰が生きて欲しいと願ったのだろうか。


「だから生きよう。苦しくても、生きよう」


 その言葉は強い意志のようなものを感じさせるものだった。俺に向かって言ってくれているのはわかる。だが、自分を鼓舞するような響きが混じっているのがわかった。カンナも、辛いのかもしれない。苦しいのかもしれない。


「俺も……カンナが好きだ」

 

 震える声で呟いて、彼女の体を抱き寄せる。なぜか、たくさんの後悔が浮かんでは消えていく。もっと戦争に、現実に向き合う決意があれば。もっと俺が強ければ。ずっと向き合うことから逃げて、世界が間違っているのだと、そう言いながら大した行動もしてこなかった。覚悟がなかったんだ。彼女だけは失いたくない。


 そのあとは二人で手を繋ぎ、黙って歩いた。見慣れていたはずの街並みは一変し、火がそこかしこから燃え上がっていて、たくさんの人々が水魔法を使って消そうと試みている。泣き叫ぶ子供達。学校へ進む暗い顔をした人々。それを覆うようにキラキラとたくさんの色の魔素が空で漂っている。その風景はとても幻想的で、儚くて、目の前の悲惨さを忘れるほど美しかった。


 ――

 

「みなさん、落ち着いてください!」


 声を張り上げているのは赤口だ。学校の地下にあるシェルターへと誘導しているのだがかなり苦戦している。全く予期していな空襲に落ち着いて行動しろと言うのが土台無理な話だ。人々はざわめきながら押し合いへし合いを繰り広げ、我先にと押し寄せていた。中には魔法を使って他人を押し除けている人間もおり、パニックは広がっていくばかりだ。お互いの魔力が干渉し合い、どんどん負の連鎖は広がっていく。そして、それを助長する最悪な出来事が起こった。


 「戦艦が戻ってきたぞ!!」


 群衆の中から誰かが叫び、皆が一斉に指差された方向を見る。すると巨大な戦艦が轟音と共に向かってきていた。なんでこんなところに?どこの国の軍だ?どうやって?疑問は尽きない。巨大な戦艦の侵入を許すなんてルナン軍は何してるんだ。だけど、今はそんなことより生き残ること。それだけ考えよう。


「落ち着け!土魔法が使えるものは即席でシェルターを作って隠れろ!また爆撃があるかもしれん!身を守れ!」


「皆の衆、拙者のもとへ来るでござる!大地の加護アースブレッシング!」


 あの口調はコウタか。一際大きい土のドームが生成されるのが見えた。生きていたようで何よりだな。そして赤口はさすがに軍人あがりなだけある。大声で捲し立てると、多くの人が土のシェルターを作り始めた。これでどの程度防ぐことができるのか……人々は固唾を飲んでその空を飛ぶ鯨のような物体の到来を待つ。

 

 ――爆撃はいやだ。

 ――頼むから逸れてくれ。

 

 そんな人々の願い。その半分は叶い、半分は外れることになる。

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