第26話 チラリズム
「あ、綾乃部長」
待ち合わせ場所のバス停に立って、僕は遠方から歩いてくる部長に手を振った。
僕を見つけた綾乃部長は同じく左手を振り返してくれる。
右手には藍色の日傘が差されていた。今日の空は快晴。絶好のプール日和と言える。
「あら一樹君、早いのね。そんなに私の水着が楽しみだったの?」
「いえそういうわけではなく、部長を待たせると悪いかなと」
「ふぅん。本当は?」
「……それもあるかもしれません」
僕の前に立った綾乃部長は自身の身体を抱きしめながら引き顔を作る。
「正直な感想どうもありがとう。……ちょっと気持ち悪いわ」
「じゃあなんで聞き出したんですかね……⁉」
「だって一樹君。童貞でしょう? 女の子の水着に興味津々じゃないわけないじゃない」
「その因果関係は間違ってます。僕は普通の女の子の水着に興味はないんで」
そりゃゼロではないけど、僕が見たいのは綾乃部長のだけだ。
「因果関係が違うって言ってるだけで、一樹君はどっちもノーとは言っていないのよね」
「…………」
察しが良すぎる。
僕が黙っていると、綾乃部長はバス停の時刻表を確認し始める。
「えっと、バスの時間は──あと五分くらいね」
隣に立ってバスを待つ綾乃部長の全貌を、僕は眺める。
七分袖の清楚な水色のチュニックに、足首まで覆う白のレースパンツ。足にはローヒールのカジュアルサンダルを履いていて、視覚的にも全体的に涼し気な印象があった。
部長は制服だろうが私服だろうが、何を着ていても似合う。ついでに肩にはやや大きめの、淡い紫色の鞄が掛けられていた。おそらく着替えやバスタオルが入っているのだろう。
前日の晩。僕と綾乃部長は、今日の予定をメッセージで決めた。
目的地であるウォーターパークは十三時から昼の部が開く。それに間に合うように、学校の側にある停留所からバスに乗って、二人で向かおうという話に落ち着いたのだ。
きっかり五分後、やってきたバスに僕らは乗り込んだ。
他の乗客がかたまっている場所は避け、一番後ろの席に僕は座る。
「隣、いいかしら?」と綾乃部長に聞かれたので、僕は腰を持ち上げて端に寄った。
部長は僕の側にぴったりと張り付くように座ってきた。近い。
「そういえば、なんでプールなんですか?」
バスが動き出し、僕は昨日の時点で気になっていた疑問を口にする。
「英語のPOOL、貯めておくの借用語。それ以前はドイツ語のPFUHLよ」
「僕が知りたいのはプールという言葉の語源ではなくてですね」
「夏と言えば泳ぎに行くでしょう? 海もいいけど、海水浴場は遠くにしかないし……」
単純に綾乃部長が泳ぎたかったかららしい。
小説のネタになりやすいから、という理由もきっと含んでいるだろうが。
「ってことは、綾乃部長って泳ぐの得意なんですか?」
「人並みにはそうね、好きよ。一樹君は?」
「僕も普通です。ただ、クロールで速く泳ぐのとかはあんまり得意じゃなくて。背泳ぎとかで、ゆっくり浮かぶとかの方が泳ぎ方としては好きですね」
「一樹君、浮力高そうだものね」
「それは僕がクラスで浮いてるからとか、そういうことですかね」
唐突で遠回しな毒舌に、僕はバスの中であることを考慮して小声で抗議をする。
「…………」
「どうしてそこで可哀そうな人でも見るような目になるんですか⁉」
確かに僕は友達が少ない。それも高校一年生の頃からだ。
理由は至極単純なものであり、僕は入学時と、二年に上がるクラス替えのあった四月上旬、どちらもウイルス性の風邪にかかって学校を休むことになったのだ。
数日後、僕がクラスに入る頃には既に仲の良いグループが完成していた。
そうして、元々自分から話しかける方でもない僕は、見事ぼっちになったわけだ。
いや、綾乃部長がいる時点で、ぼっちなんて言ったら怒られるか。
「まあいいじゃない? 夏休みに女の子と二人でプールに行ける男子はきっと少ないし」
「そこだけ切り取って聞くと、まるで僕がリア充みたいですね」
言ってから思ったけど、リア充はもう死語か。
そんな風に他愛ない会話をしている間にも、バスは目的地に向かって進んでいく。
僕らが降りるバス停の二つ前になったあたりで、綾乃部長が口を開いた。
「ところで一樹君。昨日急に誘ったけれど、一樹君って水着は持っていたの?」
「ああ、はい。って言っても、中三の時のやつですけど」
僕は普段と違う大きめの手提げバッグを膝の上に持ち上げ、中に入っていることを主張する。中二の時に微妙に丈が短くなった水着が嫌で、中三に上がる時に買い替えたのだ。
それがまさか、こんな形で役に立つとは夢にも思わなかったが。
「そう。なら私と一緒ね」
「綾乃部長も中三の時の水着なんですか?」
「……? 学校指定のスクール水着に決まってるじゃない」
なんでそこで不思議そうに首を傾げるんだろうか。
首を傾げたいのは僕の方だ。
「公共の場で指定スクール水着って、普通恥ずかしいと思うんですけど」
「そりゃあ恥ずかしいけれど……ずっと一樹君の後ろについて、俯いて歩くから大丈夫よ」
「それじゃ僕が、綾乃部長にスク水を強要してるみたいに見えるじゃないですか……⁉」
まさかの罠だった。……やばい、急激に行きたくなくなってきた。
「冗談よ。そんな恥ずかしい格好で行けるわけないでしょう?」
バスのシートに指を這わせながら、なぜか綾乃部長は少し頬を赤くして言ってくる。
「すみません。綾乃部長ならやりかねないなと、……っ⁉ な、え……」
──と、僕が零した直後。部長は体ごと僕の側に寄ってきた。
その時点で何が起きたのかと僕の心拍数は跳ね上がる。しかし、まだその上があった。
そのまま、綾乃部長は指先でくいっとチュニックの襟元を引っ張る。必然、そこに吸い寄せられた僕の目に、控えめに膨らむ胸部を覆う白い布が映り、僕は息を詰まらせた。
すぐに部長は襟元を正す。しかし、普段は服で隠れている華奢な肩や鎖骨のライン、脇のあたりなんかまでも、一瞬のことなのにしっかり目に焼き付いてしまう。
「な、な……っ⁉」
「ほら、ちゃんと普通のを着てきてるでしょう? ……一樹君?」
「…………⁉」
言葉を失った僕は目を泳がせ、脳内でさっき起きたことを冷静沈着に処理する。
落ち着け、あれは水着だ。これからプールに行くからその時にしっかり見られるものであって。でも何というか服の隙間から見るのはそれはそれで怪しい魅力があるというか。
見てはいけない時に見るから背徳感があっていいのかもしれない。
そんな結論に至ったところで、ぽすんと僕の頭に軽い衝撃が加わった。
力ない攻撃で僕ははっと我に返る。腕を伸ばした部長からチョップを受けたのだ。
「……そんなに照れないで貰いたいのだけれど」
いつも喋る時の自信ありげな声とは真反対の、弱々しく小さな声。
気付けば綾乃部長の顔も赤く染まっていて、恥じらいからか左手の甲で口元を隠していた。それはもう堪らなく恥ずかしそうに、若干上目遣いになっている。
僕の反応から、自分がとんでもないことをしたことに今更ながら気付いたのだろう。
その表情にまたもドキッとさせられ、僕はさっと部長から視線を逸らす。
「……すみません」
「……。別にいいわ。気にしてないから」
お互いに羞恥に悶えながら、そこで会話が途切れる。
しばらくしてバスが目的地に着き、運賃を払って降車して。そのまま目の前にあるウォーターパーク内へと歩いて向かう道中も僕らは気まずさから無言だった。
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