ある夏の思い出
にゃーQ
ある夏の思い出
ある夏の思い出である。私は仙台から祖父母の家に泊まりにいった。祖父母の家は田舎であり、都会出身の私にとって特別な場所である。贅沢なことに行きか帰りのどちらかは在来線を使い、もう一方は新幹線を使っていた。そんなあやふやな記憶だが、良く覚えていることがある。それは小学二年の夏、祖父母の家に従兄弟が遊びに来ていたのだ。従兄弟は男二人で、私には姉がいたため、姉にとっては肩身の狭い思いをさせてしまったかもしれない。
まず母と三人で祖父母の家の最寄駅に着くと、祖母が車で迎えに来てくれた。これが私にとって非常にうれしく楽しみの瞬間であった。その後祖父母の家に着くと祖父に挨拶をし、テレビを見つつ昼食を食べる。唐揚げや伊達巻きなど豪華な品揃えであった。テレビでは夏の甲子園が放送されており、祖父は毎年の夏地元の東北の代表校の結果を画面越しに見守っていた。
それから夕方になり従兄弟がやってきた。当時流行っていたアニメのおもちゃを片手に訪れて来た。私は彼らのおもちゃと同じものは家になく、色々と遊ばせてもらい大変嬉しかった。
この日は地元のパレードがあり、祖父がそれに参加するとのことで、親戚一同それを見にやって来たのだ。祖母から子どもたちに小遣いを千円貰い、これを元に出店を回った。私はソフトクリームや綿菓子を買ったのを覚えている。そこで従兄弟が百円のものを買う際に千円札を出したことで出店の店員の女の子は驚いていたことが私の記憶にある。お釣りで九百円を貰うという、これまで百円ばかりをいただいていだろうに・・・。さらにもう一つ覚えていることがあり、折りたたみ式の腰掛けに私と私より一つ年下の従兄弟のどちらかが座るということだ。祖母は軽い方が座れと言って来たため、従兄弟に譲ったのだが、後々に体重を測った際に私の方が軽かったことが判明した。当時小学二年の私は驚いたことを覚えている。
パレードの次の日今度は花火大会に出向いたのだ。この日は浴衣を着て、子どもたち四人で昨日と同様屋台を回った。そこで金魚掬いを行った。しかし誰一人一匹すら取ることができなかった。ただしおまけで全員金魚を一匹貰った。その後私たちはかき氷を食べることになった。そこで私はブルーハワイを選んだのだが、他の三人は全員いちごを選んだのだ。今でも忘るれるはずがない。下の従兄弟が私に「一人だけ仲間はずれだね」と言って来たのだ。この言葉は今でも心に刺さっている。だが良く考えて欲しい。いちごは定番の味でいつどこでも食べられる。一方ブルーハワイは青に染まっており、見るだけで涼しいのだ。所詮氷の塊を食っていることに変わりはない。そうとなるとブルーハワイを選ばざるを得ないと思わないか?そう私は訴えたい。それは置いとき、花火を見るために席取りをし、シートを敷き、花火を待った。しばらくして曲と共に無数の花火が打ち上がった。従兄弟は花火を直接みるのは初めてであったらしく、音の大きさに驚き耳を塞いでいた。一方私はただみるだけじゃつまらないから「たまや」と言って盛り上げようとした。しかしこれも皆んなからうるさいと言われてしまい、花火大会はあまり良い気持ちとはならなかった。帰りに母親は焼きそばを祖父の土産に買っていったのとオリンピックのマラソンが行われていたことを記憶に覚えている。
さらに次の日祖母から千円を貰い、姉以外の三人で地元のスーパーへお菓子を買いに行った。このお菓子の買い出しは祖父母の家に来た際の恒例行事であった。そこで私はこれが実に祖父母の家に行く楽しみの一つであった。ここで買ったお菓子はすぐには食べず、仙台へ持ち帰り一日づつ消費していくのだ。家に帰った後も楽しみがある。だからこのイベントは好きなだ。
この日の夜は従兄弟と男同士風呂に入ったり、自分はあまり詳しくないがウルトラマンごっこをしたりし、有意義な時間を過ごした。その中でも毎年の夏、祖父母の家の側の道路で花火をすることがあった。ホースで水を撒き、ろうそくに火をつけ、皆んなで花火を楽しむのだ。こんなこと都会の仙台ではやれっこない。だから特別な体験であった。
そして私たち家族よりも先に従兄弟が帰ることになっていた。彼らは帰りたくないと駄々をこねていたが、私は別な意味だとさ思うが内心彼らの気持ちは分かる。車の騒音や子どもの叫び声は聞こえてこない。この環境でいつも寝れるのであれば、いつも快眠であろうに。だがこれは祖母が言っていた言葉であるが、私は鮮明に覚えている。
「こっちに来てもやることはないよ。」
確かに叔父が子どもの頃に遊んでいたおもちゃで遊ぶことはできるが、ずっと遊んでいても飽きるだけだ。寝たり遊んだりプールに行ったりすることなんて都会でできる。そう考えてみると、田舎から人が減るというのは自然の摂理なのかもしれない。
そしてとうとう私たちも仙台へ帰る日がやって来た。毎回考えることとして、私たちが帰って祖父母は喧嘩をしないか、父親が一人で寂しくなかったのか、家に帰ったら何をしようかということであった。「また来てね」と言って祖母は手を振って見送ってくれた。次は冬に行くであろうと分かっていた。冬も別な楽しみが待っていると思い、寂しさはそこまで強くはなかった。
仙台の家に着くと帰って来たという気持ちになった。また祖母が作ってくれた笹餅やエビフライ、五目ご飯などを帰宅した数日は食事の際に味わった。家に帰っても楽しみがある。だから夏の思い出は忘れないのかもしれない。
そして私は大人になった。もちろんこんな夏は今は体験できない。だが今でも夏が訪れるたびにこれらの記憶を思い出してしまう。そしてその度に思う。田舎はなぜか夏が似合うと。もちろん冬も味があるが、やはり田舎といえば私は夏だと思う。おそらくこらは少年の夏の思い出が要因として考えられる。
それは、ある夏の日のこと。私は仙台から祖父母の家に泊まりに行った。祖父母の家は田舎で、都会育ちの私にとっては、非日常の特別な場所だった。贅沢なことに、行きか帰りのどちらかは在来線、もう一方は新幹線を使っていた。曖昧な記憶の中でも、小学二年の夏にあった出来事は今でも鮮明に覚えている。それは、従兄弟たちが祖父母の家に遊びに来たときのことだ。
従兄弟は男二人。私には姉がいたため、あの時は姉が少し肩身の狭い思いをしていたかもしれない。祖父母の家に到着すると、祖母が車で迎えに来てくれていた。これが私にとって、いつも楽しみな瞬間だった。祖父に挨拶を済ませた後、豪華な昼食を食べながらテレビを見た。唐揚げや伊達巻きが並ぶ中、テレビでは夏の甲子園が放送されていて、祖父は毎年、東北代表校を応援していた。
夕方になると従兄弟たちがやってきた。流行っていたアニメのおもちゃを持っていて、私はそのおもちゃを触らせてもらい、嬉しかったことを覚えている。私の家にはなかったから、彼らと一緒に遊ぶのがとても楽しかったのだ。
その日は地元のパレードがあり、祖父が参加するとのことで親戚が集まっていた。祖母から子どもたち全員に千円のお小遣いをもらい、屋台を回った。私はソフトクリームや綿菓子を買ったが、そこで従兄弟が百円のものを買う際に千円札を出したことで出店の店員の女の子は驚いていたことが私の記憶にある。お釣りで九百円を貰うという、これまで百円ばかりをいただいていだろうに・・・。
その後、折りたたみ式の椅子に誰が座るかで少し揉めた。祖母は「軽い方が座りなさい」と言ったので、私は従兄弟に譲ったのだが、後日体重を測ったとき、実は私の方が軽かったことがわかり、驚いたのも今では笑い話だ。
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次の日は花火大会に出かけた。この日は浴衣を着て、子どもたち四人で昨日と同様屋台を回った。そこで金魚掬いを行った。しかし誰一人一匹すら取ることができなかった。ただしおまけで全員金魚を一匹貰った。その後私たちはかき氷を食べることになった。私はブルーハワイのかき氷を選んだが、他の三人は全員いちごを選んだ。すると、下の従兄弟が「一人だけ仲間はずれだね」と言ってきた。この言葉は今でも心に刺さっている。だが良く考えて欲しい。いちごは定番の味でいつどこでも食べられる。一方ブルーハワイは青に染まっており、見えいるだけで涼しいのだ。所詮氷の塊を食っていることに変わりはない。そうとなるとブルーハワイを選ばざるを得ないと思わないか?そう私は訴えたい。
花火は素晴らしかったが、私が「たまやー!」と叫ぶと、皆んなに「うるさい」と言われ、少ししょんぼりした。だから花火大会はあまり良い思い出はない。帰りに母親は焼きそばを祖父の土産に買っていったのとオリンピックのマラソンが行われていたことを記憶に覚えている。
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次の日には、祖母から再び千円をもらい、姉を除いた三人で地元のスーパーへお菓子を買いに行った。これは祖父母の家に来るたびに恒例行事で、私のお気に入りの時間だった。買ったお菓子はすぐには食べず、仙台に持ち帰ってから少しずつ楽しむのだ。
その夜は従兄弟とお風呂に入り、ウルトラマンごっこをして遊んだ。そして、祖父母の家の庭で花火をすることが毎年の恒例行事だった。ホースで水を撒き、ろうそくに火をつけて楽しむ花火は、都会では味わえない特別な体験だった。
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そして、従兄弟たちは私たちよりも先に帰ることになり、彼らは「帰りたくない」と駄々をこねた。たが、私は別な意味だとさ思うが内心彼らの気持ちは分かる。車の騒音や子どもの叫び声は聞こえてこない。この環境でいつも寝れるのであれば、いつも快眠であろうに。都会の喧騒から離れ、静かな田舎で過ごす時間は、何ものにも代えがたい。
祖母が言った言葉が、今でも鮮明に覚えている。「こっちに来ても、やることはないよ」。確かに叔父が子どもの頃に遊んでいたおもちゃで遊ぶことはできるが、ずっと遊んでいても飽きるだけだ。寝たり遊んだりプールに行ったりすることなんて都会でもできる。田舎では時間の流れがゆっくりで、都会でできる遊びや体験は少ない。だからこそ、田舎に人が減るのは自然摂理なのかもしれない。
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そして、ついに私たちも仙台へ帰る日が来た。毎回考えることとして、私たちが帰って祖父母は喧嘩をしないか、父親が一人で寂しくなかったのか、家に帰ったら何をしようかということであった。祖母が「また来てね」と手を振って見送ってくれた時、私は次に訪れる冬の楽しみを心の中で思い描いていた。
家に帰っても、祖母が作ってくれた笹餅やエビフライ、五目ご飯を味わいながら、夏の思い出を反芻する。これが、私にとって忘れられない夏の記憶だ。そして私は大人になり、夏が来るたびに、あの頃の田舎の風景と香りが鮮明に蘇ってくる。田舎には、どうしても夏が似合う。もちろん冬も味があるが、やはり田舎といえば私は夏だと思う。それは、私の心に残る少年時代の夏の思い出だからかもしれない。
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