第二章―ルガレドの邸―#3


「次へ行こうか」


 レド様はそう言って、正面の大きな窓のうちの一つ、右寄りの窓の方へ歩いて行った。


「こっちのテーブルが置いてある方の窓は、実は開かないんだ。だけど、こっちは────」


 レド様が窓を開くと、そこは外ではなく廊下だった。これもやはりフェイクで窓型のライトのようだ。


 窓から出て左側はすぐに突き当りなのだが、そこには、壁に沿って座り心地の良さそうなソファが造り付けられていた。


 ソファの手前でアーチ形の垂れ壁が設えられており、完全な個室ではないけど、ちょっとした寛げる空間になっている。


 こういうの何て言うんだっけ────“ヌックスペース”?


「うわあ、いいですね。何だか、秘密の部屋みたい」

「だろう?ここは、俺のお気に入りの場所なんだ。ここに来ると心が落ち着く気がする」

「狭い場所って、何だか落ち着きますよね」

「…座ってみるか?」

「いいんですか?」

「ああ」


 お言葉に甘えて、ソファに腰かける。ソファはハイバックになっていて、首までもたれかけることが出来る。少し間を空けて、レド様も座った。


「すごいな。座り心地がまるで違う」


 レド様が背もたれに身を預けて、呟く。


 不意に、天井に魔術陣が浮き上がり、柔らかな光の粒子が降り注いだ。粒子は、私たちの身体に吸い込まれるようにして消える。


「…今のは何だろうな?」

「何でしょうね。悪いものではないと思いますけど…」


 リラックス効果があるとかかな。


「……何だか、寝てしまいそうだ。次へ行こう」


 レド様はソファから立ち上がって、廊下の先へと進む。私も立ち上がって、追いかける。



 廊下をそれほど進まないうちに、観音開きの簡素な木製の扉に突き当たった。アーチ形になっていて、蝶番と取っ手が黒いアイアン製で他の扉とは違う印象だ。


 扉は大きさに反して、軽快に開いた。踏み入ると、中は薄暗く、足元は毛足の長いカーペットが敷かれているようで、柔らかい。


「わぁ…」


 私は何度目かの感嘆の声を上げてしまった。


 薄闇の中、天井から細い木漏れ日のような光がゆらゆらと、幾筋も降り注いでいる。微かに鳥の鳴き声が耳を掠め、カーペットの踏み心地も相俟って、何だか深い森の中を歩いている錯覚に陥る。


「森の中にいるみたい…」

「母上もそう言っていた。この廊下は、故郷の森をイメージして造ったそうだ。俺は森の奥には行ったことがないから判らないが…、こんな感じなのか?」

「そうですね。木々が密集していると、枝葉が空を覆い隠してしまって薄暗くて、重なり合った枝葉の隙間から日が差し込むんです。それに、地面もこんな風に柔らかくて、歩き心地も似ています」

「そうなのか…」


 レド様の応えた声音が、何だか寂しげに聞こえて────言葉が口をついて出た。


「私のお気に入りの森があるんです。奥に水底まで見えるような澄んだ湖があって、そこに辿り着くまでの道が、まさにこんな感じで─────いつか機会があったら…、一緒に行きませんか?」

「…ああ。楽しみにしている」


 レド様が、ふんわりと笑う。


「それにしても、森を再現するなんてすごいですね」

「いや、前は、こんな風に光がゆらゆら揺れてなかったし、鳥の声なんてしなかった」

「それでは、これも」

「ああ。古代魔術帝国の技術だろうな」


 そんなことを話しながら歩いていると、前方に光が見えてきた。


 それは観音開きの扉で───部分的にガラスが嵌め込まれている。それとも、また窓型のライトだろうか。



◇◇◇



 扉を開けた先は眩しくて、私は思わず手をかざした。


「ぅわあ…っ」


 本当、何度目だろう、こうやって感嘆の声を上げるのは。


 扉の向こう側は、サンルームだった。かなり広くとられていて、しかも吹き抜けになっている。


「ここは、邸の裏側なんだ。一面、サンルームになっている」


 それは、広いわけだ。



 壁も床も同じ石が敷き詰められ、同じ石で出来たアーチ形の門が一定の距離毎に立っていて、それによって空間が区切られているようだ。


 所々に大小様々な半円形や円形の花壇がしつらえられ、そこには枝や幹が細い木や、花々が植えられていて、色鮮やかな蝶が花壇を行き来している。


 花壇は段々になっていたり、きちんと成形されておらずただ石が途切れた空き地だったりと、変化に富んでいた。


 花壇に混じって、水を湛えた池があり、そこには蓮の葉のような円い葉や、小ぶりの花のような形の細かい葉が浮かんでいて、群れを成す小魚の魚影が葉の下を滑らかに泳いでいる。


 池の底に水を出す魔道具でもあるのか、池の水は溢れ出て、隅に造られた水路を微かな音を立てながら流れていった。


 石の隙間には苔が生え、壁や門を蔓草がまだらに覆っている。時折、上空で鳥の影が羽ばたくのが見えた。


 前世で、廃墟を利用して造られたという外国の庭園の映像を見たことがあるけれど───まさにそんな感じだ。


 両側の壁には一定の距離毎に、色ガラスを使っていない縦長のステンドグラス風のライトが配置されており、天井には一面、格子窓風のライトが施されていて、フェイクとはいえ燦燦さんさんと光が降り注いでいる。


 ベンチやソファ、カフェテーブル、テーブルセットなどが随所に置かれ、レド様やセアラ側妃が、あちこちで寛いでいただろうことが窺える。



「俺たちが出てきた扉の左側面の壁に大きな窓があっただろう。あれは、フェイクではなく、本当の窓なんだ。やはり本物の陽光を浴びた方が身体にいいということで、俺も母上も決まった時間になると、ここで日光浴をしていた」

「ちゃんと考えられているんですね」


「それで、そちらの両開きの大きな窓は、ダイニングルームに繋がっているんだ。母上は、ここで朝食を摂るのが好きだったな」

「素敵ですね、それ。こんなところで、朝食やお茶が出来たら、気持ち良さそうです」


 レド様の説明を聞きながら、奥へと進んでいく。


 突き当りは小さな畑になっていた。葉物野菜やトマト、キュウリなどが生っている。それから、あちらの花壇を占めているのはハーブだろうか。


「この扉は厨房に繋がっているんだ」

「何て言うか、考えられた配置ですね」

「ああ、俺もそう思う。ここを設計したのは、無名な建築家だったらしいがな。高名な建築家に依頼すると横槍が入りそうだったから、まだ無名でも腕のいい建築家を、爺様が苦労して探し出したんだそうだ」


 正面は地味にしても、中はセアラ側妃の好みに───狭くても住み心地の良い家をコンセプトに設計してもらったらしい。


「それにしても…、本当に古代魔術帝国の技術はすごいな。ここは俺では手入れの仕様がなくて、もう何年も放置していたのに。植えていなかったものも生えているような気がする。蝶や鳥、魚までいたな…」

「花も、季節を無視して咲いていますしね。トマトやキュウリが、すでに生っているのもすごいです」


 しかも、見るからに身が詰まっていて、熟していて美味しそう。




「ここも、エントランスホールと同じなんでしょうか?」

「試してみるか?」


 私が頷くと、レド様が『夜仕様にしてくれ』と誰にともなく告げた。


 すると、天井や壁の窓風のライトが、すうっと消えた。というより、黒くなったというべきか。すぐに、エントランスホール同様、淡い光が一つずつ点灯し始める。


 驚いたことに────それだけではなかった。


 花壇の土や池からも淡い光が飛び出て来て、蛍のようにふわふわと宙を舞い、草花や木々にしなやかに宿る。


 そして───何頭もの蝶が鮮やかな光を帯びて、そこかしこに煌めく粒子を撒き散らしながら、ヒラヒラと辺りを漂う。


 夜の帳を纏い、柔らかくライトアップされる箱庭は幻想的で────私は言葉もなく、感嘆を込めた溜息をく。


 しばらくの間、レド様と二人、その光景に見入っていた。


 そういえば、と思い、本物であるはずの窓を見る。その窓も窓型ライトのように、星空を映していた。どういう仕組みなんだろう?


「そろそろ、中に入ろう」

「そうですね」


 窓型ライトを昼仕様に戻すと、レド様がこちらを見ずに口を開いた。


「…また、時間がある時に────ゆっくり散歩しよう」

「はい」


 レド様のその言葉が嬉しくて、笑みが零れた。

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