解き、また結ぶ V.1.1

@MasatoHiraguri

第1話 行きはよいよい、帰りは怖い

  「余計なお世話」かもしれませんが。老婆心から;


  「筋肉はつけるよりも、落とす方が難しい」


○ 「彼は解き、また結ぶ」

○ 「戦争を始めた者は、それを終わらせる器量がなければならない。」

○ 飛行機は離陸したら着陸しなければならない。

  そして、離陸よりも着陸の方が難しい。

○ 筋肉をつけた者はそれをいつか落とすべき時が来る。

  そして、筋肉もまた、つけるよりも落とす方がずっと難しい。


  筋肉とは必要だから付いたのであって、使わなくなれば自然と衰退していく。

しかし、その減衰の仕方を間違うと、体中の筋肉のバランスが崩れ、ぎっくり腰や40肩・50肩という災難に見舞われる。


実例 ①

私の父は、18歳で陸軍少年飛行学校(海軍の予科練・陸軍の飛行学校)に入りましたが、入学試験で跳び箱や鉄棒といった実技があり、5メートルの鉄棒に片腕で3分間ぶら下がるとか、大車輪もあった。当時の戦闘機の操縦稈にはパワステなどないので、反転攻勢・宙返り等、敵機と組んずほぐれつ戦う戦闘機の操縦は、握力を含めた腕っ節が強くなければ敵に後ろを取られてしまう(撃墜されてしまう)のです。


明治・大正・昭和の頃、日本男児というのは、みな子供の時から殴り合いのケンカはする(水木しげる「水木しげる伝」全8巻)し、鉄棒やジャングルジム、木登りといった遊びの道具で身体を鍛えていたので、10人に一人くらいは大車輪ができたそうです(私が高校生時代1970年代は、一人もいませんでした)。

そんな父は筋骨隆々タイプでしたが、終戦後、土木建築技師として勤務すると、そんな筋肉を使う必要が全くなくなってしまった。設計図を書く・チェックするといった仕事ばかり。

父が30代の頃、八丈島・大島・小笠原で復興事業に携わっていた頃は、台風だ、増水だ、土砂崩れだ、と、バイクやジープで駆け巡り、まだ肉体を使う場面が多かったのですが、本土(東京)へ戻ると、課長ということもあり、デスクワークの日々となりました。

そのため、しばらくするとぎっくり腰や40肩に襲われ、.1年近く苦しみました。

朝730に家を出てバスで駅へ向かい、電車で30分。一日中設計図を見るか、会議。夕方6時に帰宅。この程度の運動(仕事)では、20代に鍛えた筋肉は正しく落ちることなく、アンバランスな筋肉構造になったのでしょう。50代でも50肩に襲われたため、数年間は毎週一回、市の温水プールへ行き、身体を解(ほぐ)していました。

実例 ②

私の場合、高校時代は水泳部でしたが、水泳というのは「固い筋肉」を嫌うので、取り立てて筋トレは行いませんでした。

大学日本拳法時代は、毎日拳立て50回・腹筋100回、たまに肩車・ワニさんといった筋トレは練習時間中にやっていました。筋骨隆々なんてものではなく、せいぜい「比較的がっしりしている」程度の筋肉でしたが、それでも、アメリカ駐在員時代にぎっくり腰をやり、40代で40肩に襲われました。

大学卒業後5年間は、大学時代以上に肉体を酷使していたので、至って健康でした。

朝6時起床・6時半に家を出て自転車で駅まで10分。1時間の満員電車で8時に会社着。

A4が並べて入る大きめのアタッシュケースに資料を詰め(5キロ)、9・10時から10キロのOHP(昔のはデカくて重かった)、カタログや資料の詰まった大きなデパートの紙袋(3キロ)で、日に3~5社訪問。当時、駅にはエレベーターやエスカレーターがない。地下鉄は冷房車のない車両がまだ多かったので、夏でも冬でも汗だくでした。

夜8時に帰社すると、11時までワープロで資料作り。帰宅は毎日深夜1~2時。週に一度の関西出張では、朝6時発の新幹線で京都へ、2社回ると、在来線で大阪か奈良(天理のシャープ)で3事業所を回る。大阪発最終20時半で東京へ戻り、深夜のオフィスへ戻り、アメリカへFAXを送信。朝5時半の始発で家へ帰り(シャワーを浴びネクタイとワイシャツを換える)、7時に家を出て再び出社。

土日はほぼ必ず会社へ行き、資料作り。

  当時はワープロもコピー機もプリンターも会社にしかなかったので。

ところが、駐在員としてアメリカへ行くと、通勤も何もかも車。

  2階へ行くにもエスカレーターやエレベーターがある。歩く運動といえば、マンションの部屋・オフィス・レストラン・スーパーでの、駐車場への往復だけ。

  筋肉を使う場面が全くといっていいほどなくなってしまったので、駐在員生活2年目にしてぎっくり腰になりました。ギックリ腰とは半年位で完治するのですが、そのあとでも、ちょっと「ゆるい」生活をしていると、ギクッとくるものなのです。筋肉を使う場面が全くといっていいほどなくなってしまったので、2年後にぎっくり腰になりました。ギックリ腰とは半年位で完治するのですが、そのあとでも、ちょっと「ゆるい」生活をしていると、ギクッとくるものです。

アメリカから帰国し、35歳から39歳まで京都の僧堂にいた時は、毎朝托鉢で歩くし、午後は畑仕事や薪割りをしていたので身体中の筋肉のバランスが取れていて、極めて健康でした。しかし、40代でお気楽・極楽な葬式坊主になると、途端にギックリ腰が再発し、40肩にもなりました。


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