月の光に輝いて~夢を叶える君の物語~

@kinkan0213

第1話

「ねぇ、見て! 九條くじょう様よ!」


 女子生徒の声が耳に届く。


「あぁ、今日もお綺麗ね」


「お近づきになりたいけど、やっぱり近づけないわ……!」


 羨望の眼差しの中を、彼女はひとりで歩く。堂々と胸を張って歩くその姿は、周囲の生徒たちの視線を集める。


 白のブレザーと汚れのない真っ白なスカートは、黒のラインさえ曲がらず、真っ直ぐに張る。胸元で揺れる赤いリボンは、さくらんぼのような唇と一緒に、真っ白な陶器のような肌を際立たせる。


 腰まで伸びる黒い髪を揺らし、同じ色の瞳には光がない。


 彼女には誰も近づけなかった。ただ1人、2学年上の実の兄を除いては。




美羽みう


 広い廊下をひとりで歩いていた彼女に、男子生徒が歩み寄る。


「放課後の予定は?」


「……何もないわ、お兄様」


 彼女の実の兄であり、この名門校で生徒会長を務める男、九條那月なつき


 妹と同じ色の瞳は、妹と違って、明るい未来を見据えるかのように輝いていた。


 当然だ。彼は九條財閥と称される大企業の御曹司。将来は父の後を継ぐことを約束されている身なのだから。


 妹より少しだけ色素の薄い髪は、乱雑なように見えて丁寧に手入れされているのがわかる。優し気な瞳は、他の誰でもない妹にだけ向けられるものだ。


「まぁ、お2人揃っていらっしゃるわ」


「あぁ、なんて見目麗しい……!」


 美形の兄妹が揃ったことに、周囲の生徒たちは興奮して小さな歓声を起こす。といっても、ここは国内有数のお金持ちたちが集まる名門校。はしたなく騒ぎ立てることはないのだが。


「じゃあ、帰ろうか」


 そんな周囲のことなど気にも留めず、兄妹は並んでその場を去った。




「美羽、今日の学校はどうだった?」


 専属の運転手が運転する高級車の中、那月は隣に座る妹に声をかける。


「……何も変わらないわ」


 しかし、返ってくるのは気のない返事ばかり。


 いつもそうだ。小さい頃は仲良く遊んでいた。いつも後をついてきてくれる妹がかわいかった。


 いつからだろう。妹の目から光が消えた。全てを諦めたような、惰性で生きているような目をしている。


 兄としてどうにかしたかった。たった一度の人生、楽しんでほしかった。


「今日、お父様は?」


 珍しく妹の方から声をかけてきた。


「父さん?」


 何を求めているのだろう。しかし珍しい。話を終わらせたくはない。


「この時間ならまだ仕事だろう?今日も遅くなるんじゃないかな」


 兄妹の父親、九條くじょう忠晴ただはるは、平安時代から続く古い家を守るため、先祖から引き継いだ大企業をいくつも経営する敏腕経営者。早くに妻を亡くし、男手一つで2人の子どもたちを育てるシングルファーザーでもある。


 兄からの答えを聞いた美羽は、それ以上言葉を紡ぐことなく、窓の外に視線を移した。


「美羽、父さんに何か用事?」


 那月が聞いてみても、


「……別に」


 と答えるだけ。残念ながら話は終わってしまったようだ。


 しかし那月の方も、これで諦めるわけにはいかない。まだ話を続けようと話題を振る。


「あぁ、もしかして明日のことかな」


「……明日?」


 明日は土曜日。学校は休みで、友人もいない美羽は、休日に遊ぶ予定もない。


 大切な予定を忘れているらしい妹に、那月は


「忘れたの?明日は父さんの仕事を見学する日だよ」


 と教えてあげた。それを聞いて、美羽は思い出したようにまた口を閉じる。


 月に一度、兄妹は将来の勉強のために父の仕事に同行する。


 九條家が経営する会社から、莫大な資産を削って投資した先など、行先は様々。


「明日はいつもみたいに朝も早くないし、安心だね。でも夜更かしはしちゃダメだよ」


 明日どこに行くか、なんて美羽には関係ない。どうだっていいのだから。


 兄の声に答えることなく、移り変わる車窓を見つめていた。




 兄と2人の夕食の後、美羽は1人、部屋で読書にふける。


 これといった趣味はない。必要なら勉強するし、そうじゃなければ惰性で本を開く。当然内容なんて頭に入らず、ただ文字を目で追うだけ。これでも暇つぶしにはなった。


「お嬢様」


 そこに話しかけるのが、世話係の使用人。昔からそばにいるせいで、信頼はしている。しかし、友人にはなれない。令嬢と使用人というのは、そういう関係だ。


「まだお休みにならないのですか?」


「……そうね。そろそろ休むわ」


 起きていてもすることがない。美羽はそっと本を閉じ、椅子から立ち上がった。


 ドレスルームに入り、部屋着からパジャマに着替える。そしてそのまま寝室のベッドに横になった。


「おやすみなさいませ、お嬢様」


「おやすみ」


 世話係の声に答え、ベッドライトを消す。


 パタン、と寝室の扉が閉まる音。その瞬間、寝室は闇に包まれた。


 窓の外の虫の声1つ入らない。廊下の話し声も、隣の部屋の兄の生活音も聞こえない。本当に音1つない空間だ。その空間は、少し怖かった。


 小さい頃、美羽は暗闇が怖かった。世話係がそばで寝かしつけてくれていても眠れず、心配した兄が部屋に入ってきて手を握ってくれて、ようやく眠れるくらい。


 高校生となった今、さすがにその状況にはならない。それでも、怖いものはやっぱり怖い。


 コロンと転がり、横を向く。手を伸ばしてライトをつけた。その明かりに、少しだけ安心する。


 ホッと微笑みをこぼし、ライトに背を向けて目をつぶる。ライトの温かさを背に感じて、そのまま夢の中に吸い込まれた。




 翌朝、いつもの時間に自室で朝食を摂った美羽は、身支度を済ませて屋敷のエントランスに出る。


「旦那様、本日のご予定は」


 家事を取り仕切っている使用人と話す父に視線を向けた。


「お嬢様、おはようございます」


 使用人が先に気づき、恭しく頭を下げた。それにより、父も美羽の方を見る。


 美羽と同じ色の髪には白髪が混ざり、高級感あるスーツを着こなす姿は、まさに威厳の塊。切れ長の瞳に宿る冷たい光のせいで、部下からも畏れられているらしい。


「おはようございます、お父様」


「……あぁ」


 娘からの朝の挨拶に、彼は唸るように頷いただけだった。


 今日の美羽は、シンプルなワンピースに身を包み、綺麗な髪はおさげに。世話好きな使用人のおかげで、いつも綺麗にセットされる。


「あれ?早いね。今日は僕が最後か」


 そこへ、那月も大きな階段をつたってエントランスに降り立った。


「おはよう、美羽。今日もかわいいね」


 父に挨拶しないところを見ると、父と兄はいつものように2人で朝食を摂ったのだろう。そこに入らないのはいつも美羽だけ。それも美羽がそうしているのだが。


「おさげも似合うね」


 美羽の髪を一房取って褒める兄にも、彼女は反応しない。


「お車の支度が整いました」


 伝えに来た使用人の言葉で、玄関の扉が仰々しく開けられる。


「お帰りをお待ちしております」


 使用人を総括する使用人、島崎しまざきの言葉を聞きながら車に乗り込み、車は進みだした。



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