【49】兄と弟
その言葉にサロンにいる誰もが息を呑む。わかっていたことだが、それ告発したのが実の息子のカイラルということがだ。
「カイラル、詳しく話を聞かせてくれないか?」
アルトルトが訊ねる。俯いた弟を励ますように、膝に置いたその手を握る。
七歳でありながら落ち着いたその態度に、デュロワが感心したように深くうなずく。この場は、アルトルトに任せたとばかりに沈黙している。
「私は……」
おずおずとカイラルが口を開いた。私なんて、六歳には似合わない一人称だが。これも母親であるザビアが強要したものだろうと、ゼバスティアには想像がついた。アルトルトの一人称が僕だから、自分の息子には『そんな子供じみた言い方は止めなさい』と怒鳴る姿まで想像出来る。
「普段は母上のお話は聞かないようにしているんです。別の部屋で勉強していれば、母上はなにも言わないから、本を読む方が母上の嫌な言葉ばかりより、ずっと楽しいし」
気の毒な子供だどゼバスティアだけでなく、この部屋にいた大人達、デュロワもイルも遠い目となる。
同時に部屋に籠もり本を読む。それが幼い心を守る、この王子なりの処世術だったのだろう。
逃避するように大食に耽り、妻に言いなりの父親、パレンス王よりはよほど賢いやり方だ。
「でも、あの日は母上の機嫌がひときわ悪くて……理由は分かっていたんです。兄上が青い巨人を倒したって、大陸中の評判になっていたから」
この勇者アルトルトの活躍を王宮では十日間あまりも、王妃どころか王も知らなかったという。誰もが王妃ザビアの不機嫌を畏れてだ。
「私も自分のことのように嬉しかったんです、兄上!」
「ありがとう、カイラル」
勢いこんで前のめりになるカイラルに、アルトルトはにっこりと笑顔を浮かべる。その兄の顔をじっと見て、カイラルは父親に似て下がり気味の眉を、さらに下げる。
「でも、母上は不機嫌に叔父上に『なにもかもうまくいかない! 』と怒鳴って」
叔父上というのはザビアの兄の宰相ジゾール公爵のことだ。彼が王妃の居室をたびたび訪ねていてもおかしくはない。当然、悪だくみのために。
「まさか、第二王太子なんてこと母上と叔父上が考えていたなんて、私は全く知りませんでした。王太子とまったく同じ待遇を与えるなんて、王位継承順位を狂わせるようなことは、国家騒乱にもつながる大事なのに」
第二王太子とはザビアとジゾールが、大公領でいつまでも『病気療養中』のアルトルトに不安があると、カイラルを次期王に持ち上げようとした制度だ。
王位継承を狂わせる、国家騒乱と六歳の子供から出るとは思えない言葉に、デュロワが軽く目を見開き、ゼバスティアも内心でうなった。
ザビアの癇癪から避難して部屋に閉じこもり本を読んでいた。それはこの王子にとってはまったく無駄ではなかったらしい。
「カイラルは国のことをよく考えてくれているのだな」
アルトルトも感心したようにうなずき、手を伸ばしてカイラルの頭を撫でる。くすぐったそうに首をすくめるカイラル。それをデュロワもイルも微笑んで見ている。
もちろん執事ゼバスも微笑んで……が、魔王ゼバスティアの心の中は嵐が吹いていた。
わ、我だって、アルトルトに頭なでなでされたい!! う、うらやましいぞぉおおお!!
「……母上の大きな声が嫌で僕はいつものようにサロンを出ようとしました。叔父上は世論があるから、私を第二王太子にするのは無理だって話にもホッとしてた。だけど、母上がとんでもないことを言い出されて……」
そこでカイラルはきゅっと口を引き結んだ。六歳の子供が吐くとは思えない重い息を吐き。
「母上がおっしゃられたんです。『こんなことなら、三年前にあのクソババアと同じように、あの子供も毒で殺しておくべきだった』って」
あの子供とは当然アルトルトのこと。そして、クソババアとはザビアが故人である王太后を口汚く罵る文句だった。これには部屋にいた全員が再び息を呑む。アルトルトが「お婆様……」とつぶやき、カイラルは目を伏せる。
「……私はその場を動けなくなって。その間にも母上と叔父上は恐ろしい相談をされていました。王都に兄上を呼び出して、さらには邪魔な大伯父上も……」
アルトルトは当然、どんな手段を使っても暗殺。デュロワにはアルトルトを傀儡にしての国家乗っ取りの罪を着せて、処刑してしまえばよいと。
「やれやれ、憎まれたものだな」
デュロワのため息にカイラルが「大叔父上、申し訳ありません」と言う。
「いえ、カイラル殿下はなにも悪くありません」
「でも、私は母上と叔父上を止めることは出来ませんでした。二人の話に私は『そんなことはなりません! 』と思わず叫びました」
カイラルがまだ部屋にいたことに、二人は驚いていたという。どれだけ悪だくみに夢中になっていたやら……と思うが。
「私は母上に訴えました。兄上は今や大陸全土の英雄、勇者。国の誰もが認める立派な王太子であると。そんな恐ろしいことはおやめくださいと。でも母上は私の言葉にいっそう激怒されて……」
『なにを馬鹿なことを言っているの! あなたはこの母の言うとおりにしていればいいのよ! 』
ザビアは手に持っている扇を放り投げて、カイラルに向かい手を振り上げたという。
「なぐられたのですか?」
デュロワが顔をしかめたのに、カイラルは幼い子供らしくもない曖昧な笑みを見せて「母上は僕には手なんです。それも一度きりですし」と、奇妙なことを言う。
「これが従僕やメイドだったら、扇で幾度も折檻されているところです。さすがに侍従や侍女にはキツイ言葉で叱責するだけですけど」
カイラルは痛ましそうな表情で続ける。
王宮の使用人にも階級がある。侍従や侍女は貴族しかなれない。従僕やメイドは平民の下働きだ。
「……血を流す彼らをかばえない私はいくじなしだ。あのときだって母上に殴られて、それ以上なにも言えずに、部屋に引きこもってしまった」
「いいや、カイラルはいくじなしなどではない。ちゃんと正しくないことは正しくないと、母上に言えたのだから」
「兄上」
アルトルトの言葉にカイラルは潤む瞳でアルトルトを見る。そして「ごめんなさい」と言う。
「すぐに兄上に御手紙を出そうとしたんです。でも、その前に部屋に母上がやってきて、このことはけしてよそに漏らしてはならないって。誰かに話せば自分が処刑されると『この母をお前は殺すつもりか? 』と言われて」
カイラルはその時のことを思いだしたように、苦しそうな顔となる。
「母上は……私の母上なんです。怒ると怖くても、普段は私には優しい。いつも勉強していて良い子だと褒めてくださって、甘いお菓子を下さる。その母上を僕は殺すなんて……出来ない」
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