第29話 アイス




 メインプールだけでひと頻り遊び終わって。


 あのあと泳ぐ以外にもプールの中で潜ったり、追いかけっこをしたりした。プールサイドに上がって、はあはあと息を切らすくらいまで部長ははしゃいでくれていた。


 僕も思った以上に楽しく、時間を忘れて水遊びに興じていた。


 ただ、綾乃部長が思っていた以上に疲れ切っていたため、僕らは一旦移動した一時休憩用の日陰スペースから更に移動。休憩室にあるアイスの自販機の前に来ていた。


 僕は隣でアイスを選ぶ水着姿の部長を眺めて、水着のポケットから小銭入れを取り出す。部長は自販機でアイスを買う用意をしていなかったため、ここは僕が出すことにした。


 綾乃部長は一度は断ったが、僕が食べようと引かなかったため受け入れてくれた。


 きっと奢りということで遠慮してくれたんだろうけど。喜ぶ部長のためなら二百円くらい些細なものだ──などと考えてしまう僕は貢ぎ体質なのだろうか。


 むむ……と可愛らしい声で唸り、綾乃部長は僕の方をちらっと見てきた。


「アイス、一樹君は何にするの?」


「僕は部長のと同じにしようかと」


「もし仮に、その選択で地球が滅ぶとしても絶対に嫌よ。別のにしてちょうだい」


「そこまで言われるとは流石に思ってませんでしたけどね……⁉」


 世界滅亡か僕と同じアイスかが釣り合うのか。いや釣り合ってすらないか。

 ……ってことはもし付き合えたとしても、ペアルックとか絶対にダメってことか。お揃いのキーホルダーとか密かにやってみたいんだけど、それは叶わないらしい。


「じゃあ……僕は、ワッフルコーンのバニラにします」


 無難に一番安く、そこそこ美味しいやつを僕は選択する。お金を投入して対応するボタンを押すと、ガコン、と音を立てて取り出し口にアイスが落ちてきた。


「そう。なら私はチョコミントにしようかしら」


 派手派手しいターコイズブルーに焦げ茶の混じったアイスを部長は指さす。


「女の子ってチョコミント苦手な印象あるんですけど、綾乃部長は大丈夫なんですね」


「ええ。一樹君はチョコミント、ダメなの?」


「それなりに好きですよ。でも、歯磨き粉とかよく言われるじゃないですか」


「──歯磨き粉なんて宣う人はミントの味を歯磨き粉以外で知らない人種で、かつコンサバティブな考えに則った可哀そうな人たちよ。よって戯言に過ぎないの。分かった?」


 詰め寄りながら一息に告げられ、僕はたじたじになりながら返す。


「過激思想ですね……」


「チョコミン党執行部総裁だもの。それ以外は排斥しないとならないの」


 綾乃部長は僕から受け取ったお金でアイスを買いながら、そんなことを言う。

 総裁、ということはまさかの最高役職だった。


「今なら特別に、一樹君にも副総裁の座をあげられるのだけれど」


「僕にはそこまでの情熱はないので遠慮しておきます」


「今すぐのお申込みで初回無料よ?」


「党の役職をテレビショッピングみたいに売らないでください」


 チョコミン党がどんな党かは知らないけれど、明らかに日本では違法な役職取得法だった。

 アイスの包装を破ってごみ箱に捨てた綾乃部長は、まずは一口齧って食べる。小さな口で美味しそうに食べ、それからこくんと頷いて、アイスを僕の方に向けてきた。


「ん、美味し……。はい、一樹君もどうぞ」


「……いや、ここではちょっと」


 休憩室にはベンチが設置されており、他のお客さんも沢山いる。僕も以前のデートで一回、あーんは経験していて耐性が多少ついてはいるけど、流石に場所が悪いというか。


 しかしそんな僕の躊躇いを勘違いしたらしく、綾乃部長は眉をひそめて言ってくる。


「……チョコミントがダメなら、いくら一樹君でも相容れなくなるのだけど」


「謹んで頂きます」


 できる限り部長が齧っていない場所を目掛けて、僕は齧り付く。


 すっと涼し気なミントの香りが鼻腔に抜け、しっとりとしたチョコの味が追い付いてくる。久々に食べるチョコミントの味は、前に食べた時よりも甘く感じた。


 周囲から羨ましげな視線を感じる気がするが、僕は気にしないことにしておいた。


「うん、美味しいです。……それじゃ、部長もどうぞ」


 僕はワッフルコーンのあたりまで食べてから、バニラアイスを部長に差し出す。

 なぜだか、あげる側もやたらと緊張する。


 綾乃部長は「ありがとう」と先に告げてから、髪をかき上げ、僕のアイスに口をつけた。その際の仕草が妙に色っぽく見え、僕は落ち着くために心中で般若心経を唱える。


 かりっと耳に心地よい音を立てて、バニラの入ったコーンが齧られる。


「……ん。こっちも美味しいわね」


 言って、綾乃部長が美味しそうに頬を緩める。


 そうして僕たちはベンチに腰掛け、残りのアイスを食べ切ると再度プールへと戻った。

 ──この時の僕はまだ、部長が抱えていた異変に一切気付けていなかった。


 そのせいで僕は。この後、後悔することになる。



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