第10話 弱虫エディと思い出の絵本
ダルシーが記憶屋から戻ると、エディも夕方の見回りから戻っていました。
いつもは部屋にいるのですが、今日はリビングのソファに座り、神妙な面持ちで何やら考え事をしています。
アルコールランプの火が消えていることにもお構いなしで、心の中の深くへ潜っているようです。
ダルシーが帰ってきたことにも気づいていません。
『ただいま!』
ダルシーが少し声を張ると、糸がプツンと切られたように考えるのをやめて、ダルシーの方を向きました。
「あぁ、おかえり」
『森から帰ったと思ったら、今度は頭の中で冒険?エディはあちらこちら旅するのが好きなのね。明かりをつけないと根暗になるわよ』
ダルシーが服についた埃を払いながらいつもの調子で嫌味っぽく言っても、今日のエディは反応しません。ソファの肘掛けに頭を置くと、そのまま体を沈めてしまいました。
埃を払い終えたダルシーは、マッチ箱から一本を取り出しボッと火をつけると、オイルランプに火を灯します。手首を軽く振りマッチの火を消すと、結んでいた髪をほどきながらキッチンに向かいました。
『ホットミルク飲む?』
冷蔵庫を漁りながらダルシーが尋ねます。
「うん、お願い」
横になったエディは、ソファの下で丸まっているブランケットを手に取ると、ミノムシ状態になって答えました。
『風邪気味?』
鍋にボトボトとミルクを注ぎながらダルシーが尋ねましたが、声はリビングの奥へと消えたっきりでした。
ふぅと少し声の混じった息を吐くと、鍋を火にかけます。プツプツ沸騰してきたところで、スプーン1杯の蜂蜜を入れゆっくりと円を描きます。
完成したホットミルクを持っていくと、エディは目を瞑っていました。しかし、眠っているわけではありません。何度も寝返りを打っているのがキッチンから見えていました。寝たいけれど寝れない、といったところでしょうか。
『はいどうぞ』
ダルシーは、木製の丸テーブルにコトンとカップを置くと、メルヴィン愛用のロッキングチェアに腰掛けました。
エディはミノムシのままゆっくりと目を開きました。
「そういえば、あの怪鳥はどうした」
『ラルフさんのこと?あの後すんなり帰って行ったわ。今度はあなたがいない時に私をデートに誘いに来るんですって』
「あぁ、幻怪な空の旅を愉しんでくるといいよ。ツアーの最後は悪魔たちのサーカスかな。魂を1滴残らず吸いとられるかもね」
意地悪な口調でエディが言いました。
『エディったら、本当に素直じゃないわね。行かないでって言うのがそんなに難しいことかしら』
呆れた様子でダルシーが言い返します。
「いや、今日は言い合いはやめておく。少し頭が痛いんだ。ミルクありがとう、あとでいただくよ」
エディはブランケットから片手を出し、ストップと合図を送るように手のひらを見せると、またすぐに引っ込めました。
頭までブランケットをかぶり、くるっとダルシーに背を向けると、小さくため息をつきました。
ロッキングチェアに揺られながら、ダルシーはホットミルクにふーっと息を吹きかけます。
『なにか考えごと?』
エディは答えませんでした。さすがのダルシーも、ここでさらに追求するほど無神経ではありません。エディが珍しく物思いにふけていたので、何か悩みごとでもあるのかしらと思い親切心で尋ねただけなのです。
ダルシーは、話したくないのならまぁいいわと、窓の外へと視線を移します。
濃い青色になり始めた空の下、ガラス越しに見えた記憶屋の看板にはまだ明かりが灯っていました。
研究はまだ終わらないのかしらと10秒ほど眺め、ミルクの表面にできた薄い膜をくるくる回して溶かしていた時でした。
「今日、隣の森を見た」
眠れないのか、エディが小さく声を放ちました。
『そう』
ダルシーはカップに視線を落としたまま、優しい声で返事をしました。
エディはポツポツと降る雨のように話し出しました。
「今日は空の上から森を観察したんだ。隣の森の状態までよく見えた。ひどい有様だった。ほとんどの木は人間の手によって伐採されて、森は土の塊と化していた。1ヶ月後には平地になっているかもしれない」
『そこに何かを作ろうとしているの?』
「この国の王様は、ここら一体の山を全て崩してガラクタ工場を建てようとしているんだ。大量の鉄の塊を作るためのね」
『あら、ガラクタ工場だなんて。素敵な名前の工場ね』
ダルシーは皮肉めいた言い方で合いの手を打ちます。
「いつかは、僕の森もそうなってしまうのかもしれない。僕ひとりの力でこの森を守り切れる自信がないんだ。40年前、山火事が起きた時、父さんはひとりで勇敢に立ち向かったんだって。そんなことが、僕にできるのかな」
弱音を吐いて、エディは青虫のように背を丸めました。
『今だって充分立派に守ってるじゃない。そうでしょ青虫さん。さっきはミノムシに見えたけど』
「いいよ慰めないでくれ。もっと惨めになるんだ」
『分からない未来のことを考えても不安になるだけよ。変わらずに、いつもみたいに楽しめばいいんじゃないかしら。何かあっても、解決策を探せばいいのよ』
「そんなに気楽なもんじゃないさ。僕は冒険家になって森の中を呑気に探索しているわけじゃない。これは仕事なんだよ」
包まって引きこもっても口は止まらないエディ。今のエディに何を言ってもダメだと、ダルシーは話すのを止めて、ホットミルクを口へ運びます。外はすっかり暗くなって、風音が聞こえてきます。
「眠れない」
エディはぎゅうぎゅうに丸めた体をさらに、丸く小さくしました。
『絵本でも読む?』
椅子から立ち上がり、ダルシーは尋ねました。音を立てないように近づくと、ゆっくりとエディの近くに膝を抱えて座ります。
「子供扱いしないで」
ブランケットの内側から、エディのボソボソ声が聞こえてきました。
『だってあなた、子供みたいにいじけてるわよ』
「何を読んでくれるのさ」
『さっき記憶屋で見つけた絵本。"蔦の城のお姫様" この絵本だけ表紙が無くなってた。それに何度も繰り返し読まれた形跡があったわ。あなたのお気に入りの絵本なんでしょ?』
「もう覚えたの?」
『私の大好きな絵本とよく似ているの。私が好きだったのは"蔦の城の召使い"っていう絵本。きっと同じ人が書いたのね。子供の時、何度も何度も繰り返し読んだわ。だからかは分からないけど、すんなり頭に入ってきた』
ダルシーは、『むかし、むかし』と、蔦の城のお姫様の物語を話し始めました。
小さな優しい声がエディを柔らかく撫でます。
ガラス窓をノックしていた風は、どこかへ帰って行ったようです。
しばらくすると、深い呼吸を繰り返す音が聞こえてきました。
ダルシーも眠たくなってきて、あくびをすると、床に座ったままソファにもたれ目を瞑りました。
虫たちが羽を閉じて息を潜める、静かな夜のことでした。
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