第五章―夜会とお披露目―#1


「………………」


 朝、パントリーに入った私は、呆然と立ち尽くした。


 おかしい───確かに、昨日、パントリーに買ってきた食材をしまった。


 だけど、それは格安で買ってきた、きちんと精製されていない塩と砂糖、それにクズ野菜と作られてから日数が経った固いパンだったはずだ。


 パンが作りたてのように柔らかい美味しそうなものに変わっているのは、まだ解る。【解析アナライズ】したとき、このパントリーは『食糧・食料・食材の鮮度を回復する』となっていたから。


 でも、クズ野菜が、新鮮さを取り戻すどころか、その採れたての姿形を取り戻しているのは何故なのか…。


 そして、塩と砂糖がきちんと精製された白い状態になっているのも、おかしいよね…。本当に何故?


「リゼ?」

「あ、おはようございます、レド様」

「おはよう。何かあったのか?」

「いえ、このパントリーのおかしさを実感していたというか…」


 レド様に事情を話すと、レド様は溜息をいて一言。


「…もう驚くのも慣れてきた気がする」

「そうですね…。まあ、もともと【潜在記憶アニマ・レコード】でどうにか出来ないか、実験するために買ってきたものなので、手間が省けたというか、結果的に良かったというか…」


 もしかして、『一番良い状態での永久保存が可能』とあったから、その“一番良い状態”に自動的になったということなのだろうか。解らない…。


「リゼ?実験するために買ったのはいいとして、その代金は何処から出した?」

「えっ、あの、その…、自分のお金で…。だって、失敗する可能性もあったし、その場合は自分で食べるつもりだったので……」


「リゼが色々考えてくれるのは嬉しい。だから、こういう時も、ちゃんと俺の予算から出してくれ。これは俺たちの食事のための実験なんだろう?リゼが損害を負う必要はない。それから、そういう実験なら俺も一緒にするから、今度からちゃんと俺に相談してくれ」

「はい、すみません、レド様…」


 やっぱり、相談してからにすれば良かったかな。昨日、買い物をしていて、思いついて即買っちゃったものだから…。でも、結果的には成功だったけど、失敗したらレド様に食べさせたくなかったしな…。


「とにかく、これで、安い食材で済ませられる、というわけだな?」

「あ、はい。食費が抑えられるだけでなくて、もし今の状況が知られてしまっても、酷そうに見える食材を買っていれば放っておいてくれるのではないかな、と思うんです」

「なるほど、確かにそうだな」



◇◇◇



 日課である鍛練を終え、サンルームで朝食を摂る。


 サンルームは朝仕様になっていて、柔らかく降り注ぐ光だけではなく、響く鳥の鳴き声が爽やかだ。


 向こうのソファで、ネロがとぐろを巻いているのが見える。ネロはサンルームが気に入っているらしく、大抵はここで過ごしているようだ。



 今日のメニューはベーコンエッグとレタスを挟んだ“ベイクドサンドウィッチ”に、昨夜の残りのトマトスープだ。それと、デザートにサンルーム産の大きな瑞々みずみずしい苺。


 そう、葉物野菜の陰になっていて気が付いていなかったが、ここの畑には苺も生っていた。見つけたときは、思わず歓声を上げてしまった。


 だって、前世だったら高値が付きそうな、大粒で甘そうな苺だよ?

 ああ、“ショートケーキ”とか“苺タルト”とか作りたい。


「この、サンドウィッチだったか。美味しいな。こんな食べ方があるんだな」

「ええ。この食べ方は、中身やパンの種類を変えれば、色々なバリエーションが楽しめるんです。次は違うもので作りますね」

「そうなのか。それは、楽しみだな」


 レド様の楽しそうな様子に、私も自然と微笑む。


「夜会を知らせる使者は、いつ頃来そうですか?」

「どうだろうな…。昼間に来ることもあれば、夕方の時もあったな」

「どうせなら、早く来ちゃって欲しいですね」

「そうだな。ところで、今日はどうする?」

「レド様は何かやりたいこと、やらなければいけないことはありますか?」

「いや、特にないな。…リゼは?」

「私は、ちょっと試してみたいことがあります。それから、魔術の検証もしたいです」


「…俺も一緒にやっても?」

「ええ、勿論です」


 私がそう応えると、レド様は嬉しそうに口元を綻ばせた。誰かと何かを一緒にやるというのが、嬉しいのかもしれない。何となく私も嬉しくなって、笑みが零れた。



◇◇◇



 私が試したいこと────それは、【潜在記憶アニマ・レコード】を利用して、前世の食材と調味料を再現することである。


 これが成功すれば、料理の幅はかなり広がる。


 前世の私はまだ高校生のうちに亡くなったが、母親もフルで働いていたため、兄と家事を交代でしていたから料理もしていたし───本家での集まりや神社の行事などがある時はまかないに駆り出されていたので、洋食に似ている今世の料理より、和食の方が作れるバリエーションがあったりする。


 そう───私は“醤油”と“味噌”、それから、“味醂みりん”と“日本酒”を再現したいのだ。あ、“出汁だし”も欲しいな。そして、“お米”。他にも細々欲しいものはあるけれど、今日のところはそれくらいかな。


 それが成功したら、お菓子関係にも手を出したい。



 さてと、最初は醤油から。


 昨日買ってきておいた大き目の瓶を、魔法で出した水で満たす。


 川の水や魔道具で出した水に比べ、自分の魔法で出した水には魔力が多めに混じっているので、変換しやすいのではないかと考えたからだ。


「【潜在記憶アニマ・レコード】検索────」


 前世の生家では、醤油は地元で造られている瓶入りのものを使っていた。


 コンロ下の戸棚にしまっていて、取り出した時の瓶の感触、重さを思い出す。蓋を開けた瞬間のあの独特の匂い、そして、あの味────


「【抽出ピックアップ】───【顕在化セットアップ】」


 魔力が、手に持っていた瓶へと流れ込む。瓶の形が微妙に変形していく。


 光が収束した時、手の中にあったのは、思い描いていた瓶だった。


 ご丁寧に、有名な書道家に依頼して書いてもらったという、まるで文様のような『醤油』という文字が入ったラベルまで再現されている。


 中身はどうだろう。蓋を開けてみると、先程思い出したあの独特の匂いがふわっと広がった。スプーンを取り出して、少しだけ注いで舐めてみる。


 うん───あの味だ、ちゃんと醤油になってる。


 【解析アナライズ】してみても、記載が調味料になっているし、人が食しても大丈夫なようだ。


「リゼ、それは?」

「これは、刀と同じく、私の前世の故郷独特の調味料なんです。この世界では、似たものさえ見つからなかったから、これが再現できるなんて────本当に嬉しい……」


 焼いたお肉にかけるだけでも美味しいだろうけど、煮付けや照り焼き、唐揚げ────とにかく、作りたいものがいっぱいある。


 これなら、味噌や味醂、日本酒も出汁もお米も、きっと再現できるはずだ。


「他のものも再現出来たら、前世で食べていた料理を作りますから、楽しみにしていてください」

「ああ、楽しみにしている」


 私が子供みたいにはしゃいでいるからか、レド様はちょっと微笑まし気に応えた。


 その後、私はハイテンション状態のまま、立て続けに能力を駆使して、目論見通り、味噌、味醂、日本酒、出汁の再現、そして、麻袋一杯の小麦をお米に変えることに成功した。


「……………」

「リゼ?どうかしたのか?」 

「あ、いえ。正直、調味料を再現するより、料理自体を再現した方が良かったのではと、ちょっと思ってしまって……」


 その方が手っ取り早かった気がする…。


「そうか。調味料ができるなら、料理自体再現できるはずだな」

「はい。───まあ、この世界の食材で作ってみるのも楽しそうだからいいんですが。あ、でも、作ることが難しいものをやってみるのはいいかも」


 そうすると、何がいいだろう…。やっぱりスウィーツかな。レド様にもおすそ分けしたいから、あまり甘過ぎないものがいいよね。


 あ、“フィナンシェ”!───フィナンシェはどうだろう。


 私は、自分の中型トランクを取り寄せると、非常用の固焼きパンと調理用ナイフと皿を一枚、中から出し、ナイフでパンを4分割して皿に並べた。


「【潜在記憶アニマ・レコード】検索───【抽出ピックアップ】───【顕在化セットアップ】」


 思い描いたのは、近所の“ケーキ屋さん”で売っていたものだ。


 “コンビニ”のものも結構美味しかったが、このケーキ屋さんのは、バターの味がより濃厚で生地もしっとりとしていて────お金に余裕がある時はこちらを買うようにしていた。


 光が収まると、パンの欠片は、見事に4つのフィナンシェへと変貌していた。


「これは、パンではないよな?」

「ええ。『フィナンシェ』というお菓子です。ちょうどいいので休憩にして、お茶でも飲みながら、一緒に食べませんか?」

「いいのか?」

「勿論です。今、お茶を淹れますから」


 いつものお茶を淹れようとして、思い止まる。どうせなら、この能力で“紅茶”を出してみよう。この世界には緑茶やハーブティーなどはあるが、紅茶はないのだ。



 厨房のテーブルで、レド様と二人、紅茶を飲みながら、フィナンシェをつまむ。


「……こういうのもいいな」


 紅茶もフィナンシェも美味しいと言いながら味わっていたレド様が、ぽつりと呟いた。


「そうですね。サンルームで色々用意してお茶するのも良さそうですけど、こんな風にちょっと一休みするのもいいですよね」

「ああ。───でも、サンルームでちゃんとお茶するのも、今度やりたいな。リゼとなら楽しそうだ」

「ふふ、いいですね。後で計画を立てましょうか」


「……記憶から料理や菓子を再現するのは、俺にも出来るだろうか」

「あれは私の特殊能力というわけではないので、多分、出来ると思いますが…」

「それなら、カデアの作ってくれた白梨のケーキを、リゼにも食べさせてやりたいな。あれは、とても美味しかった」


 “カデアさん”というのは、皇妃によって解雇された侍女だそうだ。料理は彼女が作っていたらしい。


「それでは、試してみましょうか。その“カデアさん特製の白梨のケーキ”は、サンルームで行うお茶会での楽しみにとっておくとして…、何か他のものを再現してみてはどうですか?」

「そうだな…。何がいいか────」

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