第25話 バイト先の幸運




 僕のバイト先は、たまたま去年の春にバイト募集をしていたコンビニだ。


 距離は自転車を走らせて十五分。ただ駐輪所が狭いのと僕自身徒歩が好きなので普段は歩く。通っていて、もっと近くのコンビニにすれば良かったとたまに思う。


 部活がない日は、放課後や休みも含めて、僕はほぼ毎日バイトを入れている。

 夏休みは流石に全部ではないが、四、五連勤は当たり前だ。


 他にやることもないからいいんだけど、四連勤くらいを境目に疲れも自覚してくる。ただ、今日を乗り切って連勤が終わる明日からは、二日連続でバイトも休みだ。


「ありがとうございましたー」


 そう言って、僕はコンビニを出て行くお客さんに頭を下げる。別にやっていないバイトもたくさんいるけど、根が真面目なのか僕はついやってしまう。


 いや、こんな考え方をしている時点で不真面目なのかもしれないけれど。


 でもマニュアルには書いてあるし。自称マニュアル人間である僕はマニュアルに従う。だから「レジ袋はご入用ですか?」にキレてくる客には来ないでもらいたい。


 しかし暇だ。夏休み期間中とはいえ、ここのコンビニの利用者は大人が多いし。十三時から十五時くらいはあんまり人が来ない。適度に来てくれないとすぐに眠くなる。


 忙しい時間帯でも忙しい立地でもないから僕以外に店員もいないし、さっきお客さんが出て行ったことで今店内には僕一人しかいない。店内BGMのインスト洋楽が物悲しい。


 仕方なく僕はレジに近いおにぎりコーナーからフェイスアップをする。昼、十二時前後は忙しくてレジを出る暇がほぼないため、前出し作業をする余裕がない。


 だから陳列棚が乱れていても、僕の前のシフトだった石川さんに文句はない。

 客にはもっと丁寧に取っていってくれたらと思わなくもないけど。


 しばらく棚に向き合っていると、入店音と共に騒がしい蝉の鳴き声が入り込んでくる。

 僕は手に持っていたサンドイッチを棚に置くと、レジに戻って客の姿を一瞥する。


 そこで僕はいらっしゃいませ、という言葉を思わず飲み込んだ。


「……え」


 艶やかに流れる長い黒髪。フリル袖のシャツブラウスから覗く白い腕。

 深みのある鳶色の瞳に、全てのパーツが完璧に配置された顔は神の造形美とも等しい。

 可愛いという言葉をそのまま具現化したかのような存在。


「こんにちは、一樹君。会いに来ちゃったわ」


 髪を耳にかき上げながら、にこっと綾乃部長が僕に微笑みかけてくる。

 そのあまりの可愛さに、僕は手の甲で右目をごしごしと擦る。


「……ああ、暑さで幻覚でも見てるんですかね」


「暑さで幻覚って……店内は空調がきいてるじゃない」


 エアコンを探しているのか店の天井を見上げながら、綾乃部長が言ってくる。

 見れば、綾乃部長の額には汗が滲んでいた。この暑い中、歩いてきたのだろうか。


「……いや、でも本当に、どうして綾乃部長がここに?」


 僕の働くコンビニは綾乃部長の家から真反対だ。これまで一度たりとも部長が来たことはなかったし。それに綾乃部長はさっき、僕に会いに来てくれたと言っていた。


 僕がバイト先を直接教えたわけじゃないし、どうやって。

 そんな僕の考えを読んだのか、綾乃部長は何でもなさそうに告げた。


「咲ちゃん先生から情報を買い取ったの」


「個人情報……⁉」


 思わず口元を引き攣らせて声を上げ、僕はカウンターに両手のひらをつく。

 いや確かに、藤咲先生は家がこっち方面なのか数度来たことがある。僕が接客したこともあるからここで働いているのも知っているけど、それにしたってなんで売るんだ。


「というか、買い取ったって……教師がそれでいいんですかね」


 先生と生徒間で情報売買があっていいものなんだろうか。普通にダメそうだけど。


「ええ。買い取ったって言ったって、お金じゃないもの」


 綾乃部長は悪びれる様子も一切なくそんなことを言ってくる。


「……じゃあ何ですか?」


「ポッキー一本」


「安っ⁉ 僕の個人情報をなんて価格でやり取りしてるんですか!」


 あまりの価格崩壊に僕は悲鳴じみた声を上げる。僕の個人情報、あまりに安すぎる。

 一箱三十四本入りだから、内容量の約2・9パーセントの割合だった。


「もちろん、極細の方よ」


「…………」


 違った。内容量の2パーセントだった。


「……で、そこまで? して、綾乃部長はなんで僕のバイト先に?」


 さっきの会いに来たというのが冗談だというのは流石に僕でも分かる。

 それに大抵の用事であればメッセージで済ませられるし、大事な用事とかだろうか。


「期間限定のからあげちゃんが食べたくって」


「ここヘブンイレブンなんで売ってないですけどね」


 それは別の青いコンビニの商品だ。


「冗談よ。さっきも会いに来たって言ったでしょう? 直接会って話したかったの」


「…………え」


 直接会って話さないといけないこと──何があるだろうか。


 告白──なわけがないし。スムーズに進めたい話とか、或いは頼み事だろうか。


 僕は部長の頼みならほとんど受け入れられると思うけど、メッセージでなく直接会って頼みたいこととなると、かなり重い頼みごとなのかもしれない。


 僕にできそうなことで言えば、例えば急なお金の工面とか、執筆に関することとか。

 いや、それとも──。


「…………すみません、綾乃部長。連帯保証人だけは流石に僕も……」


「なんだかバカなことを考えている、ってことだけは分かるわね」


 じとっとした目で綾乃部長が僕を見てくる。


 はぁ、と呆れたように短い溜め息を吐いて。

 それから表情を緩めた部長は、ピンと立てた人差し指を下唇に当てた。


「夏休みらしく、遊びに行きたくって。一樹君、明日の予定は決まってる?」


「いえ特には」


 これはお誘いだとピンときた僕が返すと、綾乃部長は気の毒そうな表情でこちらを見てきた。


「あらそう。私は遊びに行くのだけど、可哀そうね。部屋で一人で過ごすといいわ」


「お誘いじゃない……⁉ 部長は僕をぬか喜びさせるためだけにここまで来たんですか⁉」


「ぬか喜びってことは、私に誘われると嬉しいってこと?」


「今更、否定する意味もない気がしてます」


「一樹君、他に夏休みに誘ってくれる友達は一人もいないものね」


「やめましょう部長。真実は時に人を傷つけるだけです」


「そこを真実だって認めちゃうあたり、一樹君ってちょっと残念なのよねぇ……」


 綾乃部長が、んー……と首を傾げる。唇の下に添えられていた人差し指が、そのまま今度は右のほっぺたに突き立って、マシュマロのように柔らかそうにふにっと潰れる。


 なんだこの可愛い生き物は。今さっき僕の心を抉ってきた人と同一人物とは到底思えない。


「いいわ、一樹君がそこまで言うなら遊びに誘ってあげる」


「はい。是非お願いします」


 そこまで、と言われるほどは僕は何も言ってない気がするけど、ここは頷いておく。


 綾乃部長は一旦、くるっとその場で僕に背を向けて。

 首をこちらに振り返らせながら、僕に向けたお誘いの言葉を口にした。


「──明日、一緒にプールに行かない?」



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