第2話 部室での会話②




 僕が綾乃あやの部長を好きになったのに特筆して理由はなかった。

 一目惚ひとめぼれ、というやつかもしれない。


 最初の出会いからというもの、同じクラスで前の席に座る子、ではなく僕の好きな子、として君臨し続けた彼女は、見た目や仕草がとにかく可愛かった。


 いつも小説を読んでいるのを眺めているだけで、僕は全身が粟立あわだつような多幸感を覚えた。彼女もそんな僕の視線に気付いていたのか、文藝部ぶんげいぶ再設立の際に僕に声をかけてきた。


 かつて存在した部活なら、部員が二人以上で再設立ができる。僕はそのための人員。ちなみに部長いわく、「あなたなら頼めば何でもしてくれそうだったから」とのことだ。


 確かに僕が部長からの頼みごとを断れないという点でいえば、間違っちゃいない。


 誤解のないように言っておくと、僕はそこそこ惚れっぽい。綾乃部長が初恋というわけでもなく、小、中ともに学校にちょっと好きかもしれないくらいの子はいた。


 ただ、それまでも人並みに誰かに好意を持つことはあれど、一度たりとも何の行動にも移さなかった僕の足を、文藝部に引きずり込んだ綾乃部長は凄いのかもしれない。


「……というかいい加減、登場人物の名前をカズキにするのやめてくださいよ。読んでる間ずっと共感性羞恥きょうかんせいしゅうち発動してて正直きつかったです」


「そう、良かったわ。それが狙いだったの」


 優雅に足を組み替えながら、綾乃部長はその可愛らしい顔に自慢げな笑みを浮かべた。


「どういう意味ですか?」


「そのままよ。一樹かずき君が恥ずかしさに身悶えして震えている姿が見たかったの」


 悪趣味な。


「……でも、僕が家で読んできたから最終的には狙いが外れましたね」


「そうでもないわよ。だって、足りない部分は想像で補ってるもの」


「無敵だ……」


 足りない部分というか。身悶えする姿を想像で補われてはどうしようもない。

 というか僕のそんな姿に何の需要があるのか。ちょっと怖くて聞けない。


 ……どうせなら、小説のヒロインもアヤノという名前ならまだいいんだけど。気にするところがあるのか、綾乃部長は登場人物に自分の名前は使わない。僕のは勝手に使うくせに。


「ふぅん、ヒロインの名前を私の名前にして欲しいの?」


 ふっと口元を緩めながら、綾乃部長が聞いてくる。


「……もしかして、口に出てました?」


「ええもうそりゃあばっちりと。今のちょっと赤面してる写真、撮ってもいいかしら?」


「駄目です。鞄からスマホを取り出して僕に向けようとしないでください」


「……でも、そうね。私の名前、うーん……」


 渋々といった調子でスマホを鞄に仕舞い直して、綾乃部長は口元に手を添え小さく唸る。


「僕の名前は出せるのに自分のは嫌なんですね。……別にいいですけど」


「知っての通り、私のマイブームはカズキって名前の主人公がヒロインといちゃいちゃする恋愛ものを書くことなのだけれど、そこで私の名前を使うのは、ちょっと……」


「……ちょっと?」


 一呼吸おいて、僕は綾乃部長に続きを促す。

 期待が生まれる。それは、僅かにでも意識されているということだろうか。


「今のところ四股継続中のカズキとは付き合わせたくないわ」


「それを書いてるのは部長ですよね……⁉ 継続中なのはどれも未完結だからですし!」


 違った。僕は悲鳴じみた声を上げて抗議する。


 実質四股しているのは小説の中のカズキであって、現実の僕とは全く関係ない。そもそも僕は綾乃部長以外の女の子との接点自体ないというか。


 ……言ってて悲しくなってくる。


 まあ。かといって、今のところ綾乃部長以外の女の子と付き合いたいとは思わないんだけど。


「だって、終わりがある物語なんて……寂しいと思わない?」


 下唇に人さし指の先をあてながら、綾乃部長が言う。


「寂しくても終わらせてください。いつまで経っても部誌が完成しないんですよ!」


「……いいじゃない。部誌くらいあなたが書けば」


「いや、そんなことして、誰が活動報告書書くと思ってるんですか。それに文化祭まで、もうふた月ちょっとしかないんですし、そろそろ書き始めないと間に合わなくなりますよ」


 綾乃部長は遅筆ちひつというわけではないけど、筆の進み方にムラがある。それに、部誌に掲載する小説は推敲やら印刷やらで時間を取られるため、実際の執筆期間はふた月もない。


 気分屋の綾乃部長のことだから、気さえ向けば一気に進捗しんちょくするんだろうけど、そろそろやる気を出してもらいたいというのが本音だった。僕も僕の執筆で手一杯だし。


「そうは言われても、最近マンネリ気味でいいネタが思い浮かばないのよね……。一樹君、あなたちょっと、適当な後輩の女の子あたりに言い寄ってみてくれない?」


「無理です。僕に何を求めてるんですか……」


 きっぱりと断る。ただでさえ魔法使い予備軍の僕には荷が重すぎるし。何よりそんなことをして周りに言いふらされたりでもしたら、二度と学校に来られなくなる自信がある。


「大丈夫よ。大抵の女の子は壁ドンして顎クイ──これで落ちるわ」


 謎に自信に満ち溢れた表情で綾乃部長が言う。


 僕は部長の無茶ぶりに辟易して、

「それで落ちるのは部長の書く小説のキャラだけですよ」

 使われていない教卓の上に鞄を置いて、溜め息を吐きながら腕を組む。


「あら、そんなこともないわよ。少なくとも私は落ちるもの。今から試してみる?」


 そう言いながら、綾乃部長は太ももの上に置いてあった原稿を机上に移動させると、軽やかな足取りで部室の後ろまで歩いていく。

 そのまま端まで行くと教室の壁に背を向けて立ち、ちょいちょいと僕に向けて手招いた。


 僕はそれを冷めたような視線で見やり、手をこまねく。


「遠慮しときます。からかわれるだけってのが目に見えてるんで」


 見え見えの餌に飛びつくほど僕は楽観的な考えの持ち主じゃないし、飢えてもいない。


 綾乃部長が意外とガードが固いというのは知っている。

 なにせ、彼女は僕が文藝部に入ってからでも、少なくとも三回は同じ高校の生徒から告白されており、その全てをこっぴどく振っているのだ。


 確かに綾乃部長は、外見でいえばその辺のアイドルを遥かに凌駕するくらいには可愛いし、中身のちょっとした奇異さを知らなければ、お付き合いしたいと思う輩も多くいるだろう。中身を知ったうえで付き合いたいと思っている僕は……なんなんだろうか。



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