第九章―才能と価値―#5


 孤児院を出た後、冒険者ギルドに寄って不要な素材を売却し、街でちょっと買い物をしてから、ロウェルダ公爵邸へと戻ると、授業を終えたらしいレド様が応接間で寛いでいた。


「お帰り、リゼ」


 レド様は私に気づくと、立ち上がって出迎えてくれた。


「ただいま戻りました、レド様」

「ケガはないか?」


 レド様は私の頬にその大きな右手を添え、私の顔を覗き込んで少し心配そうに訊く。レド様に気にかけてもらえたのが嬉しくて、私の口元が緩んだ。


 レド様の右手に自分の左手を重ねて、答える。


「心配してくださってありがとうございます、レド様。大丈夫です、傷一つ負ってはいません。これでも、Sランカーですから」


≪レナス?≫

≪は。オークの集落とグレイウルフの群れ、それから四足型、鳥型の魔獣に遭遇しましたが、リゼラ様はすべて、一度の反撃すら許さず、一刀の下、屠っております。かすり傷一つ、負ってはいないはずです≫

≪そうか。ご苦労だったな≫

≪ありがたきお言葉≫


 レド様は物凄く心配性のようだ…。


 まあ、でも、逆の立場なら、私も同じことをするような気がする。



「リゼ?お帰りなさい」


 シェリアの声がして、我に返る。


 振り向くと、シェリア、カエラさん、ロルス、ロイド、ロドムさんがいて、皆、何だか生温かい眼をしてこちらを見ている。


 うぅ、レド様しか目に入っていなかった…。


「た、ただいま、シェリア」


 レド様が、私の腰を抱き、ソファまでエスコートしてくれる。


 嬉しいけど、これは、少しというか───かなり恥ずかしい。レド様がとても嬉しそうにしているので、余計に顔が熱くなる。


 レド様と並んでソファに座り、顔を上げると、皆の顔が生温かい眼を通り越して、微笑まし気になっている。く、いたたまれない…。


 すかさず、カエラさんが私の前に淹れたてのお茶を置いてくれる。


「リゼラ様、ただいまラナさんの許にサヴァル様がいらしておりまして、リゼラ様にご用事があるとのことですので、こちらにお呼びしてもよろしいでしょうか」


 さりげなく近寄っていたロドムさんが、訊いてくる。


「サヴァルさんが?」


 サヴァルさんは、このロウェルダ公爵家御用達にして、私とも懇意にしてくれている商人だ。


 レーウェンエルダ出身ではあるが、近隣諸国にも手を伸ばす、押しも押されぬ大商人なのだ。その功績により、アルドネ王国では男爵位を叙爵されているくらいだ。


 私がSランカーになる際、推薦人の一人を引き受けてくれた人でもある。


「勿論です。皆さんさえ良ければ、こちらにお通ししてください」



◇◇◇



「皆さま、ご歓談中に失礼いたします。────お忙しいところを申し訳ございません、リゼラ様」


 サヴァルさんは、一見するとちょっとふくよかな気の好いおじさんだけど、中身はかなり強かな商人らしいお人である。


 私のことは『リゼラさん』と呼んでいたが、私が叙爵したと知ってからは『リゼラ様』と呼ぶようになってしまった。


「いえ、何かご用とのことでしたが…」

「大したことではないのですが。まずはご報告ですね。こちら、今回分の“懐中時計と鋏の売り上げ”と、“リゼラ様の取り分”となります」


 サヴァルさんに、数字の書かれた書類を渡される。レド様が隣で、驚いたような声を上げた。


「“懐中時計と鋏の売り上げ”…?」


「ルガレド皇子殿下は存じ上げないのですか?」


 サヴァルさんが伺うように、私を見る。そういえば、レド様には話していなかったかもしれない。


「殿下にお話ししても?」

「ええ。単に、まだお話ししていなかっただけですから」


 サヴァルさんが、レド様に向き直る。


「殿下は、現在、世間に出回っている『懐中時計』と『鋏』というものをご存知ですか?」

「ああ。どちらも見たことはある」


「実はこれらは、リゼラ様のご考案の下、創られたものなのです。私どもに製造販売を一任していただく代わりに、売り上げの一部をリゼラ様にお支払いしているのです」


 この世界にも、以前から“時計”は一部に普及していたのだが、何故か木製のケースに収められたものしかなかった。


 冒険者にも時計は意外と必要で、時計を持ち歩く冒険者も一定数いるけれど、いかんせん木製なもので壊れやすく、不経済な代物だったのだ。


 その上かさばるから、物凄く不便だったので、前世で大叔父が持っていた懐中時計を思い出し、自分のために特注してみたのが最初の成り行きだ。


 鋏の方も、孤児院で幼い子供たちがナイフを使うのが危なっかしくて、少しでも安全に出来ないものかと、特注したのが始まりだった。


 どちらも、職人さんにイメージを伝えるのが難しく、最初の試作品が出来るまでが一番時間がかかった。試作品さえ出来てしまえば、後は早かった。


 私の求めているものがどういうものか、職人さんたちも解ったようで、あっという間に売るに相応しい良品に仕上げてくれた。


 冒険者ギルドと二大組織として肩を並べる“商人ギルド”には、前世のものと似た“特許制度”があり、私は勧められて、この『懐中時計』と『鋏』の特許を取得した。


 正直、前世で存在したものを真似ただけなので罪悪感があるが────孤児院を買い取る資金が必要だったし、今も孤児院の経営に必要なので、目を瞑っている。


 その代わり、『懐中時計』と『鋏』の売り上げは、孤児院のためにしか使わないと決めている。


「そうなのか。リゼは本当に多才だな」

「いえ、これは…、前世の世界で使われていたもので、私はそれを真似ただけなんです」


 そんなに感心されると罪悪感で胸が痛い…。


「だが、その知識を活用できるのも才能だろう?」

「レド様、私に対する贔屓目が日に日に酷さを増していませんか…?」


 駄目だ。これ以上レド様と話していると、罪悪感といたたまれなさで大ダメージを負ってしまう…。


「ええっと…、サヴァルさん。私の取り分は───いつものように孤児院の方へ直接届けてくださるよう、お願いします」

「承知致しました」


 毎回、孤児院に直接届けてもらうようにしておけば、私に何かあってしばらく戻れなくても、孤児院が困窮することはないから安心だ。



「それから───お忙しいところ恐縮なのですが、“魔玄まげん”の作製をお願い出来ないでしょうか?しばらく作製出来ないとリゼラ様にはお伺いしてはおりますが、どうしても“魔玄”を欲しいと仰っている方がおりまして…」


 私が出来ないと伝えておいたにも関わらず、サヴァルさんがそうまで言うということは、断れない相手なのだろう。


 サヴァルさんには、いつも世話になっている。ちょうど素材も手元にあるし、引き受けても大丈夫かな。


 私が頷こうとしたとき────


「“魔玄”の作製?…リゼが?」


 レド様が、またもや驚きの声を上げる。


 あれ?───私、“魔玄”のこともレド様に話していなかったんだっけ?


 “魔玄”とは、生地や鞣革を魔物の血で染めたものの名称だ。


 魔物の血で生地や鞣革を満遍なく染め上げるのは、実は難しく、その技法はガドマ共和国の一部族に伝わる秘技らしい。


 しかも生産数の限りが狭いため、ガドマの一部地域にしかほとんど出回らず、幻の逸品として、この国では囁かれるのみである。


 前述した通り、魔物や魔獣の血で染めたものは、丈夫で柔らかく、そして伸びやすくなる。


 魔玄の存在を耳にした私は、自分の装備の強化に利用できないかと試してみたのだ。


 試行錯誤の結果───魔法を使えば、魔物の血を満遍なく、生地や鞣革に上手く染み込ませられることを発見した。


 しかも───魔玄の場合は魔獣の血は無理らしいが、私の技法だと、魔獣の血でも染めることが出来る。


 まあ、『技法』といっても、血抜きの場合と一緒で、魔物あるいは魔獣の血を魔力で操作して、抜くのではなく生地や鞣革にだけなのだけれど。


 私としてはそんなに難しいことではないのだが、誰に教えようとしても、一人も出来るようになった人はいなくて、今のところ、私しかこれを出来る者がいないのだ。


 そのため、希少価値がついてしまっているようで、私の造る魔玄擬きは、高位ランクの冒険者や王侯貴族の間にしか出回っていないらしい。


「リゼが身に着けているその装備も、魔玄だよな?」

「ええ、そうです」


 今の私は、狩りに行ってくるにあたって、冒険者としての装備を身に纏っていた。


 編み上げタイプのビスチェアーマーに、立ち襟のついた七分袖のアームボレロ、それにグローブ。ビスチェアーマーと揃いの太腿半ばまである編み上げタイプのサイハイブーツに、ショートパンツ。それから、クロスするように腰に巻いた2本のベルト。


 すべて、魔獣の血で染め上げた鞣革で造られている。


「これらもすべてリゼが…?」

「はい。魔獣や魔物を自分で狩って、血も鞣革も調達して、自分で染めれば、仕立て代だけで済みますから」


「もしかして、いつも着ているジャケットやショートコートも?」

「はい」

「そうなのか…。リゼがSランカーだからこそ手に入れられたのだと思っていた。まさか───リゼが魔玄の作製者だったとは────」


「リゼラ様は簡単に仰っておりますが…、魔物や魔獣の血を全て持ち帰ることすら、普通は難しいのですよ。血抜きは出来ても、その血を全て集めて瓶に注ぐのは大変なのですから。魔物や魔獣より大きなたらいみたいなものを持っていければ出来るかもしれませんが、そんなことは実質不可能です。

瓶を持って行くだけで、無駄にすることなく全ての血を持って帰って来れるのは、リゼラ様くらいなものです」


 サヴァルさんが口を挟む。


「リゼは、もっと自分の才能について自覚した方がいい…」


 レド様が、ちょっと呆れたように息をく。


 レド様はそう言ってくれるが、私にはそんな大層なことには思えない。結局のところ魔法の力押しだし。


「ですが、レド様。これは結局、私しか出来ないのですよ?他の人でも出来るように技術を確立し、それを広められてこそ、才能だと思います」


 私がそう返すと、何故か水を打ったように、一瞬、周囲が黙然となった。もしかして、偉そうなことを言ってしまった?



「…リゼラ様の仰ることも確かでしょう。それも才能の一つです。

ですが────私は、リゼラ様がなさることも才能あるがゆえのことだと思いますよ」


 沈黙を破ってそう言ったのは、サヴァルさんだ。サヴァルさんは残念そうに言葉を続けた。


「リゼラ様は、素質は十分にあるのに、商人には向かない方ですね。

実を申せば、リゼラ様には私の息子の妻になっていただけたらと思っていたのですが────どちらにせよ、無理そうですね」


 私の肩を抱き凍てついた眼で自分を睨むレド様を見て、サヴァルさんは苦笑を浮かべる。そして、一言付け加えた。


「貴女には────皇子妃の方が向いているようです」

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