砂漠の戦士
「そうだろう人間だろう。どうだ、男か? 赤い
疲労で目がかすむ。
二人して幻覚を見ているのではないかという疑念を覚えつつ、ティグルは目を凝らす。
人である。
それも複数。
いずれ砂漠に棲む部族特有の、灼銅の肌をしている。
みな背丈の倍以上ある長い槍をかかげ、赤い装束に身を包んでいる。
こちらに気づいているのか、すでに走り出している。
「やった! やったぞ! 戦士だ! 奴ら、本物の砂漠の戦士だ!」
エラゴステスが狂喜して前方を指さす。
雇い主の様子に、正気を疑いつつ、他の者も前方を見る。
何人かがその戦士たちを見つけたが、理解できずただ呆然としている。
近づくと、戦士たちの数、百名近く。
砂漠の部族ではかなり大きな集団であった。
みな整然と列を作り、槍をピシリと天に向けている。
すでに走りはじめている。
足が速い。
息も切らさず、こちらに目もくれず、彼らは商隊とゆき違う。
怒涛の勢いに、ラバたちが怯えて脚を止める。
――背丈が小さい。そしてなんと貧相な槍だ。あれで、あの化け物を狩れるのか?
ティグルの懸念も無理はない。鉄器がいきわたり始めているこの時代に、男たちはなにかの角を穂先に括りつけているのだ。
戦士というが、中には小柄な老人もいる。
これが本当に、精強で知られた砂漠の戦士なのか。
失望を覚えつつ、興味をかき立てられたのは、ティグルが根っからの戦士だからであろう。
――いや、よく見ればあの槍、括りつけてあるのは、“獣”の左の牙!
ティグルが瞠目する。
一人、腕の欠けた者がいる。
赤い装束をまとった砂漠の男たちの中でも、もっとも老いて見える男だ。
「あれなるは……まさか大戦士ガタウ! ならばこの戦士団、べネスか!」
「べネスのガタウ。聞いたことはある。よき戦士とな!」
「最高の、戦士、でございました。その頃ですでに齢五十を超えておりましたが、肉体壮健で精神なお充実し、あふれんばかりの力が漲っておりました」
「死んだ、と聞いたぞ!」
「愛弟子の試練に立ち会い、旅の中で死んだようでございます」
「ふむ、つまらぬ死に方だな!」
吟遊詩人はさらに転調し、長調を弦全音で薄くかき鳴らす。
ここから曲と物語は最高潮に突き進む。
べネスの大戦士ガタウ。
耳にしたことはある。
この巨岩地帯――狩り場――の
片腕を食われてなお、その狩りの腕はすさまじく、齢五十を超えて砂漠で並ぶ者なき最高の戦士と
いずれの男がそのガタウか、誰の目にもすぐに分かる。
背が低く、左の腕がない。
足腰の強い歩き方をしている。
なるほど、一目で歴戦の猛者という風体だ。
だが何よりその男を特別にしていたのが、目。
底なしの井戸穴の様に、光を返さぬ眼窩。
その目は獣にビタリと据えられ、揺らぐことがない。
食いしばられた口元は意志の強さを感じさせ、なめし皮のような肌は数えきれぬ年月を砂漠ですごしたことを物語っている。
そして、手に持った、真っ黒な槍の穂先。
砂漠の噂などあてにならぬと常々思っていたティグルだが、男のまとう風の重さには、強い興味をおぼえざるを得なかった。
エラゴステスが、車を停める。
ティグルが降り、よどみなくあの獣にたち向かう戦士たちの背を見る。
まず、ガタウが粗末な槍を、腰だめに構える。
獣の真正面である。
それだけで、獣の前進が止まった。
――なんと……!
これまで翻弄され、動きを鈍らせる事すらかなわなかったあの獣を、この老人は槍を構えただけで止めた。
さらに、包囲展開した戦士たちが、唄を歌いはじめた。
「唄、とな」
「特殊な発声法の、原始の唄でございます。華美でも流麗でもございませんが、心の奥底、眠った原始を解き放ちまする。この唄をもって戦士たちは、あの狂おしき獣を幻惑するのです」
「ふむ。唄うて見せよ!」
エラゴステスはティグルを呼ぶ。
「私めにはできませぬが、このティグル、砂漠の戦士に交じり、いささか唄を学んでおりました。楽師ではないゆえ
ティグルは両手を組んで下腹につけ、ノドの奥でうがいの様に倍音を出す独特の歌唱法で、朗々“狩りの唄”を唄いはじめる。
狩りの唄は、すべて開放音で歌われる。
まず一の唄は「オ」である。
低く低く、遠くに届き、地面がしびれるように歌う。
この唄を歌いながら、戦士たちは獣をとり囲む。
二の唄は「ヤ」からの「ア」である。
この唄を唄いながら、その狩りの槍持ち達が進みでる。
槍持ちは戦士五人組の長である。
三の唄は「ハ」である。
呼気を勢いよくノド全体で鳴らす、生命力の放出。
ここで獣の正面に立つ戦士の、一の槍が放たれる。
多くの場合、獣の股関節を破壊し、移動を止め、その場に縫いつける。
四の唄は「イ」から「ヤ」、そして「ア」から後「ヤ」で拍を取る。
一の唄に戻る、魂の還流を表現する。
この唄にて、左右の二の槍三の槍が放たれ、獣の上体の動きを奪う。
そしてまた一の唄、二の唄のどこかで、終の槍が撃ちこまれる。
獣の背後から、心臓を破壊する。
これが一連の流れであり、狩りの作法である。
獣を戸惑わせ、自らを陶酔状態に導き恐怖をゆるめる。
唄にはそういう作用があった。
「音に聞こえし大戦士ガタウ。その一の槍は、それは凄まじき物でした」
戦士が周りを取り囲み、唄がつづく。
フ、とガタウが、自然に槍の先端をあげる。
すると、獣が釣られた様に立ちあがる。
ス、と七人の男が進みでる。
右に三人、左に三人、後ろに一人。
ガタウを合わせて八人。
――たったこれだけの人数、あの粗末な槍で、我らがこれほど追い詰められたあの獣を、狩るというのか。
てっきり全員で密集包囲すると思っていたティグルは、危険を高める戦い方に疑いを持つ。
「戦士ガタウの一の槍だ……他の戦士は股間を狙うが、戦士ガタウは膝を狙うのだ」
エラゴステスがそれを知っていたのは、ガタウが屠った獣の皮を見たことがあるからだ。
一般に皮は、無傷の面積が広いほど高価に取引される。
製品に加工しやすいからである。
まだ商人見習の頃「見る目」を鍛える目的で、市場の倉庫にて何百枚何千枚という獣の皮をより分けた。
獣が暴れた形跡の多い皮は、破れ、毛並みが乱れ、傷つき、あちこちに無用の穴が開いていたが、きれいな狩りをしたと思しきものは、最低限の貫通痕しかなかった。
そんな中でも、とびきり美しい品。
それがガタウの狩った獣の皮だった。
「それは、べネスの大戦士長ガタウの皮だ。その男はな、砂漠で最高の戦士といわれておる」
罵声とげんこつしか与えられた事しかない、倉庫係の男が言った。
「そういう皮が、最高の仕事というのだ」
魅入られた。
しばらく市場で小金を稼ぎ、ラバを一頭を引いて砂漠外縁で行商し、ついに砂漠を渡る商隊を作ったのは、美しきあの毛皮があったからやもしれぬ。
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