【47】幽霊御殿

  



 アルトルト達が離宮に向かうのを、扇で嫌らしい笑みを隠したまま王妃ザビアは見送る。そのままそそくさと己の居室へと戻ると、長椅子に身を投げ出すように腰掛けた。気に入りの美男の従者が投げ出した己の足から靴を脱がせるのに任せながら「ホホホ!」と高笑いする。


「あの幽霊御殿で一晩過ごすなんて酔狂なこと!」


 実はアルトルトが離宮を去った三年前。ザビアは離宮を自分のものにしようとした。王妃専用の宮殿が欲しいと、国王パレンスに強請ったのだ。

 先に暮らしていた王太后の趣味の良い調度を『古くさい』と吐き捨てて、離宮の調度を運び出すように命じた。

 ところが調度を運び出そうとした使用人達が、すぐに離宮から逃げ出してきた。真っ昼間だというのに幽霊が出たと口々に彼らは訴えたのだ。

 耳元で『出て行け! 』という声がした。それでも調度に触れようとしたとたん、ガタガタとそれが動いた。冷たい手が足首を引っぱった。……などなど。


「馬鹿馬鹿しい、集団で夢でも見たの! 昼間の幽霊なんて、追いだしておしまい!」


 この訴えに、ザビア自ら王宮騎士団を引き連れて、離宮へと乗り込んだ。


「ぎゃあああああああああああああ!!」


 ところが彼女が真っ先に悲鳴をあげて泡を吹いてぶっ倒れた。騎士達は彼女を抱えて離宮から脱出した。

 居室の寝椅子に横たわった彼女はうわごとで。


「あのババアは毒で殺したはずなのに、なんで、なんで……」


 とうなった。ババアとはザビアが生前の王太后を口汚く罵るときの言葉だと回りの者達には、よく知られていた。

 もちろんこのことは、王妃が恐怖のあまり錯乱して口走った戯れ言……として、箝口令が敷かれたが。

 この騒動があって、離宮はそのまま放置された。庭には背丈ほどの草が生え荒れ放題。もちろん一度も掃除されていない、室内もいわずもがなだ。


「埃と蜘蛛の巣にまみれた館に呆然として、今さら本宮殿に戻りたいなんて言っても聞き入れるもんですか」


 ザビアは意地悪く口許をゆがめる。そこに「申し上げます」と従僕が飛びこんできた。


「なに? 騒がしい。王太子と大公はあの幽霊御殿に当然困り果てていたでしょう?」


 アルトルト達のあとをこっそりつけて、その様子を見て来るように命じた従僕が戻ってきたのだ。


「それが……その……」

「なんですって!」


 その報告に目をむいたザビアは、すぐに立ち上がろうとしたが、靴は従僕によって脱がされている。今日の靴は特注品で、足首まで金の飾り紐を複雑に結ばなければならないものだ。彼女は舌打ちして。


「この寝椅子ごと、わたくしを運びなさい!」


 ゴテゴテした装飾の寝椅子は重く、そのうえにさらに普段着のドレスだというのに、今日も宝石とレースのゴテゴテと重い衣の王妃がその上に乗っかっているのだ。

 しかし、従僕達にとってザビアの命令は絶対だ。六人がかりで寝椅子を持ち上げて、離宮が見える裏庭へと運んだ。


「よく見えないわ! 高く持ち上げなさい!」


 本来はお気に入りの男性歌手テノールを見る為の、黄金のオペラグラスを目元にあてたザビアは舌打ちして、従僕達に命じた。従僕達は腕をぷるぷる振るわせながら、寝椅子を一段と高く持ち上げる。

 そして、見た光景に彼女は目を剥いた。


 人の背丈ほどの雑草に覆われていたはずが、綺麗に刈られた輝く緑の芝生。

 その庭のテラスにテーブルを出して、アルトルトとデュロワが寛いでいた。後ろにはあの忌々しい執事と、えたいの知れない機械鎧が立っている。

 離宮のテラスへと出る両開きの扉は開け放たれて、室内がよく見えた。ザビアにとって古くさく地味な。生前の王太后の控えめな趣味のよさがうかがえるサロン。飴色の木の調度、木組み細工の床はピカピカに磨かれて、埃一つ落ちてはいない。もちろん、蜘蛛の巣ひとつ張ってなかった。


「これはどういうこと!?」


 ザビアが叫んだとたん、高く寝椅子を掲げていた従僕達がついにその重さを支えきれず腕をがくりと曲げる。寝椅子はぐらりと揺れて、滑り落ちるザビアの「ぎゃあああああああああ!」という悲鳴が響いた。


 そこまでの様子を銀の懐中時計の蓋の内側。魔鏡で見ていたゼバスティアは、『ザマアミロ』といささかはしたない口調で胸の内で毒を退く。


「ん? なにか妙な音が聞こえなかったか?」


 アルトルトがゼバスティアが煎れたミルクたっぷり、蜂蜜ほんのりの茶を口にしながら、裏庭のほうを見る。生け垣に隠れて王妃達の姿は見えない。


「さて、大厨房のニワトリでも逃げ出したのでしょう。こちらから近いですから」


 ゼバスティアは涼しい顔で返した。あの雌鶏ザビアの酷い鳴き声などカケラも聞こえぬように、防音の結界は張っておいたのだが、さすがアルトルト、カンが良いと感心しながら。





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