奴隷の王様

本郷

第1話

「はっ、はっ、はっ」


 荒い息を吐きながら、魔王アランは暗闇の中を走っていた。ここがどこかは、もう分からない。


 がむしゃらに森の中を走っていたせいで、自分の場所を見失っていた。


 足が地面に吸い付いているかのように重く、そして体が焼けるように熱い。


「はっ、はっ、はっ」


 どれだけ息を吸っても、吸っても、肺が酸素を求めてくる。そもそも肺が正常に機能しているかすらら怪しかった。


 胸の傷からはおびただしい血が流れている。その血は暗闇でもはっきりとわかるほどに服を赤く、赤く染めていた。


 足がついて行かずにもつれ転んだ。


 魔王にはあるまじき無様な転び方だ。


 立ちあがろうとするも、どうやって体に力を入れたらいいか分からなかった。それでも何とか気合いでらうつ伏せから仰向けへと体制を変える。


 ふと横を見ると、名も知らぬ拳大の茶色い虫がら同じように仰向けに転がっていた。アランと違うところと言えば、その虫は既に息たえており、他の多くの虫にその身を食い漁られていることであった。


 自分も同じような運命を垣間見たような気がして、身体中に寒気が走った。先程まで暑かったのに、今度は一転して、どんどん寒くなる。


 後悔がないかと言えば、嘘である。しかし、自分が全力を尽くしたことは、間違いなかった。死力を尽くし、人間と戦い、結果として勇者に敗れた。残された魔人達の今後が心配ではあるが、どうすることもできない。

 

 どこで道を間違っただろうか。

 

 優秀な兄二人は王座を争って死に、消去法のようにアランが魔王の座についた。


 アランが就任したからといって、それまでの争いの傷はなくならない。王座を巡る争いによって国力は大きく削がれてしまったのだ。


 それをつけねらったかのように人間が魔人の領域に侵攻を開始した。


 アランは懸命に侵攻に対抗したが、人間の攻勢を止めることができなかった。


 そして、ついに勇者の刃はアランに届く。


 勇者に対しては持てる力の全てを使い、抵抗した。しかし、紙一重で勇者の渾身の一撃が、魔王アランを貫いた。


 本当に死んだと思った。しかし、勇者の攻撃はギリギリで心臓に当たらずに、即死を免れた。


 それでも重傷を負ったため、まともに戦うことができなくなった。そのことは周囲にいた仲間も理解したようで、命をかけて勇者から逃してくれた。そのため、なんとかその場は逃げ切ることができのだった。


 だが、命をかけてあの場から逃してくれた仲間には申し訳ないが、どうやらここまでのようだ。



 鼓動は徐々に小さくなっていく。その音は森に住み着く虫達の囁きよりも小さくなり、鼓動が聞こえなくなるのとほぼ同時にアランの意識は闇に呑まれたのだった。






 


「・・ン、・ラン、アラン!」


 誰かの呼ぶ声がする。


 久しぶりにら誰かの声を聞いた気がした。本当に久しぶりだ。その声は、どこか聞き覚えるのある声でもあった。声に反応しおうとするも、どうやっていいのかわからない。四苦八苦していると、やっと体の一部が動かせることに気がついた。その場所に力を集中させる。


 動け!動け!動け!


 やっとのことで己の瞳をかすかに動かすことができた。


 差し込んできた光を拒絶するかのように、瞼が閉じようとする。それを意思の力で跳ねのけ、目の前の光景を見た。


 ぼやけた視界には、見覚えのあるような人物がいた。


「アラン!」


 自分を呼ぶこの声と、不完全な視界から与えられる情報を繋ぎ合わせ、目の前にいる人物にあたりをつける。


「エ、エマ、か?」


「はい」


 その声はどこか儚く、長い長い旅をやっと終えたかのような返事であった。


 視界が徐々にはっきりとしてくる。それにつれて目の前にいたエマの顔もだんだんとはっきり見えてきた。見えてきた?


 目の前にあった顔はエマであり、エマではなかった。見覚えのある黒髪の小柄な女性。だが、アランの知っているエマはもっと子供っぽい顔をしていた筈だ。


「エ、エマの、お姉さ、ん、?」


 エマの瞳が何かを思い出し、どこか遠いものになる。


「いいえ、私はエマ本人です。理由は後で話すので、ゆっくり休んで下さい」


 エマにより会話を打ち切られたアランは、固まっていた脳を動かすように頭に血を巡らせた。


 なぜ自分はベッドで寝ているのだ。理由が分からない。直前の出来事を思い出そうとする。直前?


 頭の中に様々な情景が浮かび上がる。戦っている自分。そして、胸を貫かれる自分。そして・・・死ぬ直前の自分。


 心が突然の情報を受け止めきれずに暴れ出す。幸いにも体は動かなかったので、側にいるエマにはそれが伝わることはないだろう。だが、体が動かせない分、感情の発散ができず、まるで体の内側を食われているかのように痛かった。


「アラン大丈夫ですか?」


 額に出ているおびただしい冷や汗を心配したのだろう。エマがその黒い瞳を心配そうにこちらに向ける。


「思、い出し、たよ。全て、を」


 そう思い出した。なぜ、自分がこんな状態になっているのか。


「助、かった、のか」


 その呟きは無意識に口から出ていた。


 エマがアランを助けてくれたのだろうか。そもそも戦争は今どうなっているのか。


 エマの瞳を訴えかけるように見つめるが、何も答えてはくれない。


「今は休んで。体力が回復したら説明する」


 頑なに話さないエマに、少しだけ怒りが込み上げる。戦争のさなかに悠長に休んでいる暇はないのだ。前線で血を流し、命を削って戦っている仲間がいる。なればこそ、アランは素早く情報を収集し、戦場へ復帰しなければならない。


 全身の魔力を活性化させる。久しぶりの感覚だ。そして魔力を使って無理やり体を動かそうとする。体からは魔力循環によって発生した熱がこもり、白い湯気のようなものが立ちのぼっていた。


「やめて。無理しないで!」


 普段は冷静なエマの、焦った声が聞こえる。


「無理をしてでも知りたいんだ、教えてくれ!」


 体を起こし、右手でエマの腕を掴む。魔力循環が上手くいったためか、口もスラスラと動くようになった。


「エマ、知っているだろ。俺は魔王だ。休んでいるわけにはいかない!」


 アランとエマの視線がぶつかり合う。アランの目を見て諦めたのか、エマは大きなため息をついた。


「分かった。全て話す。だから無理しないで」


 その言葉で力を抜き、再びベッドに倒れこんだ。


「私達、魔人は人間との戦争に敗れた」


 エマはどこか遠い目をしながら、ポツリと呟く。


「負け、た?」


 アランが眠っている間に敗戦したのだろうか。それならば自分は一体何ヶ月眠っていたことになるのだ。


「俺はどれくらい眠っていた?」


「5年よ」


 耳鳴りがした。クリアになってきていた頭に、また、もやがかかる。


「アラン、あなたは5年間眠っていて、その間に戦争は終わった。今さら動いてもどうにもならない。だから休んで」


 エマの言葉に衝撃を受けたせいか、それとも先程無理やり魔力を体に流したせいか、体を強烈な脱力感が襲う。


「そう、か」


 それだけを呟くことが精一杯だった。アランの意識は再び暗闇に飲み込まれてしまったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る