第7話 恋人繋ぎ?




 AIONへ向かって歩いている間も、綾乃部長は無言を貫いていた。

 さっきの一件で、気を悪くしてしまったのだろうか。


 まあそれも無理からぬことだろう。


 部長は言い寄られることを元々嫌っているし、多分だけど金髪とかそういったチャラい格好の男も別にタイプじゃない。それが見知らぬ人であればなおさらだ。


 小説の構成的にも、部長はまず人物の説明をきっちりとしてキャラに深みを持たせてから、一気にストーリーを進行していく。それが現実の恋愛観にも通ずるものがあるのかは分からないけど、少なくともぽっと出の登場人物に靡くほど軽い人じゃなかった。


「……すみません、綾乃部長。もっと早くに着いてればよかったんですけど」


 僕はぱっと部長の手を放すと足を止め、深々と頭を下げる。


「あなたが頭を下げる必要はないし……別に怒っていないわよ?」


 返ってきた反応は、おおよそイメージしていたのとは真逆の反応だった。

 でも、確かに部長は無言だった割にはそこまで怒り心頭といったようには見えなかった。


 金髪男の対応をしていた時はもっと不機嫌そうに見えたのだけれど、そこまでじゃなかったんだろうか。それとも、別に良いことでもあって中和されたか。


 いや、そんなはずはないか。僕に連れられて歩いていただけだったし。


「そうなんですか?」


「ええ。……でも、そうね。私をフラれ女だと思うなんて、ちゃんと目はついてるのかしら。あのメクラチビゴミムシ」


「やっぱり怒ってる……というか、酷い言われようだ」


「あら、実際に存在する虫の名前よ。洞窟に住んでて、目が退化してるの」


 綾乃部長が両手で両目を隠し、目が見えないポーズをとる。可愛い。


「博識ですね」


 金髪男について、虫に例えられてる時点でかわいそうだ、とは言わない。


 部長に言い寄るとはそういうことなのだ。

 見えないところでの罵倒くらい甘んじて受け入れて貰おう。


「他に虫罵倒シリーズとして、そうね。ウスバカゲロウなんかもあるわ」


「確かに罵倒に聞こえなくもないけれども⁉」


 嫌なシリーズだ。僕のガガンボメンタルの足が折れそうで、絶対に使われたくない。ちなみに今のは、最弱クラスの虫であるガガンボを僕のメンタルに例えた虫ジョークだ。


 部長の真似をしただけなのに、なんか様にならないのはなぜなのか。


「それで、なにか言うことはないの?」


 綾乃部長はその場でくるりと一回転して、僕の目をじっと見据える。白くだぶついたシアーシャツの裾がふわりと舞って、まるで妖精か天使みたいだった。


「可愛いです。いつも可愛いんですけど、今日の服装は特に似合ってて」


「ん……それも嬉しいけれど、ほかには?」


「……なんでしょうか」


 少し考えて、すぐギブアップする。


 彼女が考えていることは基本的に僕には分からない。

 いくら考えても考えが至らない、という言い方の方が正確だろうか。


「一樹君の『ごめん、待った?』が聞きたかったから、一時間前から待っていたのに」


「特殊な趣味だった……ってか、流石に冗談ですよね……?」


 聞き捨てならない言葉に僕は思わず聞き返す。


「ええ、よく分かったわね。本当は朝五時半から陣取っていたわ」


 控えめな胸を張って、綾乃部長は身体をほぐすように伸びをした。


「花見の場所取りかなんかですか⁉ 嘘ですよね⁉」


 本当にそうだとしたら笑えない。バスから降りて早足で向かっているとき、綾乃部長を待たせたくない、なんて考えていたこと自体がお笑い種になってしまう。


「冗談だって言ったじゃない。案外融通が利かないのね」


「理不尽な」


「それで、言ってくれるの? 言ってくれないの?」


「いや、今更言ったところでどうなるっていうんですか」


「私が喜ぶわ」


「ごめん、待った?」


 食い気味に用意された台詞を口にする。


 すると、綾乃部長は本当に嬉しそうに眦を下げて、

「ううん、今来たところよ」

 これまた定型文のような返しで微笑みを湛え、僕の心臓を跳ねさせた。


「……テンプレも意外といいですね、これ」


「でしょう? 少女漫画は昔から恋愛のバイブルよ。覚えておいて」


 得意げに話しながら、綾乃部長は歩き出す。


 そういえば、すっかり足が止まっていた。

 慌てて部長に追いつこうと駆け足気味に歩き出すと、今度は入れ替わりに部長が立ち止まり、僕の手の甲に何かが触れる。視線を落とすと、それは彼女の指だった。


「──さっき助けてくれたお礼に、一樹君がどうしてもっていうなら、小説のネタとして恋人繋ぎをしてあげてもいいわ」


 甘美過ぎる響きと感触に僕の手は凍り付く。いやだって、さっき普通に手を繋いだだけで感じられたあの感触を今度は手のひら全体で味わってもいいってそれはやばいんじゃ。


 AED持参の日ならいいけど、今日はどう考えても僕のひ弱な心臓が持たない。


「……ごめんなさい。今日のところはこれで、お願いします」


 せめてもの代案として綾乃部長に小指を差し出す。


 小説のネタとしてはかなり弱くなるけど、繋がないよりはマシなはずだった。

 むしろ初々しさとかは表現できていいかもしれない。


「遠慮しなくていいのに。……意外と謙虚なのね、四股はしてるのに」


 僕の左手の小指をちょこんと掴んで、綾乃部長は歩き出す。


 その横顔が少しだけ残念そうに見えたのは、僕の願望だろうか。


「……だからそれは部長の小説の中だけですって」


 小指だけでも感じられる柔らかさを堪能しながら、僕は小指が折れないように部長の隣を同じくらいの歩幅で着いていった。


 さっき金髪男から逃げたときよりも余裕が出てきたのか、手汗が心配だった。



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